701 女神との会話
こちらへ来なさい、とディアタナは俺をいざなう。
俺の体は自分の意思とは関係なしに自動的に動いた。
「………………」
「あら、不服そうですね」
「そこに入れられたらまずいって事は分かってるからな」
「べつに取って食おうってわけではありませんよ。ただ、貴方にはこの中で永遠を過ごしてもらうだけです。そう、永遠にね」
「永遠? そんなものが存在するだなんて驚きだな」
「そうでしょう? そこに貴方を招待して差し上げますよ。さあ、こちらへ」
神社の扉の中は黒い空間。渦巻く闇はブラックホール。そんな場所に入れば、俺の体はきっとバラバラになってしまう。
なんとかしなければならないが、しかし良い案が浮かばない。
とにかく時間を稼ごうと思った俺は口を開いた。
「なあ、ディアタナよ」
「なんでしょう」
「えっと……いや、あの」
しまった、俺は口下手だった!
べつに何も喋ることがない。ここでいい感じにトークを展開して突破口を、と考えたが、べつにこの女神に言うことなど何もないのだ。
「なんですか、言いたいことがあるのですか?」
よし、気になったのかディアタナは動きを止めて、俺の足も止まった。
ここでいい感じの言葉を――。
「そ、その。あの。バーカ!」
しかし出たのは低俗な罵倒だった。
「はい?」
ディアタナは怒った顔をして俺に近づいてくる。
そして何をされるかと思えば。
――パシッ!
と、思いっきり頬を叩かれた。
つまりビンタされたわけだ。
「言うにことかいて、女神である私に対してバカですか。本当に貴方という人は――アイラルンが気にいるわけも少しだけ分かりますよ、榎本シンクさん」
「いや、俺もべつにそういうことを言おうとしたわけでは。なんだ、つまり何が言いたいかと言えばその、俺を食べても美味しくないぞと、そういうことを言いたいわけで」
「取って食おうというわけではありません、これを伝えるのは二度目です」
「死にたくないんだが、謝ったら許してくれたりしないか」
「べつに殺すわけではありませんよ」
「でもそこに入れるんだろ? そのよく分からない空間に。そもそもそれ、空間なのか? なんか真っ暗で、渦巻いてるのは分かるんだが――」
「貴方、この状態でずいぶんと冷静ですね。危機感の欠如? いいえ、常識? なにかしらアイラルンに頭の中をいじられているんですか?」
「そういう事実はないと思うが」
「そうですか、でしたら生粋の能天気なのですね。そんな気はしていましたよ」
「失礼なやつだな」
ただ、恐怖心はないのが事実だ。
ディアタナは武器を持っているわけでもない。それに、嫌な予感があまりしないのだ。
あの暗いブラックホールのような空間に入れられたとして、俺は死ぬわけではないのだろうか? 分からない。
「だからこそ、あれほどの大それたことをできたのでしょう。あんなふうにルオの国でも好き勝手して」
「そういやあんた――」
「あんた?」
「女神様、とでも呼べばいいか?」
「ディアタナ様」
「ディアタナ様ね、はいはい。それで、どうしてルオの国にいたんだ。まさか俺たちを監視してたのか?」
「貴方を? 監視? まさか!」
「じゃあどうして?」
「私はあの英雄を見ていたのですよ」
「英雄? ティンバイか?」
「そうです。歴史という大河にかならず現れる英雄。世界を変える、あるいは進める力を持つ者たち。私はその真贋を確認していたのですよ」
「真贋、ね」
「その結果として、彼は確かにルオの時間を進めました」
「それを止めなくても良かったのか」
「止めることはできません。歴史の流れ――それを無理やり食い止めれば必ず無理がでます。アイラルンに聞いていませんか?」
「さあね、女神様たちの話は難しくてね」
「聞いてないと?」
「聞いたこともあったかもしれないな」
ここに来て俺は気づいた。
先程からディアタナは俺を殺すわけではない、ということにこだわっている。
つまり俺のことも殺せないのだ。殺したくても。
歴史の流れを無理やり食い止めれば、必ず無理がでる。
それは俺も同じか。
「ご明察」
「あんた……」
俺の思考を読んだのか?
「貴方もまた、歴史の流れのその一部。いいえ、貴方はむしろこの世界の歴史に大きく、大きく関わってしまっています。だから無理に殺せば――」
「普通の人間を殺すよりも損害が大きい?」
「察しのよろしいことで。ただし損害という言葉は違いますね。貴方などなんの価値もない存在。損害が大きいのではなく、面倒が大きいだけです」
「これは失礼」
歴史において大事な人間なのだ、と言われたのかと思って舞い上がっちゃった。まあ、嘘なんだけどね。
「いい考えだと思ったのですがね。貴方を榎本武揚に仕立て上げて、その末に殺す。本当に考えたときはこれだと思ったのですがね。アイラルンも気づいてはいたでしょうが――」
「ああ、そういえばアイラルンは俺がタケちゃんの代わりをするのを嫌がったな。なるほどな、そういうことか。だが俺は俺だ、タケちゃんじゃない」
「歴史はそう思いませんよ。ただ、失敗しました。まさかあの男が殺しそこねるとはね。もっと強いスキルを与えれば――そうなると今度はすべてが終わった後にあの男を処理するのが面倒で。はあ、ここらへんは難しい問題ですね」
「そういうもんなのか」
「はい、そうですよ。それで、なにかいい案が出てきましたか?」
「案って?」
「時間を稼いでいたんでしょ、つまらない話で。貴方、女の人にモテなかったでしょう?」
「なんで俺、いま批判されてるの?」
「批判? これは事実の確認です」
「はいはい、どうせ俺はモテませんよ。でもシャネルがいればいいんです」
「ああ、あの人ですか。あの人がどうして貴方のことを好きなのか、ご存知ですか?」
「なんだよ、あんたは何か知ってるのかよ」
「それはもちろん、知っていますよ。だってこの世界は私の世界。私が知らないことなんてありません。聞きたいですか?」
「いいや、聞きたくないね」
「怖いんでしょう?」
「なにが?」
「貴方への愛が偽物かもしれないのが」
怖くなんてないさ。
ただ。
この女神からシャネルの話なんて聞きたくなかった。あんたに彼女の何が分かる、そういう気分だった。
「聞いてくれれば、その間は時間が稼げますよ?」
「断る」
「時間が稼げれば、いい案がでるかもしれません」
「考えたっていい案は出ないさ。さっさと俺をあの中にいれろよ、女神様」
「つまらない男」
「あんたは俺で楽しもうとしてるわけかよ。暇な女神だな、本当に」
「完璧な世界になれば、私がやることもなくなってもっと暇になるんですけどね。まあ、そうなるためにも邪魔な貴方を追いやりますかね」
「そうしてくれ。ただこれだけは言っておくぞ」
「なんですか?」
――なにか、言おうと思った。
けれど、やっぱり上手い言葉は見つからなかった。
「やっぱりなんでもない」
「気になりますね……」
「いや、本当になんでもないんだ」
「バカなんですね、貴方は」
「知ってるさ」
けっきょく、いい案は出なかった。
俺の足は動き始める。
そして俺は神社の中へと入っていくのだった。いや、入れられる、というべきか。




