726 一陣の風
俺が目を開けると同時に、アイラルンによって背中に刺さっていた七支刀が引き抜かれた。
その七支刀を引き抜く行為は俺への致命傷へといたるような行動だったのだろう。火花が飛び散るようなエフェクトとともに小さな魔法陣が俺の背中から胸にかけて出て、七支刀が消滅する。
「ガハッ!」
咳き込んだ。
それで出たのは、血だった。
「朋輩!」
なにか返事をしたかったが、喋れない。
俺は一瞬で自分のおかれた状況を思い出す。
先程のあれは臨死体験だ。
俺はいまこの花畑の中で女神ディアタナと戦っている。
戦況は劣勢。いいや、敗勢と言ってもいいくらいだ。
アイラルンはそもそも戦えず、俺は瀕死の重症。そもそも下半身が動かない。たぶん、このまま何もしないでいたらすぐに三途の川にとんぼ返りだ。
「あら、死んだと思ったけど。そう、まだ生きてるんですか」
俺はなんとか動く両腕をつかって、アイラルンを少しでも遠くへ逃がそうとその体を押した。
けれどアイラルンは俺から離れようとはせずに、むしろ俺に抱きついてくる。
「朋輩、本当にごめんなさい!」
どうしてアイラルンが謝っているのか分からない。
「貴方をこんな場所に連れてきてしまったから!」
謝ってる場合じゃない。
「に・げ・ろ……」
なんとか声が出た。
「いいえ。いいえ、逃げません! わたくしは朋輩を殺させたくありません。ですからここで貴方を守ります」
その言葉の意味は分からなかった。
けれどアイラルンが俺を抱きしめて、そしてディアタナとの間に入ってくれていることは理解できた。
それはきっと本末転倒な事態だろう。俺はアイラルンを守るために怪我をしたのに、怪我をして動けなくなって、アイラルンに守ってもらうだなんて。
「邪魔ですよ、アイラルン」
「わたくしはここを動きません」
「そうですか、では一緒に死ねばいいですよ」
俺には周囲の風景は見えなかった。
アイラルンがまるで俺を外界から遮るように抱きしめていたから……。
けれど、アイラルンの叫び声が聞こえて。俺のものではない血が流れてきて。ディアタナの高笑いが響いたときに、状況を察した。
「アイラルン……逃げろ」
俺はか細い声で言う。けれどアイラルンは俺から離れない。
「ああっ……ああっ!」
ディアタナは無抵抗なアイラルンに剣を刺す。
「そんな人間を守ってなんになると言うのですか! この邪神が!」
「わ……わたくしは、邪神ではありません」
「ああ、鬱陶しい。煩わしい。面倒くさい! 貴女のような邪神と手を組んでしまったから、私はこんな面倒な思いをする事になった! 自分の世界が壊れたときに、それで貴女も消えれば良かったのに!」
「わたくしは……貴下に復讐を……」
「因業の女神が! 貴女のそのおこないになんの意味があるというんですか! 死ね、さっさと! 誰にも迷惑がかからないんですよ、そうすれば! 貴女も、そしてそこの人間も! 自分のためだけにどれだけこの世界の人間に迷惑をかけた!」
俺は、そうなのか?
みんなに迷惑をかけただけの存在なのか?
考えてみればたしかに俺は自己中心的だったかもしれない。この世界でいろいろなことをしてきた。
勇者を殺して。商人を殺して。女帝を殺して。教皇を殺して。魔王を殺して。
けれどそれって本当に悪いことばかりだっただろうか? と、いうのは俺の意見で。
きっと俺のやったことはこの世界にとってとんでもないことなのだ。だからこの女神は、ディアタナは怒っている。
俺のこれまでの行動は、全て……いけないことだったのか?
「それは、違います」
「なんですって?」
「朋輩がやった行いは誰彼構わずに迷惑をかけたわけではありません」
ディアタナは激昂して、アイラルンのからだに剣を刺す。そのまま抜いて、刺して、抜いてと繰り返す。それで、アイラルンは痛みに体を硬直させた。
俺は少しだけ体を動かして、ディアタナの顔を見た。
醜い顔をしていた。復讐にとらわれた俺たちよりもよっぽど酷い顔をしている。
「このっ! このっ! このっ!」
アイラルンは死なない。
それは知っている。
だが、痛みは感じるのだろう。
ディアタナが振るう剣はアイラルンを殺すためだけではなく、痛みつけるだけ。自分の鬱憤をはらすだけ。
「朋輩のおかげで……す、救われた人間もいます」
「それで不幸になった人間もいる!」
「そ、そんなの誰だってそうです。人間の行為というのはそれ事態に責任を取れるわけではありません」
「詭弁を!」
ディアタナはアイラルンの顔や、胸のような位置を重点的に刺し始めた。
その行動にどのような意味があるのかは想像するしかないが、しかしディアタナの行動からは何かしらのコンプレックスを感じる。
「誰だってそうです。他人を幸せにすることも、不幸にすることもあります」
「うるさい、うるさい! 私の世界で誰が幸せになって不幸になるかは、私が決める!」
「そんなこと――許されない」
「うるさい!」
ディアタナはアイラルンの喉をつぶそうと、首筋に剣を突き立てた。
アイラルンは抵抗できない。
喉から首の後ろにかけて飛び出した切っ先は、俺の目前に飛び出してくる。
そのままならば、剣は俺にも達するだろう。そして俺は体のどこかの部分を刺されて、死ぬかもしれない。あるいは『5銭の力+』が発動するかもしれない。
それは分からない。
だが、アイラルンは自らに刺さった剣を両手でがっしりと掴んだ。
それを見て、明確にディアタナは狼狽したように見えた。
「うふふ」
「な、なにがおかしいのですか」
アイラルンが狂ったのかと一瞬、思ってしまう。
「時間切れですよ、ディアタナ」
「なっ!」
花畑のいっかくに、とつぜんそれは出現した。
俺の全身の毛が逆立つ。それが歓喜を示すものだと、俺の心は理解していた。
それは、扉とも門ともつかない異物だった。
俺はその扉を見たことがある。
――この門を通るものは全ての希望を捨てよ。
ダンテの神曲に描かれたような、地獄への入り口にある門だ。それを見たのは……そう、アイラルンが俺の元へと来たとき。
そしてその門を作ったのは、シャネルだ。
きらびやかな細かい装飾で彩られた門は、なるほどシャネルの趣味にマッチしているように思える。
アイラルンが笑っている。これがこの女神の狙っていたことだと俺は察した。
本当は怒らなければならない。
シャネルをこんな場所に連れてきて。危険にさらして。
けれど今はそんなことを言っている場合じゃないし、俺だってもう瀕死だ。シャネルが来てくれるなら、こんなに嬉しいことはない。
それは死に水をとってほしいという意味ではない。逆転のためとして、だ。
ディアタナは見るからに狼狽している。アイラルンから剣を引き抜こうとするが、アイラルンは自身に刺さった剣をはなさない。
そしてゆっくりと門が開く。
そこから、一陣の風が吹いた。




