071 白いドレスと赤いバラ
台風の目って、意外と風が吹いてないっていうよね?
たぶん俺たちがいまいる場所もそういう目のような場所。気を抜けば俺たちがミラノちゃんをかくまっているなんてこと忘れちゃいそうな、普通の日常。
そりゃあ最初の日くらいはいつ敵が乗り込んでくるかとビクビクしてたもんさ。
でもそんな日が2日、3日と続くと人間慣れるものだ。
さすがにミラノちゃんを家から出すわけにはいかないが、それ以外はごく普通の生活が送れている。
だが問題が一つ。
ここのところ、シャネルとどうもギクシャクしているのだ。
理由は分かっている。
ミラノちゃんだ。
今までずっと二人っきりで過ごしてきた俺たちだ。その関係はあるいは熟年夫婦のように安定したものだった。
そこにミラノちゃんという新たな存在がまぎれこむことで、どうにも今まで通りにシャネルと接することができない。
めちゃくちゃ簡単に言えば、シャネルと話すのが恥ずかしい。
第三者がいるというだけで、俺はシャネルを今まで異常に意識しているのだ。
「ねえ、ちょっと。ミラノちゃん」
「なんですか?」
「これ、これ着てみて」
俺は暇だなあ、なんて思いながら藁束に寝転がっている。
ミラノちゃんが家から出ない以上、俺たちだけ遊びに行くのも気がひけるのだ。とはいえシャネルはそんな心遣いなんてないから、一人で街に出かけているみたいだが。ま、それも情報を集めたりと、何かと彼女にしかできないことをやっているらしく――
「どうかしら、似合うと思わない?」
「こういう服装はちょっと……可愛すぎて」
「あら、そう?」
「シャネルさんなら似合うかもしれませんけど……私には……」
「そんなことないわよ、それとも着てみたくない?」
「着てみたい……です」
なんの話しをしているんだろう、と二人の方を見る。シャネルが白いゴスロリ(白い場合はシロロリと言ったりするらしい)のお洋服を持っていた。
どうやらそれをミラノちゃんに着せようとしているらしい。
「着せ替え人形じゃないんだから」
と、俺はシャネルに釘を差す。
「あら、でもミラノちゃんも着たいって言ってるわよ」
「そうなの?」
恥ずかしそうにミラノちゃんは頷く。
たしかにミラノちゃんの格好っていったらあんまり可愛らしくない、とりあえず着ていますみたいな服だものな。
「この服、良いかなーって思って買ってみたんだけどやっぱり私の趣味じゃなかったから、ミラノちゃんにあげるわ。着てみて。ね?」
「は、はい」
シャネルがじっとこちらを見てくる。
「なに?」
「もう、鈍いのね。シンク、一回外に出ていてよ」
「あ、そうか。すまんすまん」
そうだよな、今から着替えるんだものな。
というか俺、シャネルが着替える瞬間というものを見たことがない気がするぞ。あいついつ着替えてるんだ? 基本的にシャネルの生活に関しては一緒に暮らしているにも関わらずミステリーなのである。
俺はそそくさと部屋を出る。
「ふう……」
なんだか妙な気分になってきた。
だって考えてもみろ、俺はこの世界に来てほとんど一人の時間なんてないんだぞ。
つまりはそういうこと――そういうこと――をする時間もないのである。その俺に対して、シャネルはいつも抱きついたりして、もう拷問ですよ。
いつか押し倒してしまいそう。
ま、そんな度胸もないんだけどさ。
にしてもミラノちゃんの着替えか……。
シャネルと違ってミラノちゃんはロリなのに胸があるからな。かなり良いぞ、うん。見てるだけで興奮するというもの。
「いかんいかん、あんまりエロいことを想像するべきではない」
俺はそんな不純な考えを振り払うように首を振る。
うん、俺って禁欲的な男だね!
アパートの裏にある井戸へ行き顔を洗う。ミラノちゃんは外に出られないので、ここの水で体を洗ってるらしいけど……なんだか可哀想だな。
近くに公衆浴場もあるんだけどね。俺やシャネルはよくそこに行く。
それで思うのは、この世界に衛生観念ってものがあって良かった、ということ。なんだか中世のヨーロッパって汚いイメージじゃん? ペストとかコレラとかさ。でもシャネルの話しでは昔はそういうのも流行ってたらしい。
教会で一番えらい教皇様が今の人に変わってからは、かなり改善されたとかなんとか。
風呂に入るのが禁止されてた時代があるだなんて信じられない、風呂って普通は入るものだろ?
「こんにちは」
隣人である兵隊に挨拶される。
たしか愛人と会うためにこのアパートを借りている男だ。
「こんちは」
俺はあまり話しかけられたくないなあ、と思いながら挨拶を返す。
でもそんな雰囲気をまったく察してくれなかったのか、兵隊の男はニコニコと笑いながら俺に近づいてくる。
まだ若そうな男だ。二十代は中盤から後半くらいだろうか? とってつけたようなスマイルを浮かべている。
「おさかんですね」
「はい?」
なんのことだか分からない。
「二人も連れこんでやりますね」
「いや、そういうわけじゃあ……」
「自分もあやかりたいものです」
なんだ、こいつ?
ちょっと腹がたってくるぞ。なんていうか、こういういかにもモテそうな男って嫌いなんだよな。いや、俺がモテないからって意味じゃないぞ?
でも嫌い!
「そっちこそ、わざわざ二人の愛の巣まで借りて。ずいぶんと楽しそうですね」
ちょっと嫌味っぽいかな、と自分で思いながら言う。
男は照れたように頬をかいた。
「ああして二人もいたら大変ですよね。どうですか、どちらが本命なんですか? やっぱり先にいたほう?」
「本命もなにも――」
そりゃあシャネルのことは好きだ。
ミラノちゃんも可愛いと思う。でもやっぱりシャネルに関しての気持ちとは違う気がするな。恋とかじゃなくて、単純に好きというか。可愛いなとは思うけど一生一緒にいたいとは思わない、みたいな。
いや、じゃあシャネルとこの人生を添い遂げたいかと言われれば、また違う気がするのだが。
……あれ?
「どうしたました?」
俺がよっぽどおかしな顔をしていたのだろう。
「い、いえ……」
そういえば俺とシャネルって付き合ってるのか?
恋人、なのか?
なんかいつも有耶無耶で流れたけどそこらへんかなり怪しいぞ。
「あ、もしかしていまの恋人関係にお悩みですか?」
「いや、そういうわけでも……」
ニコニコ笑いながら兵隊の男は言う。
なんだよこいつ、兵隊のくせに軽薄なやつ。
「そういう時はですね、プレゼントですよ」
「プレゼント?」
「はい、自分の場合は仲が険悪になりそうだったらプレゼントで誤魔化しますね」
「ほうほう」
あれ、こいつ結構良いやつかも?
「女の子は喜びますよ、プレゼント」
「ちなみにどんなものがオススメ?」
いちおう聞いてみる。
いちおうね。
「なんでも。簡単なもので良いんですよ。女の子からすればもらったという行為で嬉しいんですから。でも強いていうとそうですね……花なんてどうですか?」
「そりゃあ良い、そこらへんに生えてるし」
「いえいえ、ちゃんと花屋で買ってくるんですよ。ラッピングされているだけで全然違って見えますからね」
「はえー」
そういうもんなのか。
アパートの中から女が出てくる。眼の前にいる兵隊の愛人だ。
「ではこれで」男は俺に顔を近づける。「女性の準備って長いですよね」
たしかに、と俺は頷いた。
男が去っていく。
うーん、人は見かけによらないというのか? けっこう良い人だったな。
プレゼントが良いか、最近シャネルとあんまり二人っきりになれないしな……そういうのをあげるのも良いかもな。
そしたらお前――
『きゃあシンク、プレゼントなんて素敵! シャネル感激だわ、シンク大好き!』
なんてなるのか?
いや……ならないな。
うーん、でも!
よしと思って俺はそのままアパートの敷地内を出る。
花屋ってどこかな?
キョロキョロとあたりを見回す。もちろん花屋なんて行ったことないけれど、何度か街を歩いている時に見かけたことがある。
その記憶を頼りに歩く。
花屋、花屋、花屋……。
探していると奇跡的に花屋を発見。というよりもパリィの人は花屋とカフェが好きらしくそこかしこにあるようだ。
俺は先に靴下の中から小銭を取り出しておく。たいていこれを見た人は変な人間でも見るかのように嫌な目を俺に向けるからな。
それにしても小銭、けっこうなくなってるな。
金貨が1枚、それと銀貨が2枚。銅貨が1枚。
しかし花屋に行ったはいいが、どんな花を買っていけば良いんだ?
『朋輩、そういうときはバラの花が良いですわよ』
どこからともなくアイラルンの声が聞こえてくる。
というよりも脳内に直接語りかけてくる。
「バラか……」
知ってる知ってる、あの漢字が難しい花だろ。
「なにかお探しですか?」
女性の店員さんに声をかけられた。
「あ、あの。バラの花を一輪ください」
なぜだろう、バラの花が欲しいというだけなのにとてもつもなく恥ずかしいぞ。
「バラですね。お兄さん良かったですね、今の時期は出始めですから、20スーで良いですよ」
でたな、よく分からない単位。
「フランだといくらですか?」
「え? フランだと1000フランですけど」
つまり1000円か。
うーん、安いか高いのか分からねえな。
たしか小さめの銀貨1枚で1000フランだったはずだから、俺は銀貨を手渡す。
「はい、ありがとうございます」
店員さんは店の中にいくと、赤いバラを一輪手に取る。手早くラッピングしてリボンを結んでくれた。
「大切な人へのプレゼントですか?」
「ま、そんなところです」
「喜ばれますよ」
店員さんはお愛想ではなく、たぶん本心からそう言ってくれた。
だから俺も、
「ありがとうございます」
と本心から言えた。
『朋輩も粋なことができるようになりましたわね』
アイラルンの声。
「うるせえ」
と、小さな声で独り言のように呟く。
『あとはそのプレゼントを渡すだけですわね』
「それくらい簡単さ」
『さて、それはどうでしょうか? わたくしは楽しみにしておりますわよ』
アパートに帰り、自分の部屋へ。
そこに来てやっとアイラルンの言葉の意味が分かった。
――あれ、俺この花をどんな顔して渡せばいいんだ?
なんだかその気になってプレゼントなんて買ってきたが、いきなり渡すのっておかしくないか? 今日ってシャネルの誕生日でもなんでもないよな?
は、恥ずかしい!
なんだこれ、キザすぎるだろバラの花を一輪って!
告白でもするつもりか、俺は!?
だからと言って捨てるのももったいないよな。
どうしよう。
部屋の前で並んでいると、中から声が聞こえた。
「シンク、帰ってきたの?」
「あ、ああ」
「もう入っていいわよ、着替えもとっくに終わってるし」
「じゃ、じゃあ。おじゃまします」
俺はおずおずと部屋の扉をあける。
「なあに? よそよそしいわね」
シャネルは不思議そうな顔をしている。
「いや、まあ」
「見てあげてよ、ミラノちゃん可愛いわよ」
「へ、へえ」
俺は後ろ手にバラの花を隠している。
部屋の中央ではミラノちゃんがまるで花嫁のような白いゴスロリドレスを着て立っていた。
「あ、あの……おかえりなさい、です」
恥ずかしそうにそう言ってくる。
俺は言葉を失った。
たしかに、可愛い。きれいというか、可憐というか、見ているだけで自然に頬が緩む。
思ったよりも胸元が開いている服だ。しかもスカートが異常なほどに短く、なおかつスリッドまで入っているではないか! ちらちらと見える赤い布はあれ、下着でしょうか!?
「恥ずかしいです、シャネルさん……」
ミラノちゃんは顔を真っ赤にしている。
たしかに恥ずかしいよな……。
だって露出多すぎだろ!
「可愛いわよ、ほらシンクも見とれてるわ」
と、言いつつもシャネルが俺を見る視線はどこか冷たい。
「ね、可愛いわよね?」
と、俺に同意を求めてくる。
「ああ、可愛い」
とりあえず同意。
「そ、そうですか?」
ミラノちゃんは嬉しそう。
それに対してシャネルの目の温度がまた下がったように思える。
え、なんで怒ってるの?
もしかしてあれか? 嫉妬か?
「シンクは可愛いの、好きだものね」
「なんで怒ってるんだよ」
「べ・つ・に」
やっぱり怒ってるよな。
えー、これが女の理不尽というやつか? いやいや、シャネルが『可愛いよね?』って同意を求めたから同意しただけでしょ。じゃあなにか、『キミのほうが可愛いよ』なんて、そんな頭がわいたようなセリフ言わなきゃいけなかったの?
それはそれでミラノちゃんに失礼だろ。
「あれ、シンクさん。なに持ってるんですか?」
シャネルちゃんが俺の持っている花を不思議そうに見る。
「ああ、これか」よし、この勢いで。「はい、シャネル。プレゼント」
「え、私に? なんで?」
「いや、まあ……」
シャネルは一輪のバラを見てぽわっとした顔をしている。
「良いなあ……」
ミラノちゃんも羨ましそうな顔をしている。
え、ただの花でしょ?
「も、もう。シンクったら……。こんなことでご機嫌取りのつもり?」
というわりにはシャネルのやつ、嬉しそうである。
なんだか花の一つでここまで喜んでくれるんならかなりコスパ良いんじゃないか? 世の男性はもっと花のプレゼントを取り入れるべきだろう。
「二人共、素敵な仲なんですね」
ミラノちゃんは両手を組んで嬉しそうに笑う。
その瞬間、ふとスカートがまくれた。
あ、赤かった。まるでバラのような色だ。
ポコリ、とシャネルに叩かれた。
「エッチ」
「不可抗力!」
ミラノちゃんは顔を真っ赤にしてその場にしゃがみこんだのだった。




