724 赤
「本当に、本当に腹立たしい! 私のことをバカにしているのか、貴方たちは! 零落した女神とただの人間風情が、揃いも揃って私を否定する! お前たちは何様のつもりですか!」
ディアタナは怒りを込めた目で俺たちを睨む。
こうしてみれば、この女神もけっこう表情が豊かだ。ここに来るまで知らなかったが。
「アイラルン!」
俺は腕を落とされたアイラルンに駆け寄ろうとする。
しかし、前方に嫌な予感。
俺の無意識はそのまま走り抜くように体を動かすが、俺は急ブレーキで立ち止まる。その選択は吉と出る。俺がいまから行こうとした場所――つまりは俺が攻撃は当たらないと判断した場所に、ディアタナの衝撃波が流れていった。
「くっ!」
アイラルンは叫びながら自分の腕を抑えている。そこから赤い血がドロドロと流れてきている。普通だったらショック死するほどの傷なのだが――。
「朋輩、来ないでください! 大丈夫ですわ、わたくしは、死にません!」
血走った目でアイラルンは俺を見る。
「しかし!」
「わたくしに構わず、その女神を止めてください!」
そうはいかない。
アイラルンはバカなやつではあるが、それを見捨てることなんてできない。戦いの最中にツレを狙うディアタナが腹立たしい。
「最低だぞ、あんた!」
ディアタナの方へと瞬時に駆け寄り、刀を振る。
「ほう、こちらへ来ますか。薄情ですね」
ディアタナは俺の攻撃をよける素振りも見せずに、違う場所へと移動した。
また瞬間移動したのだ。
これではこちらの攻撃など当たらない。
そして。
「きゃあっ!」
またアイラルンの悲鳴。
見れば顔から血を出している。女神の血だって赤いのだ。
俺は迷う。アイラルンを守るか、それともディアタナに食らいつくか。おそらく、ディアタナは俺など無視して平気でアイラルンを攻撃するだろう。戦うことのできないアイラルンは為す術もない。
「ダメだ――」
アイラルンを守ると俺は決める。
共犯者である女神が目の前で切り刻まれているのを見るなんて耐えられない。
俺はアイラルンの方へ駆け寄った。
「ほ……朋輩」
「立てるか、距離をとるぞ!」
「無駄ですわ。ディアタナはこの空間のどこへでも瞬時に移動できます。どれだけ逃げようと、追いついてきます」
「そうか、ならこの場所で戦うぞ。守ってやるから後ろに隠れてろ」
「朋輩……」アイラルンは潤んだ目でこちらを見ている。「なんだからわたくし、感動ですわ。朋輩ってけっこう良い人なんですわね」
「よせやい、照れるぞ。というか今さらだぞ、それ」
「甘えさせていただきます。朋輩、なんとかもう少しだけ時間をかせいでくださいませ」
「あるんだな、作戦が」
「はい」
もったいぶりやがって。
アイラルンは何かを狙っている。それは最初からある程度、分かっていた。
こんな場所まで来て、俺なら女神を倒せますだなんて。それがとっておきの作戦なはずがないのだ。
何かしらの目的があり、アイラルンは時間をかせいでいる。
ならば俺はそれに期待して、この場所で戦ってやろう。
心を落ち着けて、半分の経験、そして半分の勘を頼りにディアタナに向かう。いま現在、ディアタナはどこにも見当たらない。姿を隠しているのか。
――そこだ!
嫌な予感が背後からした。
俺は振り向きざまに刀で空を切りつけた。
サンッ、と浅い手触りがした。
「なんですって!」
ディアタナの声。
当てた。
このやり方なら何とかディアタナに有効打が与えられる。
赤い血が俺の刀の切っ先につく。
もう一発、と追撃をくらわそうとするが、それは七支刀で防がれた。
それを見て、俺はすぐさま後ろに引いて距離をとる。真っ向からかち合って勝てる相手ではないというのは実証済みだ。
「貴方のような人間がいるから、この世界はおかしくなった!」
「俺のせいだって言うのか」
「アイラルンが貴方を連れてきたから! 分かっているのですか、貴方が、他人を不幸にする!」
ディアタナは大ぶりに七支刀振る。
その攻撃は目で見てから回避できる。その程度の動きではあるが俺以外の人間ならば避けられないはずだ。
「俺は、俺の復讐をしただけだ! 世界とか他人のこととか、そんなものは知らない!」
「知らないのでしたら大人しくしていれば良かったものを!」
ディアタナが七支刀を上空に投げた。
「なっ――」
一瞬、その意味がわかなかった。
七支刀は縦方向に高速で回転しながら、見えなくなるほど上空まで飛んでいく。
それに気を取られてた刹那、俺は襟首を掴まれる。
――まずい、投げられる。
必死で腕を振りほどいた。だがそのせいで俺の体の中心が、がら空きになる。足癖の悪いディアタナは俺の腹部に向かって前蹴りをする。
俺は思いっきり蹴られて、ふっ飛ばされてそうなところをもう一度襟首を掴まれた。そしてそのまま、次こそは綺麗に投げられた。
地面に叩きつけられる。 まったく受け身が取れない。
肺の中から空気が全部出て、そしてそのまま次の呼吸ができない。それに加えて背中の痛み。骨が折れているかもしれない。
「はあ、バカバカしい。どうしてこの私が人間ごときに汗をかかなくてはいけないのですか」
ディアタナが何かを言っている。
動こうにも動けない。
足だ、というよりも下半身が動かないのだ。腕は少しだけ動く、けれど腰から下くらいの感覚が、まったくない。痛いのは背中までで――その下がないのだ。
喪失感は最初、現実のものとは思えなかった。
「あら、脊髄をやったのでしょうか? 動けないんでしょう」
さも嬉しそうに笑いながら、ディアタナは俺を見下している。
俺は何か答えようと思ったが、そもそも息が苦しすぎて何も言えない。
「さすがにこれで終わりですね。諦めましょう? 大丈夫ですよ、私は慈悲深い女神です、貴方が消えても、貴方のことは忘れないでいてあげますからね」
嘘だと思った。
この女神はこんなことを言いながら、次の瞬間には俺のことなど忘れる。
アイラルンがこちらに向かってきている。落とされた片腕を痛そうに抑えながらも、懸命に。
べつに俺の方に来て何かができるわけではないだろう。アイラルンに戦う力はない。それでも居てもたってもいられなくて、こちらに走ってきている。
――情けない。
と俺は思った。
守ると言った。そのつもりだった。けれどこのザマだ。
女神は強い。それこそ人間の想像なんて超えるくらいに。勝てない、と思った。
諦めたくはない。けれど、諦めるしか無いのかもしれない。
空から、何かが落ちてくる。
それは何かの光――太陽か?――に反射してキラリと光ってみせた。
剣だ。
先程、ディアタナが放り投げた七支刀が落下してきている。
この距離、速度、だと……まずい!
アイラルンに当たる。そのまま串刺しになる。
声が出ない。
足が動かない。
ならばどうする――。
俺は唯一動く両腕を使い、手のひらに力を込めた。
アイラルンを守る!
俺は腕だけを使って匍匐前進のように移動する。
自分でも無様な姿だと思う。たぶん、他の人が見たらあまりの無様さに笑うだろう。実際、ディアタナはニヤニヤとしている。俺を止めようと思えば止められるだろうが、止めようとしない。
アイラルンは手を伸ばしてこちらに走ってくる。
なんでこっちに来る、立ち止まれ! 俺の方からお前の方にすがりつこうとしているとでも思っているのかよ。
「朋輩!」
アイラルンが俺のことを呼ぶ。
上空にある七支刀にはまだ気づいていない。
俺はなんとか少しだけ、声を出せた。
「バカッ!」
最初に出たのはその言葉だった。
俺は下半身を引きずりながら、腕の力だけでアイラルンに体当たりするように抱きついた。
「えっ、朋輩?」
アイラルンが頬を赤くする。
本当にバカなやつだ。
けれどその赤色は、もしかしたらお互いの血が飛び散っただけかもしれない。それくらい、赤かったのだから。
俺の背中に七支刀が突き刺さった。
それで、アイラルンの体がもっと赤くなる。




