670 元いた歴史の話
というわけで、話の続きだ。
「アイラルン、あんたの復讐とはべつに聞きたいことがある」
「それでしたら答えますわ、わたくしが分かる範囲で、という意味でですが」
「もちろんだ。今度は俺の復讐についての話。というよりも、俺たち全員についてのことなんだが。なあ、アイラルン」
「なんですの?」
「榎本武揚はどうなった」
「どう、とは?」
その人はすでに死んでおりますよね、とアイラルンは首を傾げた。
「死体なら澤ちゃんが埋葬するって言ってたけど」
「タケちゃんの死体はそうだな。けれど俺が聞きたいのはそうじゃない。アイラルン、俺の元いた世界での榎本武揚は、どうなった?」
「ああ、なるほど」
「元いた世界って言うとつまり日本よね? ガングーがいた国」
「そうだね」
英雄ガングーは俺が元いた世界からの転生者だという。
俺はそこらへんの事情は詳しく知らないが、アイラルンが言うにはガングーをこの世界に転生させたのはディアタナらしいが。
……ディアタナ。
何度か会ったことはあるが、どういう女神なのかいまだによく分かっていない。
まあアイラルンのように馬鹿じゃないのは確かだろうが。
「それで、朋輩は元いた世界の榎本武揚を知りたい、と?」
「ああ。それにこの戦いのことも」
「そうですわね……ではまずこの戦争のことから。わたくし達がいまやっているこれは『戊辰戦争』と呼ばれる、旧幕府軍と新政府軍の戦争ですわ」
「聞いたことはある」と、俺。
「聞いたことないわ」と、シャネル。
まあ、とうぜんシャネルは知らないよな。けれど俺だって知っているとは言えない。なんとなくどっかの漫画とかで見たり聞いたりしたことがある程度。
「その戦いの最後の舞台が、この『函館戦争』となっております」
「最後……そうか、ここが終点なのか」
まあ、しょうがないよな。
「もっとも、その後も士族反乱はあいつぎ、最終的には『西南戦争』が勃発するわけですが。こちらのことは何かご存知ですか?」
「われ中卒ぞ?」
いや、まあいちおう高校に在学はしていたが引きこもりでほとんど行ってなかったし。
最終学歴は中卒ということになってます、はい。
「つまりご存知ないと」
「すいませんね」
「良いんですわ、どうせわたくしたちには関係のないことですわ。なにせわたくしたちの最後の戦場はここ、函館ですから」
「つまりタケちゃんは――」いや、俺の元いた世界では違うか。「――榎本武揚はここで死んだっていうわけか」
「いいえ、朋輩。榎本武揚は死んでおりませんわ。『函館戦争』では」
「なにっ?」
「彼は五稜郭を包囲され、自刃に果てようとしたところを部下たちの必死に説得により降伏。その後は投獄されました」
「で、獄中死?」
「いいえ。その後、釈放され明治政府の大臣を歴任しました」
「長生きだったのか」と、俺は。
「ですわね」
べつに何から何まであちらの世界と一緒というわけではないのだろう。
なにせこっちの世界には魔法なんて不思議なものがあるのだ。同じような歴史が進んでいくとしても、その大枠が同じなだけで中身は大違いなのだろう。
さて、いまの会話で俺が知りたかったことはもうひとつ知れた。
「やっぱり俺たち、負けるのか」
「朋輩」
「なんだ?」
「わたくし、最初からそう申しております」
えっ……?
俺は思い出してみる。
言ってたか?
言ってたかも。
言ってたな。
「そうだったな」
それを承知でここまで来たのだ。それでいまさら文句を言うのはお門違い。
俺はやっぱり調子にのってたのかもしれないな。俺が本気を出せばなんでもできるだなんて、勘違いしていたかもしれない。
けれど、どうかしようとしても、どうにもならない事もある。
「そうかあ……負けるのか」
「ねえ。私はよく知らないのだけど、その世界の歴史とこの世界の歴史はまるっきり同じなの? つまりその歴史――運命を変えることはできないわけ?」
「もちろんできますわ!」と、アイラルン。「なにせ、わたくしはそのためにこの世界にいるのですから!」
「ただ、大変そうだな」
ここからこの戦場をひっくり返さなくちゃいけないわけだ。
そのためには詳しくこれからの展開を聞かなくてはならない。
卑怯だとは思わない。ただ、勝つために必要なことをするまでだ。
「アイラルン、俺のいた世界の歴史だと、この後どうなるんだ?」
「後、とは?」
「つまりさ、いま俺たちはこうして戦ってるわけだけど。いつまで戦える?」
「もう無理ですわ」
「なに?」
「『宮古湾海戦』でのアボルダージュの失敗。これで蝦夷共和国の勝ちの目はなくなったと言ってもよろしいでしょう。わたくしたちは江差すらとられ、ここから行われるのは華々しい地上戦などではなく、悲惨な残滅戦ですわ」
「くっ……」
「朋輩、普通に考えれば分かりますわ。わたくしたちはすでに包囲されております、敵は大量の援軍を送ってきて、こちらには援軍もありません」
「だな」
「榎本武揚は――ああ、これはわたくし達の世界の榎本武揚ですが、そのお人はこの段階で自害を覚悟したようです。朋輩はどうですか?」
「まだ諦めたくない」
「ご立派ですわ」
「ただ方法はない……シャネル、なにか良い案はないか?」
「そうね、はっきり言って私も無理だと思うわ。もし考えることがあるとしたらシンク、貴方の進退くらいじゃないかしら?」
「俺の進退?」
「ええ。戦いに負ければ当然、その指揮をしていた人間は責任をとらされることになるわ」
「死刑になるってことか」
「さあ、死んだくらいでその罪がつぐなわれるかしら? きっと後世の歴史で酷く言われることになるわ」
「自分が死んだあとのことなんて――」
「私は嫌よ。シンクが未来永劫悪く言われるだなんて。ガングーほどとは言わないけれど、それなりの名声があった方が嬉しいわ」
「名声ねえ……俺はそんなものいらないけど」
「あら、欲しくないの?」
「欲しくないよ。そんなことよりも俺はいまの勝利がほしい」
「そうねえ……局地戦でなら勝てるかもね」
「それを繰り返していけば相手が嫌になって、撤退してくれたりしないかな?」
「無理ですわ、朋輩。そんなことすれば相手は朋輩のいる場所を避けて、他の場所を攻め立てるだけですわ」
「むうっ……」
「晩年のガングーがそうだったわ。本人があまりにも強くて、戦争で指揮を執れば絶対に負けないから。相手は徹底的に戦いを避けたの。それで外堀を埋められたガングーは、個人としてではなくドレンスという国家として敗北したの」
なるほどな。
俺が全力で戦ったとして、ある一箇所の戦いは勝てるかもしれない。
分からないけど、勝てると思う。
けれど俺という個人の戦果など戦場でなんの意味もないのだ。俺が外で戦っている間にこの五稜郭を陥落させられれば、それで終わりだ。
「朋輩、負けるは負けるでも、人間負け方というものがありますわ」
「負け方だって? そんなのあるのかよ」
「グッドルーザーという言葉もあります。負けっぷりの良い人間のことですわ」
「負けは負けだよ」
「いいえ、違います。朋輩、負けても次に勝てば良いのです。朋輩、貴方の目的はなんですか?」
それはシャネルにも聞かれた質問だ。
「復讐」と、俺は明確に答える。
「誰に?」
「タケちゃんを殺したやつに――」
「ではそれだけを目標にしてくださいませ。他の事などはすべて些事ですわ」
アイラルンはまるで悪魔のように笑った。
この女神は言っているのだ。
自分の目的のために、この蝦夷共和国についてきた全ての人たちを犠牲にしろと。
分かっているのだ。俺は、それをよく分かっている。
俺たちの目的は復讐。それだけを考えるべきだと……。




