066 ローマの怪我、治療師の男
「はいはーい、朋輩。呼ばれて飛び出てなんとやら。都合の良い女神、アイラルンですわ」
「アイラルン、手近の治療院を教えてくれ!」
「そんなのグーグルに聞けばよろしいのでは?」
「ふざけてる場合かって! ローマがやばいんだよ!」
「朋輩こそ落ち着いてくださいまし。時間は止まっておりますのでその女の子も大丈夫ですわよ」
「そ、そうか」
「はいはい、落ち着いて。深呼吸ですわ」
俺はすー、はー、と深呼吸をする。
よし、落ち着いたぞ。
「それで、アイラルン、治療院は」
ゆっくりと喋る。
「さあ、知りませんわ。わたくし、女神とはいえ全知全能というわけではありませんので、あしからず」
「使えねえな、この邪神め!」
「朋輩、それは暴言というものですわ」
おめおめ、とアイラルンは泣き真似をする。でもぜんぜん信じねーから、あきらかに嘘泣きだから。
俺が構ってくれないと分かったのか、アイラルンはけろりとした笑顔を向けてきた。
「でも朋輩がそこまで言うなら、探してあげますわ」
「恩に着る」
「しかし朋輩、一つだけ条件がありますわ!」
「なんだよ」
このさいだ、なんでも聞いてやる。
「わたくしのこと、今後いっさい邪神と呼ばないでくださいまし!」
あ、今度は本当に目に涙ためてる。
……気にしてたのね、それ。
「わかったよ」
「よろしい。朋輩とわたくしの仲ですわ」いったいどんな仲だ?「えーっと、どこでしょうか?」
アイラルンは自分の眉間に人差し指をあてる。
「ちょっと待ってくださいまし……」
「待ってるから」
「あんまり急かさないでくださいまし」
「急かしてないって!」
「えーっと、レビューで評価が高い治療院のほうがよろしいですわよね?」
「食べログじゃないんだからさ!」
「あらっ? 朋輩、ニートをおやりになっていたのに食べログは知っておられるのですか?」
「うるさいな!」
さてはこいつ、さっき邪神って言ったのを根に持ってやがるな。
「さて、冗談はこれくらいにして。あっちにありますわね。この通りの2つ先ですわ」
アイラルンは治療院のある方向を指差す。
「サンキュー!」
「赤茶けた壁のおうちですわ。そこにいる男が治療師です。でも朋輩、それは良いのですが、朋輩。少し疑問がありますわ」
「なんだ?」
今すぐにでも治療院に走りたいところだが、そこはぐっと我慢する。アイラルンのおかげで場所が分かったんだ、少しくらいサービスしてやらなければ。
「その女の子は朋輩の復讐に関係がないんじゃありませんこと?」
「そうだけど、それがどうした?」
「いえ、朋輩はずいぶんと優しいなと思いまして。だってあちらの女の子だけ手元に置いておけば良いではありませんか」
あちら、というのはミラノちゃんのことだろう。
たしかに極限まで言えばその通りなのだろう。俺がローマを助けてやる必要はない。けどそれって違うだろ。
「アイラルンは女神だから分からないかもしれないけどさ、人間ってのはこういう時、人を助けるものなんだぜ。それが普通だよ」
「そういうものですか、しかし朋輩。その優しさはいつか、朋輩の復讐のさまたげになるかもしれません」
俺はアイラルンに微笑む。
「大丈夫さ、俺のことをイジメていたやつらには容赦しない」
「よろしい。では朋輩、5秒後に時間を動かしますので。それまでどうぞ、わたくしの美貌を存分にごらんになってくださいまし」
「自信過剰だぞ!」
「だってわたくし、女神ですもの」
パチン、と指が鳴らされる。
そしてアイラルンは消えさり、時間は当然のように動き出した。
「よし」
俺は自分に気合を入れて走りだす。しかし焦ってはいない。アイラルンとの会話で落ち着くことができた。
アイラルンの言った方向には、たしかに赤茶けた壁の家があった。しかも赤十字に似たマークがかかげてあって、たぶんここが治療院であるのだと思った。
しかし夜もふけている。治療院のドアはしまっていた。
「すいません、開けてください。緊急なんです、けが人がいて!」
もしもこれで出てこなければドアを蹴破ってでも入ってやる。そういう思いでノックする。
しかし門はすぐに開かれた。
俺は安心して、一息ついた。
出てきたのは初老の男だった。白髪交じりの髪をして(ロマンスグレーというのだろうか?)どこか陰のある二枚目俳優のような男だ。その眉間には深いシワがきざまれている。
「こんな夜に、なんだ?」
「この子、怪我してるんです! お願いします、治してください!」
治療師の男はローマにいちべつをくれてやると、すぐに頷いた。
「急患か。わかった、入れ」
しかしその様子は仕事熱心な医者というよりも、こっちは寝ていたのに面倒くさいという様子がありありと見て取れた。
こいつ、大丈夫なのか?
そう思ったがいまはこの治療師だけが頼りなのだ。
治療院の中は雑多にものが散らかっていた。女っ気のない家だ、たぶんこの治療師の一人暮らし。クスリやポーションのきつい臭いが充満している。
廊下は待合室なのか、長椅子がおかれていた。
そして治療室に通される。簡易的なベッド、テーブル、丸椅子、なんだか田舎町の小さな医者のような雰囲気だ。いや、というよりもそのものか。
「そこのに寝かせろ」
治療師がいうままに、俺はベッドにローマを横にする。
「意識はないのか?」
「はい」
「そうか――」
治療師はローマの手をとり、傷の状態を確認する。そして俺に向かってとんでもないことを言った。
「とりあえず服を脱がせろ」
「は、はあっ!?」
「他にも傷があるのかもしれないだろ、早くしろ。それともなんだ、俺が脱がしたほうが良いか?」
なんてことを言い出すんだ、この治療師は。
「わ、わかったよ」
「ったくよ、こっちは恋人の服を他人が脱がせるのなんて嫌かと思って気を使ってやってるんだ。早くしろ」
「こ、恋人じゃねえよ」
「そうかい。ま、こんな半人を恋人にはしねえよな普通」
その言い方じたいは差別的なものだったが、なんというか治療師の男の雰囲気は、まったく差別なんてものを感じさせない不思議なものだった。
「ぬ、脱がすぞ」
「早くしろ、女の裸を見るのが初めてってわけじゃあるまいし」
「あ、あったりまえだろう!」
あたりまえか?
え、俺女の子の裸とか見たことあったか? ぱっと思い出せないぞ。もしかしてないのか? エロビデオの中だけでしか見たことないのか?
ごくり、と生唾を飲み込む。
ええい、これは応急措置というやつなのだ! しかたなくやるだけなのだ! べべべ、別にローマの裸が見たいわけじゃないんだからな!
俺はゆっくりとローマの服を脱がす。
おどろくほどに白い肌。
やっぱり女の子だ、殺し屋なんてしているくせにきれいな体をしている。
うっすらと浮かび上がった肋骨と、引き締まって少しだけわれた腹筋、栗毛色の髪が胸元を隠している。さすがに見ちゃダメだろ、と俺は顔をそむけた。
「ひきしまった理想的な体だな」
「あんた、ロリコンか?」
治療師の男に俺はいう。
「そういう意味じゃない、外傷はなさそうということだ」
さすがは医者だ。ロリとはいえ美少女の裸を見て顔色一つ変えていない。
こういう人間はホモの可能性がある、警戒するべきだ。
「確認するが、この子は退魔系のスキルをもっていないだろうな」
「え、知らない、です」
いちおう敬語。
「それは問題だ、もし魔法を跳ね返すスキルを持っていた場合、治癒魔法が逆効果になる場合もある」
治療師の男はアゴに手を当てて深く考えこんだ。
そんなことがあるだなんて俺は知らなかったものだから、どうしようもない。
けれど、と俺は思い直す。
「スキルなら見られるぞ」
「ふむ、鑑定眼か? 良いスキルを持っているな」
男の目が細くなった。
「ま、そんなところ」
俺は意識を集中させて『女神の寵愛~視覚~』のスキルを発動させる。そして、ローマのことを見る。
『暗殺術D』
『俊敏性D+』
『森林適応C』
ローマの頭の上にスキルが日本語で表示される。その効果までは分からないが、文字からだいたい予想はつく。
「とりあえず、魔法に対する耐性みたいなスキルは持ってないみたいだな」
「そうか。お前も治療院にくるならそれくらい調べてから来るんだな」
む? 批判されているのか?
しょうがないだろ、俺は現代日本から来たんだぞ。
男は机の引き出しから小ぶりな杖を取り出した。そして静かな声で呪文を唱える。
見る見るうちにローマの腕の傷がふさがっていく。
「すげえ」
感心して、思わず声が出る。シャネルの治癒魔法とは大違いだ。
「こっちもプロなんでな。終わったぞ」
「ありがとう、ございます」
なんだか知らないが俺はこの治療師の男にそれとない好意を抱いていた。悪い人ではなさそうだ。それに……どこか懐かしい感じもする。
「気絶しているのは血が減りすぎたからだ。目を覚ますまではまだ時間がかかるだろうから少し休んでいけ。俺は奥で眠る、なにかあれば言え」
いうやいなや、男は奥の方へと引っ込んでいった。
見た目こそやる気のない治療師だが、なかなかどうして。腕も良いし性格も良い。オマケで顔も良いと言っておこう。ま、俺のほうがイケメンだけど。
一人になって、俺はいそいそとローマにまた服を着せてやる。
童貞には刺激が強いからな、できるだけ体は見ないようにする。
「ふう、なんとかなったな」
ローマの服はシャネルのものみたいにゴテゴテしてないから着させるのも簡単だったぜ。
俺はそこらへんにあった椅子に座る。
もう夜だもんな。なんだか眠たくなってきた。
それにしてもあの治療師の男、やっぱりどこかで見たことがある気がするんだけどな……。分からない。
考えれば考えるほど眠たくなってくる。
しゃあない、ここで寝るか。どうせローマも寝てるし。
そう思って、俺は目を閉じた。




