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719 笑顔の女神


 抜き放たれた刀は、俺がそうしようという意思とは別に地面に生えた花を切り裂いた。


 地面と切り離された花は風にのってディアタナの方へと飛んでいく。まるで子犬が寄り添うようにふわふわと。


 けれどディアタナは飛んできた花を鬱陶しそうに振り払った。


「愚か……本当に愚かですよ。アイラルン、そして榎本シンク。この世界が誰のものか分かっているのですか? 私、この女神ディアタナのものです」


「だとしても、わたくしたちまで貴下のものになったつもりはありませんわ!」


「そうですね。ですから、もう消してしまうことにしました。ええ、ええ。決めましたよ。どれだけのほころびが出ようと、どれだけ後始末が面倒だとしても、どれだけこの世界が壊れようと!」


 ディアタナが手を振った。たれていた血のような液体がこちらに飛んでくる。


 妙に嫌な予感がする。


「アイラルン!」


「えっ?」


 俺はまったく反応できていないアイラルンの服を引っ張った。


 アイラルンは薄い色のローブを着ていた。その服は引っ張ったときに、きめ細やかな手触りがした。その手触りがあまりにも心地いいものだから、もしかしたらこのまま破れてしまうのではないかと思ったくらいだ。


 けれどさすがは女神様のお召し物。ちぎれるようなことはなかった。


「うおおっ!」


 アイラルンは思ったよりも軽かった。それとも緊急時で俺のちからのタガが外れていただけけだろうか。


 なんにせよ、アイラルンを引き寄せて、そのまま後方に投げ捨てる。


 アイラルンが元いた場所に、潰された花から出た液体が飛んだ。


 ジュッ!


 と、音がする。


「わわわっ! なんですの!」


 アイラルンはひっくり返っている。状況がよめていないようだ。


 しかし俺はすぐに理解した。あの液体は強力な酸のようなものだ。どうしてディアタナの手が溶けなかったのかは知らないが、それを投げ飛ばすとこちらを飛ばす液体に変化したのだ。


 もちろんそんなものが本命とは思わない。


 次の攻撃が来る。


「本当に愚かですよ、人間ごときが」


 ディアタナは下に手を向ける。すると、触れても居ないのに花が一輪、自然に浮き上がってきた。まるで起立をするように茎が伸びて、ディアタナの手元までその頭を差し出す。その花をむしり取る。


 アイラルンはよろよろと立ち上がる。


「朋輩! 時間をかせいでください!」


「分かった。何かやるんだな」


「はい!」


 時間をかせぐとなれば接近戦しかない。


 俺は刀を構えたまま、じりじりとにじみよる。先程の酸性の液体には注意しなければならない。


 それさえ注意してしまえば、あとは接近戦。普通にぶつかれば、俺が有利のはずだ。


「貴方はきっとこう思っているのでしょう。こんな女神程度、これまで戦い続けてきた歴戦の戦士である自分が負けるはずがない、と」


「どうだろうな」


「そういう思考も愚かなのですよ」


 ディアタナは白い花を潰す。すると、その花からはまた液体が出た。その液体は手のひらからこぼれ落ちながらも固まっていき、剣の形をとった。


 それは一本の剣から、無数の枝が伸びるような不思議な形をした剣――七支刀である。


 祭礼に使われた剣と言われているが、一説によれば七支刀は実用的なソードブレイカーとしての使い方もあったという。


 たしかに、剣からフックを描くように飛び出した枝刃は、敵の武器を引っ掛けて折ることにも使えそうだ。


 しかしどうにも、俺はその剣が虚仮威こけおどしのものに見える。


「朋輩、恐れずお進みなさい!」


「分かってる!」


 とにかく距離をつめないことには始まらない。


 俺は一気に加速して、ディアタナに接近した。


 だが、その俺の体が一瞬止まる。


 金縛りだ。


「やめてくださいよ、女神に気軽に近づこうとするだなんて」


 ディアタナの足がふわりと上がる。その足をおろして、起点とし、飛び上がる。次の瞬間、俺は横面を思いっきり蹴られていた。


 思考は反応しているのに体はまったく動かない。そのまま吹っ飛ぶ。


「朋輩!」


 アイラルンが叫ぶ声を、俺は中空で聞いた。


 受け身も取れずに地面に叩きつけられる。


 痛み。


 それよりも強い、悔しさ。


 ――そうだった、ディアタナを相手しているときはこれがあった。


 忘れていた。


 ディアタナは俺の動きを止め、その気になればいのままに操ることもできるのだ。そんなことも忘れてうかつに飛び込んでしまった。


「くそっ……」


 立ち上がる。


 だが、そのままぐらついた。


 たぶん脳震盪を起こしている。まともに前を向けない。俺はきちんとまっすぐ立っているのか? それすら分からない。


「ふふっ、愚かですよ。本当に。ねえ、私は遊んであげているだけですよ。例えばそう――私が貴方に『剣を捨てろ』と、そう言ったらどうなるでしょうね?」


 俺の手は無意識に刀を手放していた。


「くっ!」


 慌ててそれを拾い上げる。


 そんな俺の動作を見て、ディアタナは健やかに笑っていた。その笑顔はどこからどう見ても女神のような慈悲深く、清廉潔白なものだった。


 しかし何となしの違和感がある。


 嫌な笑顔じゃない。なのに心が騒ぐ。


 ――こいつは心の底では俺のことをバカにしているのだ!


「良いですよ、少しだけなら遊んであげますからね。私は女神ディアタナ、美と慈愛の女神。そこにいる因業の女神とはモノが違いますからね」


「はんっ、美の女神が聞いてあきれるぜ」


「あら、なんですって?」


「言っておくけどな、あんたなんかよりシャネルのほうが100倍美人だ!」


 ふんっ、言ってやったぞ。ちょっと恥ずかしいけどな。


 たぶん俺、いますごい顔が赤い。


「ねえ朋輩、ねえねえ朋輩。わたくしは? わたくしは?」


 アイラルンが茶々を入れてくる。


「え? うーん、同じくらい?」


 俺は呼吸を整えるように言った。


「シャネルさんとですか? それともあの女神と!」


「あっちと」


「むきー! わたくしの方が美人! 美人ですわ!」


 いやー、どうだろう。


 アイラルンもディアタナもどっちも同じような顔立ちをしているしな。というか、よく見ればこの2人、似ているのでは? なんとなくだが、いとこ同士くらいの似方をしている。


 どっちも美人系の顔立ちで、髪も金髪で長い。あと胸もけっこう大きいし、違うところといえばディアタナのほうが気持ち痩せているくらいだろうか。


 とはいえアイラルンが太っているわけではなく、ディアタナが細すぎるだけなのだが。


「………………」


 ディアタナがすごい顔をしてこちらを見ている。


 まるで部屋に突然現れたゴキブリでも見るような顔だ。おぞましさに顔を歪めているのだ。


「見てくださいませ、朋輩! あの憎き女神に精神的ダメージを与えましたよ!」


「いや、というよりこれ精神的苦痛を与えただけじゃないか?」


 たぶんディアタナのやつ、呆れるを通り越して気味悪がってる。


「貴方たちは――」と、ディアタナは吐き捨てるようにつぶやく。「何をしにここに来たのでしょうか?」


「決まっていますわ!」


「おうよ!」


 と、威勢よく答えてみたものの。何しにきたのかと改めて聞かれれば困ってしまう俺である。


 ディアタナを殺しに来た、というのも少し違う気がするし。


「わたくしたちは、貴下に復讐をしにきたんですわ!」


 おお、なるほど。


 アイラルンのことを初めて頭いいと思えたぞ。


 たしかに復讐だ、これ以上分かりやすい言葉などない。言われてみればそうだ、難しく考える必要はない。アイラルンはディアタナに復讐をしにきた。


 さしずめ俺はその手伝いだな。


「でしたら、せめてもう少し真剣にやってください。不愉快です」


「知りませんの、ディアタナ――」


 アイラルンは、ディアタナのことを呼び捨てにした。


 ディアタナの片眉が上がる。怒っているのだ。


「――人間という生き物はどんな状況でも前を向ける。笑える生き物なのですわ。ですからこうしてわたくしも、それに習って笑っているのです」


「バカバカしい」


 ディアタナは無表情だった。


 しかしアイラルンは笑っていた。


 俺はどちらといえば、笑顔の女神に好意を持つ。


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