643 大砲とシャネルの秘密兵器
片側の砲門が全て開き、順番に大砲を撃っていく。
「ちょ、ちょっと待って! 甲板にまだ俺いるんですけど!?」
すさまじい衝撃が船を襲う。これもしかして転覆するんじゃね、と思ってしまうほどだ。それが大砲の反動であるのだから、すさまじく巨大な大砲だ。
「命中したか!」
「ちょっと澤ちゃん、これ甲板にいてもいいの!?」
「大丈夫ですからガタガタ騒がないでください!」
「は、はい」
砲弾は相手の陣営に大命中、とはいかない。それでもさまざまな場所に砲弾が当たっていく。それだけでもそうとう効果があるのだろう、蜘蛛の子を散らすように農民――それとも兵隊だろうか――が逃げていく。
「すごいな」と、俺。
ドンッ!
と、音がしてその声がかき消される。
「え、なんですって!」
「いや、だからすごいなって!」
「そりゃあそうですとも! この開陽丸は最高の船です!」
ドン、ドン、ドン、と連続で大砲が撃たれる。それらはどこかには命中している。つまり海から陸まで射程内というわけだ。
逆に、あちらからも固定砲台から大砲の巨大な玉が打ち出されるのだが、それらは弓なりを描いて海に落ちていく。
一方的だ。
砲撃戦はすぐに終わった。相手は大敗走をきっしていた。
「勝ったね」
「ですね」
「勝った、というよりも一方的な蹂躙にしか思えないけど」
「これで陸軍も少しは楽になるでしょう」
良かった、と俺は思った。
戦闘が終わると、空が晴れてきた。まるで雲を大砲が打ち破ったかのようだった。
静かな海だ。
静かすぎる程に。
耳鳴りがする。どうも大砲の音で少しだけ耳にダメージがあったらしい。そのせいか知らないが、船酔いのような状態になっていた。
「顔色が悪いな」
と、俺は自分の顔も見えないのに言い切った。
「え? ああ、榎本殿のですか」
「うん。どう、ちょっと血色悪い?」
「飲みすぎですか」
「キミは俺のことをなんだと思ってるんだ。アイラルンじゃないんだぞ」
「同じ穴のムジナかと」
「違うよ」
どうでもいいけどムジナってなんだ? たしか動物だったと思うけどどんな動物だろう。
「ちょっと部屋で休む」
「分かりました。ここから江差に上陸します。そこで陸軍を待ちましょう」
「了解」
俺は部屋に戻る。
シャネルとアイラルンが中にいるはずなので、ちゃんとノックする。
これでいきなり部屋の扉を開けて、着替え中とかだったら困るからな。
いや、まあ見たいか見たくないかで言ったら見たいのだけど。シャネルの裸。アイラルンはどうでもいい。
「誰かしら?」
「俺だよ、俺」
「シャネルさん、オレオレ詐欺ですわよこれ!」
「何いってんだよ。榎本シンクだ。開けるぞ」
鍵はかかっていなかった。
扉を開ける。ちょっと期待していたような、シャネルの生着替えは見られなかった。
「おかえりなさい、シンク」
「うん、ただいま」
「さっきの揺れはなに?」
「戦闘があった」
そうか、シャネルたちは知らなかったのか。まあ部屋の中にこもっていれば連絡もいかないだろうしな。
「大丈夫だったの?」
「ああ。海から陸を砲撃しただけさ。なんの問題もない。ただちょっと船酔いした、休ませてくれ」
「ええ、どうぞ」
シャネルがこっちよ、とベッドの方に俺を案内する。
白いベッドだ。船の中で役職のあるような人間だけがハンモックではなくベッドで眠ることができる。とはいえ、揺れる船内だ。意外とベッドよりもハンモックの方が寝心地が良かったりする。
俺がベッドに寝転がると、なぜか隣にシャネルが入ってきた。
「ナンデスカ」
「あら、私も眠ろうかと思って」
なにを言っているのだ、この子は。
それでも俺としてはドキドキしてしまう。
シャネルがわけのわからないことをいつものことだし、わけのわからないことをするのもよくあることだ。
けれどいきなりベッドに潜り込んでくるというのは、初めてじゃないか?
「アイラルン、あなた出ていきなさい」
出ていって、ではなくて出ていきなさいと来た。
「えー」
「私とシンクはいまから寝るの。分かるわよね?」
「でも朋輩はそんなエッチなことできませんわ!」
「誰もそんなことするとは言ってないでしょう? プラトニックな就寝よ」
「格好良く言ってもそれって昼寝ですわ」
「だとしたらどうなの?」
「むう……まあ良いですけど。それより朋輩」
「は、はい?」
「人間の心臓は死ぬまでに一定の回数しか動かず、その数にたっすれば死ぬという説をご存知ですか?」
「え、知らない」
なにそれ怖い。
つまりドキドキすればするほど、死にやすくなる? というよりも寿命が減る?
「ど、どうしようシャネル」
「バカなこと言ってないで、さっさと出ていきなさいアイラルン」
「分かりましたわ」
「いや、いまの話は本当なの?」
「一説ですわ」
アイラルンは嫌らしい笑い方をして出ていった。
「なんなのかしら、あの女神は?」
「さ、さあ?」
「嫌がらせみたいなことばっかり言ってさ、やんなっちゃうわ。それよりもシンク」
シャネルの顔が近い。
ベッドに入っている俺のすぐとなりにシャネルは横になっている。
シャネルは眠ると言っていたがそういうつもりはないようで、目を開いて俺の顔を微笑みながら見ている。
「アイラルンと話していて分かったのだけどね」
「うん」
「ちょっとした秘密兵器があったの」
秘密兵器が、あった?
なんだか不思議な言い回しだった。シャネルに限って言い間違えとはあまり思えない。たぶん意図的にそういう言い方をしたのだろう。
「楽しみにしていてね」
シャネルが俺の髪を触る。
なにか言いたげだが。
心臓の鼓動が早くなる。それと同時に船酔いが強くなる。脳みそが右に左にとシェイクされている感覚。
「まあ? なんだか顔が青白いわよ」
「そもそも俺がなんで部屋に戻ってきたと思ってるんだ」
「あら、そうだったわね。じゃあお眠りなさいよ」
シャネルはずっとベッドに入っているのだろうか。
だとしたら寝て、目を覚ましてもシャネルが目の前にいるわけで、そういうのってすごい幸せなことだと思う。
いい匂いがする。甘い匂いが。
ま、そんなふうに近くにいられると眠ろうにも眠れないのだけどね!
「シンク、寝ちゃった?」
狸寝入りをきめこむ。
「寝ちゃったか」
まだ寝たふり。
「………………」
シャネルはなにも喋らなくなった。
薄目を開けてみる。
シャネルはなにも言わずに俺を見ていた。目が合った。
「寝なさいよ」
「いや……うん」
寝れない。
シャネルはなにも喋らないし、俺に触ったりもしない。抱きしめてくれたりとか、そういうサービスもない。
それはそれで、緊張するのだった。




