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715 張り切って朋輩


 何もない空間を俺たちは歩いている。


 どこに向かっているのか、それすらも分からずに。


 アイラルンはしかし迷いのない足取りだった。


「さっきの、恨んでいるっていうのは?」


 会話がないのがどうにも気まずくて、俺は質問をする。


「ああ……あれは。そうですわね、朋輩にも話しておきましょうか。貴方にだって関係のある話ですわ」


「俺にも?」


「わたくし、女神ですわ」


「そりゃあ知ってる」


「ディアタナがこの世界を統べるように、わたくしにも統べる世界がありましたわ。その昔の話ですわよ?」


「ほう、そりゃあ初耳だ。あんたはそこでじゃあ、邪神じゃなくて普通に女神として崇められ、讃えられていたわけか?」


「いいえ」


 なんだそりゃ。


「でもディアタナはこの世界だと押しも押されもせぬ唯一神だろ? そりゃあアイラルンっていう邪神がいるわけだけどさ。いや、べつに俺はあんたのことを邪神って思ってるわけじゃないよ」


「いいんですわ。この世界ではそういうことになっておりますし」


「……あれって、なんでなの?」


 べつにアイラルンをわざわざ邪神にする必要はない気がする。


 ディアタナという女神が唯一無二の神であるならば、それに対抗する存在などそもそもこの世界に概念として存在させなければいいのではないだろうか?


 少なくとも、この世界の全ては女神ディアタナが作り出したもののはずだ。


 それともそういうことはできなかったのだろうか。


「愚民を統制するには分かりやすい敵役を作るのが一番簡単、ということですわ。人がたくさんいればそこには上下関係だって生まれます。水が高きから低きへと流れるように、人は人を迫害し、蔑ろにし、傷つけて、そして満足する」


「満足すれば暴動もおきない、か?」


「そういうことですわ。この世界において女神アイラルンとその信者を悪者にさえしておけば、方々丸くおさまります。一部の人間に悲しさを押し付けることによって、大多数の人間を幸せにする。ディアタナがやっているのはそういうことですわ」


「最大多数の最大幸福ってやつか?」


「それより酷いですわ! 弱者を不幸にして得られる幸福を謳歌しているだけですわ!」


「だからあんたはディアタナが嫌いなのか?」


「嫌いですわ。それに、あの女神はわたくしを騙しました!」


「騙した?」


 アイラルンの足は早かった。


 とはいえなにもない空間、歩いているのか止まっているのかは定かではなく、ただアイラルンが俺の少し先にいて、俺が足を早く進めないと離される=アイラルンの姿が遠くなるというだけなのだが。


「あの女は、あの女はわたくしを!」


 アイラルンは肩を怒らせて早足で前に進む。


 俺はそれについていく。


 俺はアイラルンとディアタナの関係性を本当のところ言うとよく知らない。


 この2人がどうしていがみ合っているのか。


 いいや、そもそもいがみ合っているのだろうか? アイラルンの独り相撲ではないだろうか。そういうことの何もかもが分からないのだ。


「アイラルン、あんたらの関係ってなによ?」


 アイラルンは立ち止まる。


 そして「誰にも言わないでくださいませ」と、絞り出すような声で言った。


「ああ、言わない。そもそも言う相手なんていない」


 アイラルンは振り返る。そして、吐き捨てるように言った。


「わたくしと、女神ディアタナは友だちでした」


「友だち?」


「……いいえ、親友と言い換えても良かったかも知れませんわね」


「マジでか?」


 アイラルンとディアタナが仲良く手を取り合って笑い合っている姿なんて、逆立ちしても想像できない。


 相性は最悪だと思うのだが。


 けれど、そういうデコボココンビだって存在するかもしれないが。


「けれどあの女はわたくしを裏切りました!」


「何をされたんだ?」


「あの女はわたくしのことを友人だとなんて微塵も思っていなかった! わたくしを利用しただけなのです! それで、それでわたくしたちは――わたくしの可愛い世界にいた人たちは全て――貴方だって!」


「待て。待ってくれよアイラルン。事情がよく分からない、分かるように喋ってくれ」


「――ッ! 言い過ぎました、朋輩。忘れてください」


「忘れろって、ここまで言われて忘れられるわけないだろ。俺はニワトリじゃないんだから」


「それでも忘れてくださいませ。全てが終わったら、ちゃんと説明しますので」


「終わったらな、頼むぞ」


「……はい」


 俺はいまアイラルンを信じるしかない。


 そもそもここまで一緒にやってきたのだ、いまさら何があっても俺はこの女神と対立することはないだろう。私たち、ズッ友だよ! ん、これって死語か?


「それで、アイラルン。俺たちはあとどれくらい歩けば良いんだ?」


「もう少しですわ」


「もう少し……ねえ」


 本当にもう少しなのかな?


 そう思っていると、アイラルンが立ち止まった。


「つきましたわ」


「え、もうついたのか?」


「はい。ここですわ、この先にあの女がいます。女神ディアタナが」


 この先って……。


 この何もない空間に先も後もないだろう。しかしアイラルンがそう言うのであれば、そうなのだろうな。


「で、どうやってその先とやらに進むんだ?」


 行き止まりとは思えない。


 とはいえこの場所から次の場所へなんて到底行けそうもない。


 さてはて、どうしたものか。


 アイラルンは先程の態度とは一転、ニコニコしている。


 俺はなんとなく嫌な予感がした。


「それでは朋輩、張り切っていってみましょ~」


「どこへ?」


「この先へですわ! いやぁ、あのこんちきしょー女神は堅牢に堅牢を重ねたような防壁を張っていますわね」


「そうなのか?」


 よく分からないが、家の中に閉じこもって鍵を閉め切っているようなものだろうか。


「けれど朋輩、貴方でしたらこの防壁を開けゴマ、と開けることができますわ!」


「はあ……俺が頼りか?」


「頼られるのはお好きでしょう?」


「間違っちゃいないけどな」


 それでどうすれば良いんだ、とアイラルンに聞く。


 アイラルンは俺の刀を勝手に抜いた。


 それをかかげてから、


「隠者一閃ですわ!」


 と宣言してみせる。


 なんだか彼女の態度は少しのやせ我慢を感じた。もしかしたらアイラルンも不安なのかもしれない。これからディアタナと対峙することが。


 だからこそ無理にでも笑っている。


 そういう態度が取れる人間は、強い。


 俺とは違う。俺はどうしても一度落ち込むとグダグダと落ち込み続けるからな。


「だいたい察したよ。俺がやれば良いんだろ」


「そうですわ。ひと思いにどうぞ」


 アイラルンは刀を俺に捧げるように手渡した。それを受け取って、俺は二度手間。また鞘の中に戻す。


 どういうやり方だろうと必殺技は撃てるけれど、様式美というものがある。


 やっぱり居合いでやった方が力もこもるというもの。


「行くぞ」と、俺はアイラルンに言った。


「はい、どうぞ。全部切り裂いてしまいましょう!」


 できるかな、と一瞬だけ思った。


 けれど俺はすぐに思い直す。


 できるさ。できないなんて思っちゃったら、できることだってできなくなる。そうだろう? シャネル……。


「隠者一閃――」


 俺は気合を入れて、叫びながら刀を抜き去る。


 その切っ先は何もない空間を力強く切り裂いてみせた。


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