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688 人間にとって一番の贅沢とは、自らの死を選ぶことである


 私ね、死にたかったの。


 と、彼女は言った。


「近藤さんと別れて、1人ででも戦うんだぞって決めて、けれどどんどん仲間はいなくなって。最後には私だけで――私ね、死にたかったの」


「ああ」


「本当は、みんなと一緒に」


 そうだよな、と俺は思う。


 もし死ぬなら1人よりも皆と一緒の方が良いに決まっている。


「けれど死ねなくて、こんな場所まで来ちゃった」


 俺たちの前には柵があった。


 そこを超えれば敵がひしめく戦場だ。


 逆に言えば、そこを越えなければ大丈夫なのかと言われれば、違う。


 どうやら場所によっては防御の意味で設置された柵が敵に取り壊されてしまったらしい。俺たちの陣営は中にまで敵が入り込んでいた。


 いま、まさに俺たちの目の前にあった柵も砲撃によってぶち破られた。


「もう良いわ、貴様も戦いなさい」


 土方は肩をかしてもらっていた新選組の隊士に言う。


 その隊士は頷いて、土方から手を離し、抜刀する。


「それでは――」


 と、短く別れの挨拶をして敵の方へと突っ込んでいった。


「ふふっ、勝てるわけないわよね」


 土方は刀一本で走っていった部下を見て、自嘲気味につぶやいた。


「勝てるわけない、か」


「そう。戦いはすでに戦国の世から様変わりしてるのよ。刀でどうにかできるものじゃない。あっちには強力なアームストロング砲もあれば、質の良いライフル銃もある。それに対してこっちは旧式の武器ばかり、はなから勝負にはならないわ」


 最初、それは蝦夷に来てからのことを言っているのかと思った。


 けれど違うようだった。


「近藤さんだってそんなこと、分かってたはずなのに……」


「それでもあんたらは戦ったんだろう?」


「ええ、戦ったわ。負けるためにね――」


「そう卑下することじゃないさ」


「ううん、いまなら分かるわ。近藤さんは――私よりも先に死にたかっただけなのよ」


 鳥羽伏見で負けた旧幕府軍。


 戦力的には新政府軍――その頃はそういう名前ではなかった――よりも多く、普通にやれば勝てる戦だった。


 けれど総大将だった徳川慶喜が戦線から撤退。これにより頭を失った旧幕府軍は総崩れとなる。


「どうしてその人は逃げたんだ?」と、俺は聞いた。


「怖くなっちゃったんでしょう? 神様に背くのが――」


 その言葉の意味を、俺は理解できず。


 また、ことさら深く聞くつもりもなかった。


「そうかい」とだけ返事をする。


 たぶん、俺たちのお話に重要なのはそこではないと思った。


「弱腰で逃げた徳川候に、近藤さんは見切りをつけた。それはつまり自分の信じていた武士というものに見切りをつけたことに等しいわ。それで、自分は死んで、私達だけは逃がそうとしたの。けれどダメだった――私も結局、同じように」


 破壊され、柵はもうない。


 このジャポネでの戦争は、基本的には砲撃戦から始まり、それから刀や槍による突撃が開始される。言ってしまえば将棋で言う定跡、といったところだ。


 つまり先程の砲撃の次は、敵が突っ込んでくるわけだ。


「行くわよ」と、土方は苦しそうに言う。


「ああ」


 もしかしたらそのまま死んでしまうかもしれないと思うくらいに顔面蒼白だ。


 それでも刀を持つ手には力があるようだった。


 俺の心は不思議と、冷静になっていく。


 これが諦めるということかと思う。いまさらジタバタしない。泣いても笑っても、土方は死ぬのだから。


 それがこの世界の真理である。


 歴史の流れ。


 アイラルンの求めていたもの。


 そう思った瞬間、俺はアイラルンの計画というものが恐ろしくなった。けれどそれについて深く考えるよりも先に、敵が突撃してきた。


 もちろん刀での突撃かと思ったら、違った。その敵はライフル銃を持って、こちらに一直線に走ってきていた。


 ――なるほど、そういうのもあるのか。


 俺はどこか冷めた気持ちで敵を見た。


「うおおおっ!」


 戦場において奇声を上げる人間というのは、多い。


 おそらくは戦場のストレスがそうさせているのだろう。


 だが俺は冷静だ。


 ダンッ、と音がしてライフルが火を拭いた。


 俺はしかし、すでにその弾が当たらない位置にいる。


 この時代のライフルはほとんどが連射機能を持たない。なのでいちいち弾を込める必要があるのだ。突撃してきた男は思い切りが良い、ライフルを捨てて刀を抜いた。


「えいやあああっっっっぅ!」


 上段に刀を構えて、一気に接近してくる。


 俺の前に土方が出た。


 刀を地面と横に倒すようにして構え、突進してきた相手にぶつかっていく。振り下ろされた敵の刀は誰にもあたらず、空を切り、土方の刀が相手の胸元を切り裂く。


「まだ来るぞ!」と、土方は警戒するようにいう。


「ああ」


 それくらい分かっていた。


 まだ来る、どころではないのだ。延々と敵は襲ってくるだろう。それこそ俺たちが全滅するまで。


 ライフル銃を持った敵たちが、一斉にこちらに来る。対して柵の内側からも、応戦のための兵士たちが出ていく。こちらにだって旧式ではあるもののライフルくらいはあるのだ。


 鳴り止まない銃声。


 土方はそれでも前に出ようとするが、俺は止めた。


「無駄死にだ!」


 そこらにあった防御用の木の板に身を隠し、土方を引っ張り込む。


「……たしかに銃弾で死にたくはない。死ぬなら切り合いが良いわ」


 ふと、俺は昔どこかで見たことのある言葉を思い出していた。


 ――人間にとって一番の贅沢とは、自らの死を選ぶことである。


 はたしてそれが誰の言葉だったのかは忘れてしまった。しかしその言葉を残した人間は、たしか自殺してしまったのではなかったかと思った。


 銃弾が飛び交い、空中で互いの撃った弾がぶつかり、ぜる。


 そういう光景を、しばらく息を殺して眺めて、銃声が少し収まった瞬間に俺たちは飛び出す。


 俺は右から、土方は左から。


 すぐ近くに敵がいた。


 俺はなにも考えずにその敵を斬った。土方の方を見れば、さすがと言うべきか怪我をしているはずなのにまったく敵から遅れを取っていない。それどころかどんどん敵を倒していく。


 風を切る音がした。


 俺の頬を銃弾がかすめていく。


 ――危ない。


 と、俺は思った。


 本当はもっと冷静になるべきなのだが、そう思ってしまった。このいい流れを断つことはしたくない。俺はつとめて冷静になろうとする。


 少し離れた位置から、ライフル銃でこちらを狙う人間がいる。


 俺は離れた位置にいる敵をモーゼルで狙い撃つ。そして放たれた銃弾に対しては、すでに当たらない場所へと移動している。


 まるで踊っているようだ、と俺はどこか自分を客観視した。


 四方八方、いたるところから銃弾が飛んでくる。ときには味方がいるであろう後ろからさえも。それらすべては、俺には当たらない。


 だが土方は違う。


 俺のような芸当はできない。


 銃弾が飛んでくればそれまでの戦場で、奇跡的に被弾をせずに戦えているだけなのだ。


 運が良い女だ。


 しかしその時はいつか必ずくるだろう。土方は白刃の元に死にたいと言っている、ならば俺はそうさせてやろうと思った。


 ライフルを持っている人間を重点的に狙う。土方を守るように。


 やがて俺は血まみれになる。


 俺の血ではない、すべて返り血だ。


 それでも構わず、刀を降り続けた。


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