655 意味のわからない撤退
シワスが剣を振り下ろす。
まさかこの世に2発連続で『グローリィ・スラッシュ』を撃てる人間がいるとは思わなかった。
俺は完全に逃げることすらできなかった。
視界いっぱいを黄金の魔力が埋め尽くす。
しかし。それらは全てかき消えた。
「やってくれる」
まさかまさかだった。
いまのでいったい何年分の寿命が消えたか。とはいえほとんど無傷だ。そりゃあ体のあちこちに擦り傷や切り傷はあるが、致命傷はゼロ。
逆に言えば、俺でなければ確実に死んでいるような一撃を、連続で繰り出してきたのだ。
「な、なんで死んでない!」
シワスは驚いているようだった。
しかしそれはこちらも一緒だ。
「お前、どこでそれを覚えた」
いや、違うな。
こいつは覚えたんじゃない、俺が使ったのを見て見様見真似で習得したのだ。さすがは『武芸百般』のスキルと言うべきか。
そういえば、俺も最初は勇者であった月元の『グローリィ・スラッシュ』を見て使えるようになったのだ。
「こうなりゃ殺すまでやってやる!」
まだ魔力が残っているのか。単純に体力と魔力は違うものだが。シワスの魔力量は俺をはるかに上回るようだ。
さすがに何度も何度も『グローリィ・スラッシュ』を受けるのはマズい。俺の『5銭の力+』はお金、あるいは俺の寿命を喰って使用されるスキルだ。俺は無一文な以上、いまなくなっているのは俺の残りの命だ。
「シワス、偉いわね。私の見えないところで練習してたの?」
「そう、すごいだろ! 使えるようになったんだよ!」
戦いの最中だというのに、シワスはクリスにデレデレと頬を緩めている。
その態度が気に入らない。
「でもダメね、あいつにはダメージを与えられないみたい」
「そうなんだよ、卑怯だ!」
「今日のところは撤退しましょう。大丈夫、またチャンスはあるわ」
さきほどまで俺を殺したいと駄々をこねていたシワスだが、しかし今度は素直に頷いた。
「そうだね、クリス」
だが、俺はこいつらを逃がすつもりはなかった。
「待てよ」
ここで逃してたまるものか。
だってこいつらはタケちゃんのことを殺したのだ。そのことを思うと心が乱れるのでいままで極力考えないようにしていたが、もう我慢の限界だ。
俺は『水の教え』を捨てて、怒りを込めた瞳でシワスを睨んだ。
「お前らがどんなつもりかは知らないが、俺はお前らにケジメをつけさえてやる。おら、来いよシワス。男ならかかって来い!」
「なんだよ榎本。お前、引きこもりのくせにいきなり柄が悪くなったな」
「友達殺されたら誰でもこうなる!」
いまは冷静さなどいらない。それよりも闘志がほしかった。
ここで引導を渡してやる!
俺は珍しく自分から攻める。
離れようとしていたシワスに、一気に詰め寄る。
「この!」
シワスは剣を振って俺への牽制をする。だがそれが当たらぬ間合いで一瞬だけ待つ。そして剣が振り抜かれたときに、さらに前に出る。
肉薄。
シワスの剣は両刃のオーソドックスな形をした剣だ。対して俺の刀は比較的小回りのきく曲刀。距離が近くなればなるほどこちらが有利と見た。
だがそこはシワスも『武芸百般』を持つ者だ。
両手の剣を使いこなし対応してくる。片方を攻撃に、片方を防御に。手数ではあちらが上だ。
それでも負けたくない。
目にも留まらぬ速さでの攻撃の応酬。互いに決定打は与えられないまま、傷ばかりが増えていく。
そういう意味では俺たちの実力は拮抗していた。
だが違うことがあるとすれば――。
「シワス、もう行くわよ」
しわがれた声。
その瞬間だった。
俺とシワスの間をなにかが通り抜けた。
光の塊だ。
それは俺たちには当たらなかった。
だがそのおかげで俺たちは距離をとった。
「帰るわよ、シワス」
と、クリスはすでにこの場に飽きたかのような声色で言う。
「うん」
「待て!」
逃がすつもりはないのだ。
だが。
さきほど放たれた光の塊は消えていない。
その光の塊はまるで人魂のようにフワフワと空中に浮いている。かと思えば、いきなり俺にめがけて速度を上げて飛んできた。
「なにっ!」
慌てて避ける。
これくらい回避は余裕だった。
しかし。
バンッ!
と音がしてその光の塊が弾けた。
目くらましだ。
俺は一瞬だけ目を閉じる。
まずい、このタイミングを狙われればやられるかもしれない!
しかし攻撃はこなかった。
目を開けて周囲を見回せば、シワスとクリスの姿はなくなっていた。
「逃げた……のか?」
ありえない。
いまは明らかに俺を倒すチャンスだったはずだ。なのにシワスは、クリスは、尻尾を巻いて逃げた? そんなことってあるか?
それとも、俺を恐れた?
いや、戦いは互角だったはずだ。むしろ人数が多い分、あちらが有利。こちらは奥の手とも言える『グローリィ・スラッシュ』を出していないものの、あれは燃費の悪い必殺技だ。使っていたらこっちはその後で無防備になる。
俺はその場に座り込んだ。
「あのまま戦って負けていたのは俺の方じゃないのか?」
その疑念はぬぐえなかった。
「あっ、そういえば土方は!?」
最初は一緒にいたはずなのに、突風で飛ばされてから見ていない。
まさか死んではいないはずだ。『虫の知らせ』のようなものはなかったし。
「おおい、土方? 土方~」
呼んでみるが返事はない。
どこに行ってしまったのだろう。
そう思ってしばらく探してみるが、見つからない。ならばと勘を働かせて、ほとんど当てずっぽうでこっちではなかろうかという方向に土方を探しにいく。
すると、茂みの奥になにやら黒いものを見つけた。
目を凝らすと、それは土方の着物のようだった。
黒い服だから分かりにくかった。
近づけば、土方はぐったりと倒れていた。気絶しているようだった。
「お、おい大丈夫か!」
肩を揺する。
「うっ……」
土方は苦しそうにうめき声をあげた。
もしかしたらあまり揺らさない方が良いかもしれない、と俺は思った。脳とかをうっていたら安静にさせた方が良いはずだ。
だけど土方は目を覚ましてくれた。
「……シンク?」
「おう」
起き抜けでほうけているようだ。なにが起こったのか分からないのだろう。
土方は何度もまばたきをして首を傾げた。
「どっか痛いところとかないか?」
「大丈夫よ。そ、それよりも、敵は!」
どうやら気付いたようだ。
「撤退させたよ」
「そ、そうか。すまなかった。まったく力になれなかった」
「なあに、心配ご無用。俺1人でもなんとかなったし」
「それでも悪いと思ってるんだ」
土方は立ち上がった。
すると、着物がはだけた。
「おいおい、見えちゃってるぞ」
俺はちょっとした冗談のつもりで言った。
たしかに着物がはだけて胸元が少しだけ見えていたが、べつにそれで欲情したわけでもない。ただまあ、なんだ。少しあったね、胸が。
とはいえ相手は土方だ。
男みたいなもんだと思って言ってしまう。
すると、
「わ、わあっ!」
予想外の対応をされた。
土方は恥ずかしそうに胸元を隠したのだ!
「え……えっと?」
そんな女の子みたいな反応をされるとこっちが困る。
「み、見たのか!」
「あ、いや。ミテナイヨ」
少しだけ見えたけど。
土方はそっぽを向いてはだけた着物を直す。なんだかそういう仕草が、少しだけ色っぽく見えてしまった。
どうしちゃったんでしょうか、俺ちゃん。
微妙な雰囲気。
そのまま、俺たちは無言で2人、帰るのだった。




