650 メタ発言
五稜郭から見える月は腹がたつほどに綺麗だった。
「朋輩は花札のこいこいをご存知?」
「某、『夏の戦争アニメ映画』で見たよ」
「ああ、あれ名作ですわよね」
「あれ初めて見たときさ。これ、『僕らの戦争ゲーム』だ! って思ったよな」
「まあ、監督が一緒ですしね」
「あ、そうなの? 知らなかったな」
というかアイラルン、いったいなんの話がしたいのだ?
俺たちは五稜郭の展望台とも言える場所にいた。先日までの吹雪は一段落して、北海道の冬にしては温暖な気候が続いた日のことだった。
誰かが備え付けたベンチ。そこに2人で並んで座っている。
「こういう観光地の展望台って、たいてい100円いれる望遠鏡がありますわよね」
「ああ、あの5分くらい見れるやつ?」
「そうですわ」
「ポケット怪獣ゲームだと伝説のポケット怪獣が見えたけど……」
「それ初代の話ですわ。朋輩いったい何歳ですの?」
「あ、いや……ほらリメイクとかあるし」
「リメイクもすでに15年以上前ですわ」
「え、マジで!? あ、いやでもほら。2回リメイクしてるじゃん?」
「あら、朋輩それご存知でしたか」
バカな話をしているとシャネルがやってきた。
「2人してなに楽しそうに話してるの?」
「あ、いや。バカな話だよ」
「メタい話ですわ!」
シャネルは首を傾げると、どうでもいいわとアルコールを差し出してきた。
「はい、どうぞ。今日はこれで終わりよ」
「ヤッター」
「ウレシイデスワー」
「2人ともよく外でなんて飲めるわね。寒くないの?」
はて、寒さか。あまり感じないな。アルコールを飲んでいるからかな。
「アイラルン、寒いか?」
「さあ? むしろ少し熱いくらいですわ」
「酔っぱらい。私は部屋に戻ってるからね。風邪をひかないうちに戻ってきてね」
「はい、分かりました」
「アイラルン、貴方は戻ってこなくてもいいわよ」
「あらシャネルさん、それってツンデレってやつですわね?」
「なに言ってるのかしら、この女神は」
シャネルは相手をするのも疲れたとばかりに話を切り上げて去っていく。俺たちはシャネルがもってきてくれた徳利をかかげた。
「朋輩、ハンブンコしますわ」
「はいはい、半分ね」
「いいやぁ、良いものですわね。月見で一杯」
「ああ、なるほど。だから花札の話したわけね」
いつもの戯言かと思えば、いちおう意味がある会話だったわけだ。いやまあ、戯言と言えばそうなのだけどね。
「ああ、美味しい。朋輩、それにしても――いい調子ですわね」
「いい調子? なにがだよ、バカ女神」
「バカじゃないですわよ」
「じゃあ邪神か?」
「怒りますわよ?」
説明しろよ、と俺は徳利をかかげようとした。だがアイラルンがそれを止める。なんだよ、と思ったらひったくられた。ハンブンコじゃなかったのか、と不満に思ったがアイラルンが意外なほどに真面目な顔をしていたので、妙に酔いが覚めた。
「朋輩、わたくし言いましたわ。この戦いは負ける戦いだと」
「……そうだったな」
俺は歴史というものを知らない。
俺のもといた世界でどのように歴史が動いて行き、どのような人たちが生きて、そして俺の生まれた現代ともいえる時間につながったのか。それを知らない。
「それは、わたくしの求めることでもあります」
「時間を進めるだったな」
「そうですわ」
負けた方が良い、というわけか。
「わたくしの願いとしてはそうですわ。しかし朋輩、勘違いしないでください。わたくしは一概に朋輩の負けを望んでいるわけではありません」
「ふうん」
「とにかく世界の時間を進めたい。けれどそこに朋輩の悲しい思いは含まれておりません。朋輩にはもうこれ以上、つらい思いをしてほしくはないのです」
「無茶言うなよ」
「無茶、ですか?」
「生きるってことは辛いことだ。悲しいことなんてたくさんある、そうだろ?」
「……わたくしとしては、生きとし生けるもの全てが優しい人生を歩んでいただければ嬉しいのですがね。ダメでしょうか?」
「考えることはダメじゃないけど、無茶じゃないか?」
「ですわね」
アイラルンは照れたように笑う。
俺は察した。これがアイラルンの本音なのだと。
因業だの邪神だのなんだと言われることの多いアイラルンだが、その本質は優しさで溢れているのかもしれない。それはちょっと褒め過ぎか?
アイラルンは「わたくしもう部屋に戻りますわ」と、言った。
「そうかい、俺はもう少し涼んでいく」
べつに暑いわけじゃないけど。このまま酔いを覚まそうと思ったのだ。
「それでは朋輩。ああ、それと――」
「どうした?」
「わたくしの目的はこのままの流れで達せられますが、ディアタナがなにを考えているのかは分かりません。次にどのような手をうってくるのかは未知数ですわ」
「ああ」
「ゆめゆめ、警戒を怠らないようにしてくださいませ」
分かったよ、と俺は頷いた。
じつを言うと、開陽丸が沈んでからこっち、慢性的な不安を抱えている。不安障害というわけではなく、なんとなしの嫌な雰囲気を感じ続けているのだ。
誰かが俺を狙っている。
そう、誰かが。
そのせいで五感全てが鋭敏になっている気がする。
いまなら、目を閉じていても他の感覚だけで周囲のことが理解できるような気がする。
「暗い……」
なにも見えない。
しかし。
ひたひたという足音。少し上気したような息遣い。微量ではあるが、刀を持ち運ぶときの金属音。こういうのも鍔鳴りと言うのだろうか? 言わないだろうか。
その人はアイラルンと入れ替わりに俺の元へ来た。
俺に後ろから話しかけようとしているのだろう、立ち止まった。
「トシさん」
と、俺はむしろこちらから話しかけてやる。
もちろん振り向かない。
「むっ、なんだ気付いていたのね」
今日は最初から女言葉だった。周囲に人はいなさそうだ。
「まあね」
「いつから気付いていたの?」
「さあ、いつからだろう。アイラルンとすれ違った?」
「アイラルン――?」
土方は俺の隣に腰を下ろした。
「ああ、ごめん。アイだよ、アイ。あの金髪の」
「いいや、すれ違ってないわよ。それよりも、いくら冗談でもアイラルンなんてアダ名はどうかと思うわよ?」
「いや、これはあいつがそう呼んでくれって言ってるんだよ」
「そうなの?」
「変なやつなんだよ、あいつは」
土方は不思議そうな顔をしたが、それ以上はなにも言わなかった。
それよりも、と話をかえる。
「ねえ、さすがに他のやつらの落ち込みようが酷いわよ」
「分かってる」
「シンク、貴様はいちおうこの蝦夷共和国の総裁なのだから。なにかしらの対策をうて」
「それについては新選組の副隊長のトシさんに知恵を借りたいところだけど」
「そうねえ……私たちの場合はいつも敵がいて、それはつまり攘夷志士共なのだけど。そいつらと殺し合いをしている間、隊は一蓮托生の絆でつながっていた。だから問題もそう出なかった。出たとしても粛清したしね」
「敵か。敵なら俺たちにもいるだろ。新政府軍が」
「そうだな、だけど海の向こうで少なくとも冬の間は攻めてこない」
「そこが問題なんだよなぁ」
もしもいま目の前に敵がいれば、蝦夷共和国の人間たちは否が応でも手を取り合い、それなりにやる気もだすだろう。
しかしいまはその準備段階。だというのに戦力の低下。これでは来たるべき戦いに負けることが確定しているようなものだ。
そんな状態でどうやってやる気を出す?
「悩んだって答えが出ることでもない、か」
桂馬の高上がり。
俺にはそもそも一軍の長なんてもの、荷が重すぎたのかもしれない。
上手くいっているときはまだ、榎本武揚というネームバリュー。つまりは貯金で食っていける。しかしそれが尽きれば、おしまいだ。
ふと、冷たい風が吹いた。
月の輝きが増したように思えた。
嫌な予感。
あるいは狂気にも似た美しさで、月はこちらを見ている。
「――来たか」
俺は五感よりも先に、第六感で理解した。
「どうした?」
「狙いは――俺だな」
ベンチから立ち上がる。
ひりつくような感覚。俺は刀を抜いた。




