707 ガングーのスクリーン
スクリーンいっぱいに映し出されたのは、シャネルの胸だった。
「てめえ、なに見てんだ!」
ガングーにつめよって、思わず胸ぐらをつかんでしまう。
「誤解だ。べつに俺が設定したわけじゃない。たまたまこういうアングルだっただけだ」
「本当か!」
「嘘は言わない、信じてくれ」
俺はガングーを掴み上げていた手を離す。
少し興奮しすぎたようだ。
「いや、ごめんなさい。こっちも焦った」
スクリーンはスマホを叩きつけたときに同時に消えていた。
「いや。いいんだ。アングルは変えられるからな。ああ、壊れてるな」
ガングーはスマホを拾い上げる。その画面はバキバキに割れていた。
「弁償するよ、本当にごめん」
「構わない。ここでは何でも作れると言っただろ。スマホの一つや二つ作れるさ」
そう言ってガングーはすぐにもう一つスマホを作り上げた。ちゃっかり新型のスマホになっている。背面のカメラが三つ、三角形に並んでいる。
「とりあえずもう一回見せて。でもあんなシャネルの胸のどアップは嫌だよ」
嫉妬しちゃうからね。
というか本当はシャネルのことを見てる、というのすら嫌なのである。
なんていうの、いくら相手があのガングーといえどそれは盗撮に他ならないわけで。
「ちなみに、榎本シンクくん。俺はシャネル・カブリオレの肉体にはなんら興味がない」
「はい?」
なにを言っているのか、一瞬分からなかった。
けれどすぐに理解する。
「つまりだな――」
「たとえば、着替えの場面とか、お風呂の場面とか、そういうものは見ていない、と?」
「そういうことだ。もちろんキミとの夜の場面もな」
「そんなのありましたか?」
「一歩手前まではな」
「やっぱり見てるじゃん!」
ガングーはニヤリと笑った。それは俺に対してもっと頑張れよと励ますような笑い方だった。
俺はなんとも言えない気まずい思いをする。
俺が意気地なしで、シャネルと最後の一線を越えられていないということをこの人も知っているのだ。
「それにしてもこのスマホ、そうか、カメラが多いから画質も良いのか。立体視のようなこともできるのか……ガワだけ真似ても中の性能を知らないからな。再現もできないな」
話を変えるようにガングーが言う。
「画素数が多い、ってのはウリだからね」
「性能は大切だよな――こんな話を聞いたことがある。男というものは機械の性能を重視する。だが女というのはその機械につまる思い出を重視する。つまりスマホで例えるなら、男が気にするのはコア数や画素数なわけだ。CPUのベンチマークなんて聞いたらワクワクするだろ?」
「まあ」
「だけど女が気にするのは、そのスマホで何をしたのか。たとえばどんな写真を撮ったのかだとか。キミは友達がスマホを買ったときに、どんな写真を撮ったかなんて気になるか?」
「いや……友達いなかったから」
「そうか、それは悪いことを聞いたな。さて、なんの話だったか?」
「カメラの画素数?」
「じゃなくてだな。シャネル・カブリオレの話だったな。とりあえず彼女の現状を見るとするか。なに、大丈夫さ。彼女は強い子だよ」
「そりゃあ知ってるけど」
あらためてスクリーンが出た。
座れよ、とガングーが言うので俺はまたテラス席に座った。天気が良い、雲ひとつない青空だ。この空の色もガングーが作っているのだろうか?
「映すぞ」
「はい」
画面にはシャネルが映った。
シャネルはどこかの山中で焚き火をしているようだった。パチパチと燃える炎を青い瞳で眺めている。口元が少しだけ、不機嫌そうに曲がっていた。
「怪我は……なさそうだな。ここはどこだ?」
「キミが別れた場所さ」
「え? ああ、ジャポネか!」
俺は寝ているシャネルを置いて、五稜郭へ向かったのだ。
あのときは夜だった。
あれからずいぶんと時間がたった気もするが、いまはまだ夜らしい。
もしかしたらシャネルは起きていたのだろうか。俺が出ていくときに。
『どうしてついていかなかったんですか?』
と、声がした。それはアイラルンの声だった。
画面の中のシャネルが顔をあげる。
『だって、シンクが1人で行きたがっていたから』
やっぱりシャネルは起きていたのか……。
そうだよな、俺はシャネルが寝ているところなんてほとんど見たことがない。あれは狸寝入りだったのだろう。
「アングルも変えられるが、どうする?」
「変える?」
スクリーンにはアイラルンの横顔が映った。
少しバカっぽい顔をして、焚き火に棒を突っ込んでいる。焼き芋でもやっているのだろうか。
「こっちはいらないんだけど……」
「マルチアングルだぞ? すごくないか?」
「いやあ、アイラルンはいいよ。興味ない」
俺がそう言うと、アイラルンがこちらを見た。完璧なカメラ目線だ。
え? と、俺が思うと、アイラルンもえ? という顔をした。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと! これアイラルンこっち見てないか?」
「見てるな。あれも女神だからな、分かるんだろ」
「すごいな。どうなってるんだ、これ」
ちょっと手を振ってみる。
するとスクリーンの中のアイラルンも手を振り返してきた。
「なにやってるんだ」と、ガングー。
『なにやってるのよ、アイラルン』とシャネル。
「いや、本当に見えてるのかと思って」
『いえ、ただ朋輩が元気かと思って』
俺たちはそれぞれが同じようなことを言う。
『シンクは元気よ、きっと。もうすぐでひょっこり帰ってくるわ。「やあ、シャネル。今日も素敵だね」なんて言ってね』
俺、そんなこと言うか?
『信じているのは素晴らしいことですわ。ただ、少しまずいことになりましたわね』
『まずい?』
『はい。説明しますよ、いまから』
シャネルは元気そうだ。
あと、いちおうアイラルンも。
「安心したか?」
「うん、だいたいね。ディアタナがシャネルたちの方にもちょっかい出しに行ってるのかと思ったんだ」
「あの女神もそんなに暇じゃないだろうさ。それに、シャネル・カブリオレには手を出せんだろうしな」
「え? そういえばガングーさん」
「ガングーで良い。というかキミはさっきから俺のことを『あんた』と呼んでいただろう。あれで良いよ」
「いや、いちおう年上かと思って」
「そうだな、500歳ほどな。けれどここじゃあそんなものは関係ないよ。2人きりだ、無礼講といこう」
「はい。じゃあガングー、あんたはシャネルの何を知ってるんだ?」
「強いていうならば、全てかな。俺は彼女が生まれたその時から、ずっと見ていた。兄であるココ・カブリオレについてもな」
「楽しかった?」
「まあ、暇はしなかったな。そのココ・カブリオレについては、ずいぶんと因業な人生を歩むことになったが……しかしその最期については、幸せとはいえないものの満足のいくものだったと思うぞ」
「うん」
ココさんは死んだ。
シャネルをかばうようにして。
シャネルはそれまでずっと、ココさんを憎んでいた。家族を――村の人々をココさんに殺されたから。けれどそれは仕方のないことで、ココさんはむしろシャネルだけは守り通したのだ。
そういうことに気づけば、シャネルだってココさんへの復讐心をなくすというもの。
ああ、そうか。
俺たちの旅はすでに2人とも終わっていたのか。
5人の俺をイジメていた人たちに復讐した俺と、じつの兄であるココさんへの復讐心をなくしたシャネル。
あとは幸せになるだけだったのに――。
「帰らなくちゃ」
と、俺は思った。
この感情はホームシックのようなものだ。
俺はいま、途端にこの場所に閉じ込められているのが不安になってきたのだ。
「そうだな、キミは帰るべきだ」
とガングーは真っ直ぐに俺の目を見た。
その眼差しの強さに、俺は男であるけれど、照れてしまう。
「このガングー・カブリオレも協力しよう。榎本シンクくん。いい加減、あのディアタナとかいう女神に思い通りにされるのにも腹が立ってきたところだしな」
俺たちは頷き合った。
この場所から出なければ。
そしてシャネルの元へ戻るのだ。




