687 有終の美
俺たちが降り立ったのは、戦場において新政府軍側の背後だった。
「シャネル!」
俺が彼女の名前を呼んだだけで、シャネルはうなずいて理解してくれた。
「我が愛の情熱よ、その姿を衆目にさらせ――『フラム・アン・シエル』!」
地面から炎が吹き出して、曲線を描きながらまるでボールの跳ねる軌道を真似るように、ゴウゴウと動いていく。
その炎に飲まれた兵士は一瞬で消し炭になる。当たらないように人が散っていく。シャネルはべつに牽制のつもりなのか、ポンポンと炎を出しはするが、その軌道をことさら操ろうとはしなかった。
それでも道ができた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!」
アイラルンはいかにも大変そうについていくる。走り方は運動ができない人のそれだ。俺たちの速度に遅れだしている。
旧幕府軍は長い柵をたてて、新政府軍の猛攻をしのいでいるようだった。
その先が陣地だろう。
そこまでは、まだ300メートル以上ある。
そしてアイラルンとの距離はすでに100メートルも離れていた。
「くそ、守れってかよ!」
「ああもう、仕方ないわね! シンク! 前を頼むわ!」
シャネルが何か呪文を唱えた。すると、跳ねていた火は全て消えてしまい、代わりにアイラルの周りだけに炎の壁が出来た。
「うわっ、なんですのこれ! 熱っ!」
「我慢しなさい!」
俺はシャネルと入れ替わるようにして前に出た。
炎が消えたと見て、敵は俺たちに襲いかかってくる。
だが――。
俺はそいつらをなで斬りに蹴散らしていく。
あと250メートル。
敵の兵が槍をもって俺を取り囲む。だがそんなものは怖くない。俺は右手に持った刀を槍の先を切り落とし、左手で持ったモーゼルで敵の心臓を撃ち抜く。
あと200メートル。
騎兵がこちらに向かって突っ込んできた。俺は狙いを定めて馬を操る人間だけを撃っていく。乗り手を無くした馬たちは暴れだし、戦場に混乱をもたらす。
あと150メートル。
炎をまとったアイラルンが合流した。「熱いですわ、熱いですわ!」と叫んでいる。
「シンク、もう魔法使えるわよ」
「おう」
アイラルンの周りの炎が消え、代わりにシャネルは魔法で周囲を焼き払った。
近くにいた敵が一網打尽になる。
何十人――いや、何百人は一度の魔法で死んだ。
あと100メートル。
すでに敵はほとんどいない。俺たちは全力で駆け抜ける。
そして50メートル。
柵のあちらから、旧幕府軍の兵士たちが出てくる。俺たちを迎え入れてくれたのだ。
「――こっちです」
「おう!」
だが次の瞬間、俺を案内しようとした兵士が流れ弾に当たった。腹のあたりを撃ち抜かれたのだ。
「大丈夫か!」
俺はとっさに駆け寄るが、その兵士は笑って「もういいですよ」と答えた。
それで、満足そうな顔をして、死んだ。
「くそっ……シャネル、危ないから気をつけろよ!」
「分かってるわ」
敵の使うライフル銃の飛距離はそう長くはない。ただ、それでも適当に撃ってあたることだってあるのだ。
俺たちは柵の隙間から中へと入っていく。
見たことろ陣営の中の士気は低そうだった。
すでに負け戦は決定。ここにいる人間たちは死ぬために戦っているだけ。
俺がどんな活躍を見せようと、喜ぶこともない。
「土方はいるか!」
俺は近くにいた兵士を捕まえて、そう聞いた。
「新選組のか?」
「そうだ!」
「あいつならもう死んだよ!」
「えっ……?」
俺は愕然と、その場に膝をつきそうになった。
人は本当に驚くと力が入らなくなるものなのだ。
「死んだ、のか? 土方が……」
なんとか声を絞り出して、聞いた。
そんなはずはない。あの土方が死ぬかよ。だってあいつ、強かったじゃないか。
そう思っても、戦場では一個人の命など簡単に散ってしまうことくらいは知っていた。
俺がいままで死なずに戦えたのは『5銭の力+』のスキルがあったおかげだ。これがなければ俺の命はいくつあっても足りなかったはずだ。
「それは本当なのか?」
それでも俺は信じれない気持ちでいた。
「うるせえ、俺たちはいま人の生き死になんかに関与してる場合じゃねえんだよ! どうやって自分が死ぬか、それだけだ!」
俺が捕まえた男は、そう言って柵の外へと出ていこうとする。
だが、少し行って、立ち止まった。
「いや……まだ生きてるかもしれねえな。あんた、あの新選組の副長の知り合いか?」
「ああ」
「ならさっさと行ってやりな。いま行けばまだ、最後に伝えたい言葉くらいは聞けるかもしれねえぞ」
「土方はどこにいる!」
やっぱりこの陣営まで来ていたのだ。
「あっちの負傷兵がいるところだよ。っても治療なんてしてねえからな、もう死んでたぞなんて文句、あの世でも言うなよ?」
じゃあな、と男は行って、勇敢に柵の外へと出て行った。
つまりは死にに行ったのだ。
「急ごう、土方は怪我してるみたいだ」
「そうね」
負傷兵が集められているのは、柵の中の陣営の奥だった。
負傷兵、とは言うもののそこはほとんど死体置き場のようになっており、うめき声も聞こえるものの、すでに動かない人間も大量にいた。
その中で、土方の姿はすぐに発見できた。
「副長、副長! 死なないでくださいよ!」
新選組の隊士が1人、必死に声をあらげていたからだ。その隊士は顔は覚えていたものの、名前は知らなかった。とはいえ鳥羽伏見からこっち、ずっと新選組として戦ってきたのだろう、歴戦の勇士に違いない。
「み、耳元でうるせえ……貴様もさっさと行け。私も少し、休んだら、行く」
土方は腹から血を流していた。
よく見ればそこから臓物の一部が飛び出していた。
ひと目見て、これはもうダメそうだなと思った。
「シャネル……治せるか」
「残念だけど無理よ」
と、シャネルは本当に悔しそうに言った。
「そうか」
分かっていた。シャネルには強力な水魔法を使うことはできない。せいぜいが切り傷なんかを治す程度。前に一度、俺の大怪我を治してくれたこともあったが、あれはどうやら特別みたいで、いまは同じような治癒の魔法は使えなくなっていた。
「できるだけは、やってみるわ」
俺たちは土方に近づく。「どいて」とシャネルは土方に寄り添っていた新選組の隊士に言う。
土方が、力なく顔をあげる。
「な、なんだ……榎本たちか」
「しゃべるな」と、俺は土方に言った。
「そっちの嬢ちゃんが、また治してくれるのかよ」
また?
「いいえ、完全には無理よ」
「それで良いさ。戦えて死ねるならな――」
分かったわ、とシャネルは土方のために水魔法を使ってやる。
体の傷は少しだけ癒えたようだった。
だが、やはり死にそうであることは変わらない。もしかしたらこのまま安静にしていれば命だけは助かるかもしれないが……。
「ありがとう」
土方は刀を杖にして立ち上がった。
「行くのかよ、土方」
「当然だ。榎本、お前こそなんで来た」
「俺は――お前を手伝いたくて」
土方は優しく笑った。
「よけいなお世話だ」
土方は残ってるたった1人の新選組の隊士に声をかける。「行くぞ!」と。
「はい、お供します!」
この2人はこれから死にに行くのだ、と分かった。
俺にはもう止めるすべはない。
どうせこのまま戦場で生き抜いたとしても、土方はこの傷だ。出血多量かなにかは知らないが、普通に死んでしまうだろう。
ならば望み通りに死なせてやるべきじゃないか?
そう思った俺は、もう止めなかった。
ただ、土方が死ぬなら最後まで見届けようと思った。
新選組の隊士が土方に肩を貸した。それで、ゆっくりと戦場の方へと歩いていく。
「俺も行く」と、シャネルに言った。
「ええ」
「シャネルたちはそこにいてくれ。土方の有終の美、見てくるよ」
俺は歩いている土方たちについていく。
いまさら俺がいれば――なんてことは言わない。もう俺がいてもいなくても、土方は死ぬだろう。だからこそ、なにもしないで土方を死なせれば俺は一生、悔いが残ると思った。
せめて死ぬそのときくらいは、近くにいてやろうと思った。




