699 勝利、いびつな愛、女神
シワスが出した武器は刀だった。
その刀は俺が持つクリムゾン・レッドに瓜二つだった。あるいは自分で刀というものを想像できずに、目の前にある俺の武器を真似たのかもしれない。
「はあ……はぁ、あああっ!」
シワスが叫ぶ。
しかし叫ぶだけでこちらに向かってくるようなことはしない。
まるで犬が威嚇するようだ。それも怯えた弱い犬だ。
俺は冷静に刀を構える。心は水のように清らかだ。
「榎本、お前を、お前を殺す!」
「ああ、そうしてくれ。俺も同じ気持ちだ。つまり俺たちは殺すか殺されるかの関係ってわけだな、分かりやすいだろ? まさか友達だなんてたわけた事を言うよりは、こういう関係のほうが正しいに決まってるよな」
俺の言葉にシワスは答えず、刀を振り上げる。
重たいのだろうな、と俺はなんとなく思った。
切っ先の狙いが定まっていない。ただ持ち上げて、そのまま斬りつけようとしているだけだ。
だとしてもそれが当たれば俺は死ぬかもしれない。
とうてい戦えないような人間だとしても、武器を持っているならば敵だし、それが俺に殺意を持っているならなおさらだ。
「ふっ」
間合いをはかって、息を吐く。
シワスが突進してきた。
それに対して俺は、攻撃の当たらない場所へ移動するのは容易だった。
しかし俺はあえて前に出た。
振り下ろされるシワスの刀。それは紙一重で俺のこめかみのあたりから、肩、そして何もない空間へと駆け抜けていった。
全力で、ただ振り下ろされただけの刀が、シワスが自発的にする最後の行動になった。
俺の刀が、シワスの心臓を貫く。
シワスの体は軽かった。貫かれたシワスの体が、そのまま持ち上がってしまったほどだ。
叫び声が聞こえたような気がした。それが断末魔の声であることは分ったが、俺の耳にはあまり入ってこなかった。むしろその声よりも、なんとも言えない味気無さが俺の頭の中を支配していた。
シワスの体がビクンッ、と揺れた。
「死んだか……」
と、俺はつぶやいた。
焼かれる前の魚の串焼きみたいだ、と俺はシワスの死体を見てつまらないことを思った。
死体をその場に下ろした。
埋葬なんてしてやるものか、と思った。手すらも合わせてやらない。
目的は達された。これで俺は帰ろうと思った。
すると、先ほどまで気絶していたクリスがもぞもぞと動いていた。
どうするか、と俺は思った。
このまま見逃しても良い。俺はべつにこの女に恨みはない。
だがこの女を生かしておけばまた俺を殺しに来るかもしれない。今度はシワスではなく、ほかの男を引き連れて。
「あんたのことが嫌いとか、どうしても殺したいほど恨んでるとか、俺の大切な人を殺されたとか、そういうわけじゃない」
俺は言い訳をする。
「ただ、あんたは危険なんだ」
クリスはこちらを見ていない。
意識が朦朧としているのだと思う。
いま殺せば、苦しまないで死んでいけるだろうか?
「悪いな」と、俺は謝った。
そんな言葉になんの意味もないと知りながら。
「………………ッ」
クリスがなにかを呟いている。
俺への恨み言ではなさそうだ。俺は耳を傾けた。
クリスがつぶやいていたのは、月元の名前だった。
まるで狂ったように――いいや、事実狂っているのだろう――彼女は月元の名前を呼び、そして泣き、愛しているとささやいていた。
まるでベッドの中で言うように。
クリスは、死ぬそのときに、月元のことを考えているのだ。
「……シワスも浮かばれないな」
自分の愛する人が、自分を愛していないというのはどういう気持ちなのだろうか。
俺からしたら想像もしたくないことだった。
しかしシワスはそれを知らずに死んでいったのだろう。ならば、それはそれで幸せだったことだろう。
俺はクリスの首を落とす。
それで、クリスは死んだ。
俺はその行為の間、顔を背けて目を閉じていた。
ここに、2人の死体があった。
その2人はたしかに恋人だっただろう。しかし愛し合ってはいなかった。
シワスの愛はいびつだったし、クリスの愛は他の人間に向いていた。
俺は、俺とシワスが似ていると思っていた。しかし決定的に違うところがあった。
それはパートナーの存在だ。
おれには、シャネルが、いてくれた。
帰ろう、と思った。シャネルの元に。
これで全てが終わったのだと思いながら、俺は歩き出す。しかしその足どりはすぐに速くなる。ここは敵の本拠地、五稜郭だ。いつまでもグズグズとしているわけにはいかない。
入ってくる時よりも簡単に、俺は五稜郭を出た。
五稜郭の周囲にある町は静かだった。人はほとんどいないのだろう。俺たち旧幕府軍が攻めてきて、それから新政府軍が統治者にすげ変わって間もない。もともと住んでいた人たちは追い出されて、いまごろどこにいるのだろうか?
いろいろな人に迷惑をかけたのだな、と思った。
俺は何をしたかったのだろうと思った。
分からない。
住民のいない廃墟のような町を抜けて、俺は自然の残る未開拓地へと行く。この近くにあった山に俺たちは隠れていたのだが――。
町と未開拓地の間に、神社があった。
ジャポネに来てから神社を見たのはこれが初めてだった。
俺はなんだか懐かしいよな気持ちになった。神社と公園はコンビニくらいよく見るものだ。どこにでもある。一番量が多いのはどれだろうか、歯医者がじつはすごく多いのだという話を聞いたこともあるが。
神社の入り口たる鳥居の前に、女が立っていた。
髪の長い女だ。
俺はその女を無視して、神社を通り越して先に進む。
すると、なぜか神社の手前にいた。
意味が分からなかった。
俺は前にまっすぐ歩いた、神社を通り抜けた。なのにまた、神社の前に来ていた。
女が立っていた、髪の長い女だ。
俺はそれを無視して、神社を通り越す。
すると、気づいたときには、なぜか、やはり、神社の前にいた。
女が立っていた、こちらを見ていた、俺は観念してその女の方に向き合った。
「まさか、あんたが出張ってくるとはな。女神ディアタナ」
「ここにいたっては仕方がないと思いましてね、榎本シンクさん」
「俺を殺しに来たか?」
「殺すですって? 低俗な人間の尺度で物事を考えないでください、不快です」
「じゃあ何しに来たんだ?」
「そうですねえ……貴方を、消しにきました」
それは同じ意味ではないのか、と俺は思った。




