710 五行魔法を使おう!
シャネルとアイラルンは向かい合って喋っている。
中央にある火はパチパチと音をたてて燃えている。たぶんシャネルが魔法で出した炎。不思議な優しさのある炎だった。
『心配ですよね、そうですよね』
『なによ、その顔。バカにしているの?』
『そんな、まさか!』
『じゃあ、どうして笑顔なのよ』
俺とガングーは2人の会話を聞きながら、どこかそわそわとした気分になっている。
アイラルンが何を考えているのか、だいたいは分かっているつもりだ。
「こっちに来るな」と、ガングー。
「たぶんね。アイラルンの目的が何なのかはいまをもって分からないけど、とにかくこの場所に来なくちゃ話にならないんだろ?」
「そうだな」
「ちょっと待って。そういえばディアタナってどこにいるんだ?」
あの女神は俺をこの場所においやって、それから姿を見せない。
俺のことをすでに始末したと思っているのだろうか。俺の自己があのなにもない空間で崩壊してしまった、と。だとしたら舐められたものだ。
「さあな、しかしこの場所は高次空間とでも呼ぶべき場所だ。こことは地続きのどこかにいるのだろう。あるいは、これよりも上の次元があるのかもしれない、そこまで行くと俺はにはお手上げだ」
「ふうん」
「ときどきだが、そうだな、5年に一度くらいか? あの女神は俺のところに来ることがあった。べつにそれ自体にはなんの意味もない暇つぶしのようなものだっただろうがな」
「それで、何をしてたの?」
「ただ、少し話をしていたくらいさ。他愛もない話だ。とはいえ、ここ数十年はそれもない。おそらくアイラルンの暗躍があって、忙しくなっているんだろうな」
「シャネルのことをバグというけれど、アイラルンの方がよっぽどバグじゃないのか?」
ガングーは小さく笑った。
「そうだな」
そのアイラルンは、どうやらシャネルに俺のことを伝えているらしかった。
『朋輩はいま、憎きディアタナに捕らえられております』
『なんですって?』
『きっといまごろ1人で寂しい思いをしておりますわ』
『行かなくちゃ、すぐに!』
『とはいえ、行く方法が……』
アイラルはいかにもわざとらしい様子で頭を抱えている。
こちらからすればアイラルンが何をしようとしているか分かっているので、その大根役者っぷりには不快感さえ覚える。
「けっきょく、アイラルンは自分の力ではこっちに来られないから、シャネル・カブリオレの五行魔法に頼るしかないんだ」
「シャネルは首を縦にふるだろうな。俺のためだってんなら」
「愛されてるねえ」
ガングーはからかうように笑いかけてくる。俺は唇をとがらせる。
恋人との関係をからかわれるっていうのは、恥ずかしいものだ。
そういえば学校に通っている頃は、付き合ってもかたくなにそれを隠すカップルとかいたよな。ああいうの、どうしてかなって思っていたけど、なるほど。からかわれるのが恥ずかしいからか。
学校に通っていた頃なんて、もうすでに俺にとってそれははるか遠い過去であるが。
『シンクはどこにいるっていうの? 五稜郭にいるわけじゃないの?』
『いいえ。おそらく、朋輩は五稜郭においてその復讐を完遂しております。しかし、その後にディアタナによって連れ去られております』
『どこへ?』
『ここではない高次元の場所、とでも言うべきでしょうか。少なくとも歩いて行ける場所ではありませんわ』
『じゃあどうするの? なにか方法はないの?』
アイラルンがほら来ましたわ、と口の端をつりあげる。
『一つだけ、方法はありますわ』
『じれったいわね、すぐに教えなさい。シンクを助けにいかなくちゃ』
『簡単です、この世界に扉を開けてあちらの世界とつなげるのです』
そんなことが本当にできるのだろうか、と俺はアイラルンの話を聞きながら思った。
けれどシャネルはそんな弱気なことは思っていないようで。
『世界に扉を開ける? 難しそうだけど、やってみましょうか』
と、乗り気に見えた。
『え、シャネルさん、やるつもりなんですか?』
『なによ。貴女がその方法ならできるって言ったんでしょ?』
『それはそうですが……普通なら世界に扉を開けるなんて言われても、意味が分からないと思うのですけど』
『だからさっさと教えなさいよ、その意味を。やるかやらないかで言ったら、やるわよ。シンクのためだもの。やれるかやれないかはその後でしょう?』
『す、すばらしい考えですわ』
アイラルンもまさかシャネルがここまで前向きというか、物分りが良いとは思っていなかったのだろう。むしろシャネルの勢いに気圧されているように見えた。
「あんたも――」と、俺は隣にいたガングーに聞く。
「ん?」
「あんたも、シャネルくらい前向きだったか?」
「そうだな。ただここまで強靭な精神は持っていなかったと思うがな」
「ふうん」
不思議なくらい、俺はシャネルを信じていた。
たぶんシャネルなら五行魔法だろうとなんだろうと、本当に使えるのだろう。
使っているところは見たことがないが、きっと彼女なら大丈夫だ。
『早く教えなさいよ、その方法とやらを』
『ええっと、とりあえずシャネルさん。杖を出してくださいませ』
『出したけれど』
シャネルはスカートの中のどこかへ杖を収納している。
その場所を俺は実際に見たことがないので、有る種のミステリーである。
『それでですね、五行魔法を使っていただけますか』
『はい? 何を言っているのかしら』
『それで、あっちの世界とつなげて欲しいのです。座標が分からないでしょうから、そこは女神であるこのアイラルンがサポートしますので』
『簡単に言ってくるわね』
俺はシャネルが来てくれるということが嬉しくて、少しだけワクワクしてしまう。
「さて、こっちも準備をしておくか」
「準備?」
ガングーが手をかざすと、先程のスクリーンのように中空にキーボードが現れた。キーボードと言っても楽器の方ではない。パソコンに対する入力機器の方だ。
しかしながら、ガングーはそれをシンセサイザーのように自分の周り三方に出現させる。
「それで何をするんだ?」と、俺は聞く。
「おそらくディアタナは、シャネル・カブリオレの妨害をするはずだ。それに対してこちらからもアクションをかける」
「えーっと?」
俺は首をかしげる。
意味が分からない。そのキーボードで何ができるのだろうか。
ガングーはキーボードに手をやりながら、こちらを見て笑った。
「格好いいだろ?」
「なんかSFのハッカーみたいだ」
「だろう? 好きなんだよ、SF作品が。転生するなら、本当はそういう世界が良かった」
「そうなの?」
俺はこういうファンタジー世界で良かったけど。
でも人は自分の手に入らなかったものを求めるものかもしれない。この世界で成功者として君臨したガングーと言えど、そういった手に入らなかったものを求める気持ちはあるのかもしれないな。
人間臭い、と思った。
「もっとも、この世界だからこそ出会えた仲間や友人もいるがな」
「そうだな」
嫌いじゃないな、そういう考え方は。
俺はいままでガングーを伝説的な人物だと思っていた。
完璧超人で、英雄で、俺たちとはまったく別の人間だと。というよりも人間だとすら思っていなかった。
けれどこうして見れば……ガングーだって1人の人間なのだな。
「榎本シンクくん、サポートしてくれ」
「ど、どうやって?」
「応援してくれ、それだけで良い」
え、それだけで良いの!
「ええっと……頑張れ?」
ガングーはふと笑った。
「任せたまえ」
なんか知らないが、やる気が出たらしい。




