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641 他人からの好意が怖い


 開陽丸は大海原を進む。


「松前藩は新政府側ではありますが、元は奥羽列藩同盟にも加盟していました」


 澤ちゃんがそう説明をしてくれる。


 俺たちは甲板にいた。


 冬の北海道は寒い。そりゃあもう子供でも知っているような常識だ。


 しかもいまは雪が降っているので――さらに、寒い。かと思えばそういうことはなく、むしろ雪が降っている日の方が温かいこともあるらしい。


 今日がまさにそれ。


 しんしんと降る雪はいつやむとも知れないが、しかしそこまで寒くない。


「そのため、松前は新政府軍に対して頭が上がりません」


「なるほどね、コウモリみたいに動いてたわけだ」


「そうですね」


 なら、松前藩の人たちは俺たちが五稜郭を落としたときさぞ恐怖しただろう。次は自分たちだと喉元に剣を突き立てられたようなものだ。


 それでもこちらに恭順を示さなかったあたり、さすがに二度目の裏切りはまずいと思ったのか。あるいは意地があるのか。


「我々は蝦夷に入ってすぐに、松前藩に使者を送りました」


「え?」


 そんな話は聞いていなかった。


「それでどうなったの?」と、シャネルも興味があるようだ。


「なんとも言えない返事でしたよ。我々の仲間になるとも、ならないともつかない。ただ敵対する意思はないような。意志薄弱とはあのことでしょう」


「なんだそれ」


「その使者っていうのは、いわゆる和平のための?」


「そういうことになりますね」


「貴女もひどいことするのね」


「それが戦いですので。それにこれは土方氏の発案です」


「なるほど」


 土方はこの流れまで読んでいたのだろう。澤ちゃんの言う通りこれが戦いだ。


「でも、どうせ相手は100人程度の規模なんでしょう? そこまで大変な戦いになるとは思えないけど」


「でしょうね」


 土方が率いていった兵は約300。単純に相手の戦力の3倍だ。百戦錬磨の土方歳三が指揮する部隊、万に一つも負けることはないだろう。


 そのうえ海上から支援砲撃まであるのだ。


 だがどうにも、嫌な予感がしてならない。その予感は開陽丸に乗ってから、強くなっているようだった。


「なにか不安そうね」と、シャネルが心配してくれる。


「あ、いや……まあね」


「話してみたら? 少しは楽になるかも知れないわ」


「話そうにも話せるような内容じゃないんだよ。なんとなく、嫌な予感がするってだけ」


「そう、私は少しアイラルンと部屋で話をしてくるから。なにかあったら呼んで」


「うん」


 一瞬、俺もついていこうかと思ったがやめた。


 女の子同士でしかできない話もあるだろう。もっともアイラルンが女の子かは疑問だが。


「澤ちゃん、松前藩まではどれくらい時間かかるの?」


「もうしばらく見えてきます、いくつかの拠点の後に松前城がありますが――」


「拠点?」


「そこはすべて無視して海沿いを行きましょう。我々は攻城戦でのみ支援をします」


「いいとこ取りだ」と、俺は。


「弾薬の節約です。それに、今後我々が支配する人間たちのいる場所です、あまり大きな被害を与えたくない」


「脅して言うことを聞かせるっていうのは、たしかに嫌だね」


「はい。我々はたしかに侵略者ではありますが、義を忘れたわけではありません。誇り高い幕臣としての矜持きょうじがあります」


「同感だ」


 なんとなく、俺たちの間に微妙な空気が流れた。


 友達の友達と2人きりになってしまったときのような沈黙。どちらにも話題がなくなり、無言になってしまった。


 俺はなにか言おうとしたが、澤ちゃんにいまさらなにも言うことがないことに気づく。


 そして澤ちゃんは気まずさをまぎらわせるように努めて険しい顔をしていた。


「なんのお話をしているんですか? 僕も混ぜてくださいよ」


 そんなとき、救いの神が現れる。


 神といってもアイラルンじゃない、大鳥さんだ。


 どこか疲れたような顔をして、眠たげな目をしている。そのくせ唇は紅をつけていて赤く、まるで俺を誘惑するように口角が上がっている。


 スレンダーな体型なのに薄着をしていて、さぞ寒いだろうに。けれどその薄着のせいで体のラインがくっきりと見えた。


「大鳥さんもついてきてたんですか」


「はい。榎本くんが行くって聞いたから、せっかくだしと思って」


伝習隊でんしゅうたいは出ていなかったのですか?」


 澤ちゃんが意外そうに聞く。


「新選組の連中が僕たちはいらないって言うからね」


「土方にも困ったもんだな。仲良くすればいいのに」


「そうでしょう? 榎本くんからもそう言ってあげてくださいよ」


 ひたっ、と大鳥さんが俺の体に身を寄せた。


 いきなりのことだったので、俺は驚いてしまう。


「ど、どうかしましたか?」


 声が上ずる。いかにも童貞っぽいと我ながら思う。


「いえ、少しだけ寒くて」


「そ、それはいけない。澤ちゃんと一緒に中に戻ると良いですよ」


 我ながらグッジョブだ。とっさに澤ちゃんの名前を出すことでこれ以上変なことにならずに済むという考えだ。


 しかし、


「いえ。私はここで指揮をとらなければいけないので」


 こいつ、なんて察しの悪い!


 分かってくれよ、俺はこの人と2人になりたくないの!


 どうしてって?


「じゃあ榎本くん、一緒に部屋まで送ってくれない?」


「……いや、大丈夫でしょう。1人で」


「倒れそうなんです」


「榎本殿、送って差し上げたらどうですか?」


「分かったよ」


「ありがとうございます」


 ああ、腕を回された。なんだか付き合いたての恋人みたいに大鳥さんは俺に引っ付いてくる。


 怖い。


 俺は他人からの好意が恐ろしいのだ。


 シャネルからの好意にはやっとかっと慣れてきて、少しばかり彼女からの愛の言葉も信じられるようになった。何年もたって、やっとだ。


 けれどこの女は最近会ったばかりで、どうして俺にこんな好意をよせてくる?


 あれか? モテ期か? モテ期というやつなのか!?


「部屋、行きましょうか」


「送るだけだぞ」


 自分に自信がないからだ、と思った。


 他人の愛情を信じられない人間は、じつは自分のことを愛していないのだと聞いたことがある。そもそも自分に一番近い人間たる自分自信が愛していないから、他人から愛していると言われても嘘だと思ってしまうのだ。


 開陽丸の中へ。


 大鳥さんの部屋はどこにあるのか知らないので、彼女に案内してもらうように俺は横を歩く。べつに俺がついていっている意味などないと思うのだが。


 大鳥さんはからませた腕を離してくれるつもりはないようだ。


「さすがに蝦夷は寒いね」


 ブルブルと震えている大鳥さん。その震えが腕から伝わってくる。


「ですね」


「部屋で温まりたいね」


「え?」


「あ、ここが僕の部屋。1人部屋なんだよ」


「そ、そうっすか」


 ではここで、と俺は甲板に戻ろうとする。


 だが、大鳥さんが腕を強く引っ張る。


「少し中でゆっくり休んでいったらどうかな?」


「いや、忙しいので」


「じゃあ少しだけでも」


 大鳥さんは俺の目を真っ直ぐ見てくる。


 逃げ道をなくさせるような視線。


 まるで催眠にでもかけられるように、俺はその目に吸い込まれそうになる。


「す、少しだけなら……いいかな?」


「でしょう?」


 けれどその瞬間だった。


 俺の脳裏にシャネルの姿が浮かぶ。


 俺の想像のシャネルは怪しく笑っていた。『浮気よ』と、口が動いた気がした。


 いやにリアルな想像だ。


 俺は思わず。


「ごめんなさい!」


 と、謝っていた。


「へ?」


 大鳥さんの腕を振りほどき、走り出す。


「ちょ、ちょっと榎本くん!?」


「部屋でゆっくりはまた今度で!」


 逃げた。


 俺は完全に逃げたのだ。


 これぞ童貞。もしかしたら、あのまま部屋に入ってたらムフフな展開もあったかもしれない。


 しかし俺は逃げる。そういう男だよ、俺は。


 なんの恥もなかった。


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