669 教えられないアイラルンの目的
それにしても、とアイラルンは俺の目をまじまじと見た。
「なんだよ」
「いえ、朋輩。なんだか元気な顔をしておりますわね」
「そうかよ?」
「最近はあまり元気のなさそうな顔をされておりましたので。一安心ですわ。あ、もしかしてヤリましたの?」
「やってない!」
誰かさんのせいで。
「アイラルン、貴女少し下品よ」
「わたくし下品な女神ですわ」
ケラケラと笑っているアイラルン。
その目の端には小さなシワがよっている。
――あれ、この女神ってシワとかあったかな?
俺はそんなことを少しだけ思ってしまう。
アイラルンの顔なんてしっかり見たことはなかったが、こうして見ればなんだか疲れているような気がする。やっぱりアイラルンもいろいろ悩みとかあるんだろうな。
アイラルンの目的はディアタナへの復讐だと言う。
この世界の時間を停めている、歴史を進ませないようにしているディアタナ。しかしアイラルンはそれを無理やり進めようとしているのだ。
この蝦夷地での戦いも、元々俺がいた世界にもあった歴史なのだろう。
その歴史では、榎本武揚はどうなったのだろうか?
この蝦夷共和国は?
新政府軍が勝ったのか?
俺は何も知らない。知らないままにここに来た。
「なあ、アイラルン」
「なんですの?」
「聞いてもいいか?」
「なんなりと」
俺は近くにシャネルがいるのを知っていた。だから元いた世界のことを言って良いのか、少しだけ迷った。
けれどよく考えてみればシャネルはもう俺のことを知っているのだ。
それに、これからのことを考えればいつまでも俺は自分のことをシャネルに隠しているわけにもいかないと思った。
「とりあえず、シャネル。そこに座ってくれ。アイラルンも」
シャネルとアイラルンが椅子に座る。俺は座る場所がなかったので、そのまま立って話す。
「真面目な話かしら?」
「朋輩には似合いませんわ!」
「茶化すなよ。これからの俺たちについて大切なことなんだから」
「俺たちって、この女神も入ってるの?」
そりゃあな、と頷く。
「わたくしたち、家族ですわ」と、アイラルン。
シャネルが顔をしかめる。
「家族ではないよな」と、シャネルに気をつかうように言う。
「そうね」
「ひどい! 朋輩、わたくしとの関係は遊びでしたのね!」
「あんたとの関係って……」
それは共犯者だろ?
少なくとも俺とアイラルンの関係と、俺とシャネルの関係は違うものだ。
俺はアイラルンに対して恋心など抱いていないのだからな。
「けれど性欲は?」
「抱いてません!」
こいつ、また人の心を読んで! 最低だぞ!
「それでシンク、早く話してくださいな」
「おう、アイラルン、お前マジで茶化すなよ」
「はいですわ!」
うっ……ここでツッコムとまた長くなりそうなので何も言わないことにした。
「えーっと、とりあえず話を整理する。アイラルン、ディアタナの目的はこの世界の時間を停めること、なんだな?」
「厳密に言えばそうして人類を管理すること、ですわね。シムシティってゲームあるじゃないですか? あんな感じですわ」
「ゲーム感覚か?」
それで俺たちを動かしているわけだ。
「ちょっと待って、シンク」
「どうした、シャネル」
「いま私、驚いてるわ」
と、言う割にはまったく驚いている様子がない。無表情でこちらを見ている。もしかしてシャネルって驚いたら真顔になるのか? いままで気づかなかったかも。
「シャネルさん、なにがそんなに驚きなのですか?」
「だってディアタナって、あのディアタナでしょ? そんなビッグネームがいきなり出てきて。その目的ですって? そんな話はまったく聞いたことないわよ」
「あら朋輩、シャネルさんに説明していませんの?」
「あー、まあ、うん」
ここらへんの話しをシャネルとしたことはまったくなかった。
俺はいままで彼女になにも言わなかった。それでもシャネルは素直に俺に付いてきてくれていたから、俺の方もそれが普通になっていたのだ。
「えっと、シャネルさん。わたくしアイラルンって言います。女神です」
「バカにしてる?」
「いいえ、ただわたくしへの畏敬の気持ちが足りないように思えまして。もしかしたらちゃんと分かっていないのかと思いまして」
「貴女が女神というのは知っているわ。けれどディアタナ様は見たことがないもの」
「ディアタナ様! わたくしは? ねえ、わたくしはなんで呼び捨てですの!」
「うるさいわね、貴女なんてアイラルンで十分だわ」
「ひどい! 朋輩、シャネルさんが意地悪しますのぉ!」
「ええい、泣きついてくるなうっとうしい! とりあえず座ってろ、会話が進まないだろ!」
ぐすっ……とあきらかな嘘泣きをしてアイラルンは席に戻る。
やれやれ、こいつが間に入ると面倒だ。
「で、いちおうここにいるアイラルンはディアタナに敵対してるわけだ」
俺は確認からシャネルへの説明へと会話の内容をシフトさせた。
「まあ、そういうことはよく聞くわね。だからこそ教会はアイラルンを邪神扱いしているわけだし」
「勝手に人を邪神だなんて。わたくしを信仰している人たちもいるのですよ」
「邪教徒のみなさんね。そういえばシノアリスちゃん元気かしら」
「あいつの場合は殺しても死なないだろ、たぶん元気だよ。で、アイラルンの目的はディアタナが停めている歴史の時間を動かすこと。これってなんでだ?」
「復讐のためですわ」
「復讐ね。いちおうここからが聞きたいことだが。なんであんたはディアタナに復讐がしたい?」
この前は復讐がしたいという言葉を聞いて、納得した。
俺たちは似た者同士だ、と。
けれどよく考えてみればアイラルン、自分のことをまったく語らないじゃないか。
「どうしてって……」
「教えれないのか?」
「申し訳ありませんが……まだ言いたくありません」
ふむ、と俺は迷った。
ここで俺が取れる選択肢は二つ。教えてくれとなおも食い下がるか、あるいはアイラルンの意見を尊重して引き下がるか。
俺としては教えて欲しい。
「このさいだ、腹を割って話すことってできないか?」
「アイラルン、貴女が言いたくないのはけっこうだけど。それって少し卑怯じゃないかしら?」
俺とシャネルが言うと、アイラルンはうつむいた。
いや、べつに言葉責めでイジメるつもりなのはなかったのだ。
「わたくしは、卑怯……」
「だってそうじゃない。自分の考えを隠して他人に手だけ貸してもらおうだなんて。あまり私の口から言うのもどうかと思うけれど、貴女とシンクは朋輩なのでしょう? それなら肝胆相照らす仲であるべきじゃないかしら?」
か、かんたん……?
え、ごめんシャネルいまなんて言った?
「ごめんなさい、朋輩」
「あ、いや良いんだ」
なんかアイラルンにやつ、すごい悲しそうだ。
俺は少しだけ申し訳なく思った。
「わたくしは……卑怯者なのです。言えない、朋輩にはわたくしのことを――」
「いや、言わなくてもいいよ。シャネルもいいよな? 俺たちは朋輩なんだからさ、事情はほら、察するよ」
たぶん俺には言えない事情なんだろう。
だから俺はアイラルンがどんな理由でディアタナに復讐をしたくても気にしない。
ただこれまでの感謝もあり、アイラルンを手伝おうと思うのだ。
そう、感謝だ。
俺はこの異世界に来ていろいろなことを知った。あの引きこもっていた部屋から外に出て、前に進むことができたのだ。
「朋輩、これだけは言っておきます。わたくしは貴方の味方です。これまでも、そしてこれからも。ただわたくしが貴方に復讐の理由を言えないのは……」
「言えないのは?」
「わたくしが貴方に嫌われたくないからです」
なるほどなぁ。
なるほど。
……あっ。
「アイラルン――」
シャネルが怖い顔をしている。
「な、なんでしょうか?」
「貴女には、渡さないわよ」
「そんなつもりありませんわ!」
はあ、と俺はため息をつく。
話、まだ終わってないんだけど、と小さな声で言った。




