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704 自己のある場所


 想像してみた。


 自分とまったく同じ自分がそこにいる。


 その自分は俺のことを全て理解しており、その自分も俺のことを全て理解している。


 しかし俺はその人のことを、なんとなく他人であると思った。


 自分を全て理解してくれる、他人。


 そういう存在だと。


「他人だろう」と、俺は苦しくも答えた。


「ほう、他人とな?」


「上手く言葉にはできないんだけど、そういう感覚がある。こういう答えって卑怯かな?」


「いいや。感覚は大切だ、それがキミの答えなのだからな。では榎本シンク、どうして他人だと思うのだ? 少しだけでもいいから、言葉にしてみてくれ」


「えーっと、なんでだろうか。たぶんだけど、その存在が生まれた瞬間はたしかに俺とそのもう1人の俺は同じ人間なのだと思う。けれど顔を突き合わせてしまうともう無理だ」


「顔を突き合わせて――話をせずとも、例えば目が合うだけでもか?」


「うん。ああ、分かったぞ。そいつの存在を認識したそのときから、そのもう1人の自分は他人になるんだ。いくらその人のことを全て理解していたとしても、俺は他人だと思う」


「なぜ?」


「えーっと、溢れちゃうんだろう」


 俺はそう言った。


 しかし俺の話を聞いてくれている声の男は、その言葉の意味がいまいちよく分かっていないようだった。


 俺はなんとか伝わりやすい言葉を模索する。


「だから、その、つまり、えっと。俺が俺として自己を認識できるのは1人までなんだと思う。たぶん相手もそうだと思うよ」


「溢れる、か……なるほどな。キミはキミだけを認識して、その他はやはり他人か。どれだけ心が通じ合っていても、全てを理解していたとしても」


「だって俺じゃないからね、その人は。俺が俺として認識できるのは俺だけだよ。その他人を認識した時点で他人が生まれるんだ」


「何度も同じことを言わなくても分かるさ。なるほどな、俺とキミは違うな。俺なんかはそういう人がいれば、もうそれは自分自身であると思うのだが」


「俺とあんたは違うのか!」


 じつのところ。


 こっそり言うけれど。


 俺はこの声の主が、もしかしたら俺ではないかと思っていたのだ。


 先程からの質問で、そんな気がしていたのだ。この声はどうも自己と他者というものにこだわっているようだからな。


 それにこんなわけの分からない空間だ、俺がもう1人いてもなにもおかしくないだろう?


「思うにこれは俺とキミの出自の違いだろうな。キミは転移者だろう?」


「そ、そうだけど」


 なぜこの声の男はそこまで知っている?


 警戒するべきか?


 分からない。


「俺は転生者だ。俺は一度死んで、そしてこの世界に生まれている。自分自身が自己同一性のあるだけの他人ではないかと疑ったこともあるくらいだ」


 自己同一性?


 やばい、難しい言葉が出てきた。


「だからか、俺と同じ俺がもう1人いたとしても不思議には思わないんだ。例えば、俺はこの世界にあちらの世界の記憶を持った俺として生まれたが、他にもあちらの世界の俺の記憶を持った他人がいるかもしれないだろう?」


「だろう? って聞かれても、分からないよ」


「足が止まってるぞ。そういう人間もいるかもしれないと思ったんだ、結果としていなかったわけだがな」


「なんでいないって言い切れるんだ?」


 そういうの、悪魔の証明って言うんだろ?


 存在しないことを証明できない、ってやつ。


「いなかったのさ。全て確認した。そしてやっと俺は思ったのだ。俺は、俺であると」


「ふうん、遅いんじゃないか?」


「遅くも早くもないさ。みんなそういうことを考えずに生きているだけだ。生きることはできる。榎本シンク、キミもそうだろう?」


「そりゃあね」


 いちいち自分が誰かなんて考えない。


 いや、まあ考えたこともあったけど。中学年二年生のときとか。あとはそう、深く傷ついたときとか、人生に迷ったときとか。


「さて、だいぶ俺の場所まで近づいてきたな。もう少しだぞ」


「本当か?」


「ああ、そのまま走り続けろ。さて、最後の雑談といこうか」


「雑談だったのか……」


「キミの考えでは互いに全てを理解しあった人間であろうと他人である、ということだね。お互いに全てを分かり合っていても、自分として認識できるのは1人までだと」


「そうそう」


「じゃあこういうのはどうだ? キミと、もう1人キミの全てを理解する他人がいる。そしてキミはその他人を操作することができるんだ」


「ラジコンみたいに?」


「そう。キミの思うままに」


 そう言われて最初に思ったのは戦闘が楽そうだなということだ。


 俺が2人いたら、いままでのピンチはほとんどピンチじゅなくなるだろうな、と。でもそれは脱線した思考だろう。


「それはもう自分とか他人とかじゃなくて、ただのツールでは? 人形というかさ」


「その人形にも意思があったら?」


「いや、それでも他人だよ。というかそれこそモノだな」


「ふむ、難しいな。ではこうしよう。その人形に意思はない。キミが自由自在に動かせる。ではこの人形はキミ自身か、それとも他人か?」


「だとしてもそれはツールだな、あんたは自分が指示して動くだけのロボットを自分自身だと思うかよ?」


「そうだな。けれどこれがもし、キミの意識――自意識と言うべきか? それが人形の中に入り込んで、動かすという形ならば? キミの五感はすべてその人形にやどり、元のキミの体。いまキミが作り出したその榎本シンクとしての体は動かなくなる」


「うん?」


「そうなってくると、キミという自己はどこにある?」


「そりゃあ……人形の中か?」


 だって俺が俺と認識する意識は、その人形の中にあるのだから。


「ならばキミの意識はどこにあった? 脳か? 体か?」


「いや、ちょっと待って。話が難しい……えっと、たしかに俺の体じゃない場所に意識が移ったわけだ。そうなると、意識はそもそも肉体に宿るわけではない?」


「そう思うか?」


「もしそういうことが起こりうるなら、ね。ただ、それで自分の自意識が移ってしまったならば、そっちの新しい俺には俺と違う脳みそがあると思う。ならその脳みそから出力される考えは、いまの俺とは違うものになると思う」


「と、すると?」


「俺なんてものは存在しなくなるんじゃないか? たしかに記憶なんかも全部移ったなら、俺は俺であると思いこむだろうけど、けれど本当の俺――いや、違うな。本当も嘘もないか。えーっと、つまり元いた俺なんて存在はそこにはなくなっているんだと思う」


「人形の中に入っているのは、自分を榎本シンクだと思い込んだ他人だと?」


「そう思うね」


「だが周りの人間はきっと、そんなことになっても新しいキミをキミだと思うぞ」


「だとしても、その新しい俺は俺じゃない。やっぱり意識は、魂はこの肉体に宿ってるんだ! うん、それが結論だ。ここから出されたならば、それはもう俺じゃない」


「しかしそうなると、いまそのキミの肉体は、キミの意識が作り出した仮りそめのものだ。だというのに、キミは自分を榎本シンクだと言う。キミのいう理論では、元いた世界にあった肉体のキミだけが、キミなのではないか?」


「うっ……それを言われると、つらい」


「それに肉体というものは日々変化していく。その考えでいけば、昨日キミと今日のキミは違う人間になってしまうぞ。だって人間の細胞だって、入れ替わっているんだから。一週間前の自分といまの自分は、同じ構成で出来ていたとしてもその物質は全て違うものかもしれない」


「いい加減わけが分からなくなってきた。あんたはけっきょく、何が言いたいんだ? あんたの結論を教えてくれよ」


 男が黙った。


 俺はそれでも歩き続ける。


 たぶん、男は考えているのだろう。


「いいか、榎本シンク」と、男は言った。


「ああ」


 さて、男はどれくらい黙っていたか。分からないが、途方もなく長い時間に思えた。


「おのれは、おのれだ」


 男の言葉は、意味が分からなかった。しかし、男は真剣だった。


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