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638 土方の提案


 嫌な夢を見てしまったせいで、その後もう一度寝ることはできなかった。


 眠れもしないのにベッドに入っていてもつまらないので、俺は起き上がりいろいろやろうと思ったのだけど。


「……なあ、シャネル。なんかやることないか?」


「ないわよ」


「そうか」


「暇なの?」


「はい」


「外ででも遊んでくればどう?」


「そんな、犬じゃあるまいし」


 いつから降っていたのかは分からないが、朝起きたときにはすでに雪が降っていた。その雪は地面に振ってもまったく溶ける様子はなく、どんどん積もっていく。


 このまま五稜郭全体が雪に埋もれてしまうのではないかと俺は不安になった。


「私は寒いの、嫌いだわ」


「俺だってだよ」


「そういえばあの女神は?」


「アイラルンか? たぶんそこらへんにいると思うけど」


 そういえば朝から見ていない。


「不安ね、ちょっと探してこようかしら」


「ほっとけよ。どうせそこらへんで遊んでるか、アルコールでも飲んでるかだろ」


「外で寝てたら危ないでしょ」


「どうせ死なないだろ」


「それもそうね」


 犬は喜び庭を駆け回る。猫はこたつで丸くなる。女神はそこらへんで飲酒。さて、人間様はなにをしましょうか?


「そんなにお暇なら澤さんのところに行ってなにか仕事がないか聞いてごらんなさいよ」


「なるほど」


「ふふっ、『ごらんなさいよ』ですって」


 なにがおかしいのかシャネルは笑っている。ちょっと不気味だ。


「ち、ちなみにシャネルさんは一緒に行く?」


「シャネルさんは一緒に行かないわ。やりたいことがあるの」


「そうっすか」


 たぶん、たぶんだけどシャネルは冗談を言っているのだろう。


 つまらない冗談を言う俺と、分かりにくい冗談を言うシャネル。こうして考えてみればいい塩梅あんばいかもしれないね。


「ああ、シンク。どこかでアイラルンを見かけたら部屋に戻るように伝えておいて。あの人に聞きたいことがあるの」


「人じゃないけどね」


「揚げ足取り?」


「これはツッコミと言う」


「まあ、面白い」


 と、言いつつもまったくシャネルの目は笑っていなかった。


 俺は逃げるように部屋を出る。


 そして澤ちゃんの部屋へ行こうとした。


 しかし廊下を歩きながらふと考えた。


 女の子の部屋にアポもないのにいきなり行っても良いものだろうか?


 足が止まる。


 朝だというのにけっこう人通りがある通路だ。俺は廊下の隅に移動して思案した。


「うーん」


 しかし答えは出ない。


 答えのでないような悩みを抱え込むのは趣味じゃない。


「ここは勢いで行ってしまうか?」


 でもなあ、行って変な顔されたら嫌だしなぁ。


 どうしたものか。


 そんなふうに考えていると、前から黒づくめの集団が歩いてきた。一発で新選組の面々だと分かった。


「何をしている、榎本殿」


 先頭を歩いていた土方が声をかけてくる。


「ああ、トシさん。おはようございます」


 睨まれた。


 たぶんトシさんって呼んだからだ。


「今日も阿呆みたいな顔をしているな」


 それでへそを曲げたのか、明確な悪口を言ってくる。


「そう見える? 天下泰平だと顔も緩むよ、平和が一番さ」


「平和? 初めて聞いた言葉だな」


「そっちはいつも戦闘中みたいな顔してるね。この前の手、大丈夫だった?」


 先日の五稜郭占領戦で、土方は手にひどい怪我をおった。それでも無理やり刀を握っていたが、そのせいで怪我が悪化していないか心配だった。


「おかげ様でな」と、土方。


「副長はブヨウ、貴様に感謝している」


 後ろにいた島田がいらない補足をした。


「おい、島田!」


「しかし副長、感謝の言葉くらいはあっても良いのでは?」


「うるさいわよ」


 あ、また女言葉が出た。


 それに土方も気がついたのだろう。照れ隠しのように俺を睨んだ。


「そんなに睨んでばっかりで、目が疲れない?」


「減らず口を」


「そういえば土方さんはなにしに来たの?」


 いちおう、新選組の人たちは五稜郭に住んでいない。


 なので朝からなにか用事があってここに来たということになる。


「副長は榎本ブヨウ、貴様に会いに来たのだ」


「え、俺に?」


「島田、言い方に気をつけろ!」


「す、すいません」


「あることを提案に来ただけだ! べつに会いたくて来たわけではない!」


「いや、まあ……」


 わざわざ言われなくてもそんな勘違いしないけど?


「総裁である榎本殿に提案がある」


 仕切り直すように土方が言う。


「そういう難しいのは澤ちゃんに言ってほしいな」


「そっちにはもう行った、そしたらお前に話を通せと言われた」


「あっ、そう」つまりたらい回しだ。「分かったよ、それで提案って?」


「この蝦夷にはまだ敵がいる、分かるな?」


「え、なんのこと?」


「物を知らんやつだな。松前藩だ、聞いたことくらいはあるだろう!」


「あー、うんうん」


 たぶん、ない。


 いやあるのかもしれないけど覚えていない。


 そうなの? 北海道にそんなたくさん藩があるの? 俺ちゃん現代っ子だから知らないよ。廃藩置県ってのがあった後だからね。知ってる、廃藩置県。テストに出るから覚えておいてね。


「その様子だと本当に分かっていないようだな。いいか、ここから目と鼻の先に新政府軍側に席を置く敵がいるんだ!」


「なるほどね」


「いますぐ行って、戦ってくる。いや、我々はすでに一国を造ったのだ。これは討伐というべきか?」


「いや、言い方はなんでもいいけど。え、いまから?」


「そうだ」


「外、雪降ってるよ?」


「それがどうした」


「寒いし」


「だからなんだと言うんだ」


「そもそも敵の戦力は?」


「だいたい100だ」


「あ、けっこう少ないね。ならまあ、しょうがない。行きますか」


 ダメだと言って聞く人ではないことはすでに知っている。


 提案と言いながらも、すでに決定事項の伝達のような感じで言ってくるくらいだ。たぶん準備もすでにできているのだろう。


 こういう戦支度の早さは褒めるべきところだろう。


「ちょっと待て、榎本殿。なにを言っている?」


「なにを言ってるって?」


 俺からすれば土方がなにを言っているのかよく分からない。


「付いてくるつもりか?」


「え、そういう話じゃないの?」


 だから俺のほうにも話が回ってきたのかと思った。


「なにを言っているんだ?」


「あ、俺は行かない感じ? でも大丈夫だよ、いま忙しくないから」


 むしろ暇でどうしようかと思っていたくらいだ。


「はあ……榎本、さてはお前バカだな?」


「言いにくいことをはっきり言うなぁ」


 普通他人に面と向かってバカだなんて言えないぞ?


「お前は総帥だ。ここにいろ」


「え?」


 土方はこれで話は終わりだとばかりにどこかへ行ってしまった。


「ちょっと、え? 待ってよ!」


 俺は叫ぶが、すでに俺1人になっていた。


 お留守番?


 いいや、仲間はずれだ。


 なんだか寂しい気分だった。


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