628 緊張と肩透かし
それにしても、と俺はあたりを見渡す。
一面の銀世界だ。
「すごい雪ね」
と、シャネルも目を丸くする。
「だな」
もう地面が見えていない。そこら中が雪で埋もれている。人が通る場所だけが圧雪されて、かろうじて道になっている。
「これ、さっきの流れてきた氷。住んでる人が雪を海に捨ててたんじゃないの?」
「なるほど、そういうこともあるのか」
それにしては量が多かった気もするが。
「ねえ、シンク。眩しいわ」
「雪目だな」
シャネルの青い瞳はいかにも色素が薄そうで、紫外線とかにも弱そうだ。
それは肌も同じで、俺はもしかしたらシャネルが肌荒れしてしまわないかと心配した。
「雪ってあんまり見たことないわ」
と、シャネル。
俺は子供の頃はよく見たけれど、たしかに異世界に来てからはほとんど見ていない気がする。
「ねえシンク、この服どうかしら?」
「え、どうって。良いんじゃない?」
俺は思ったままのことを答える。
しょうじきあまり趣味ではないシャネルのゴスロリも、ここまで一緒にいると見慣れたものになっている。
今日のシャネルは白い服を着ていた。
白いフリルがふんだんにあしらわれたドレス。髪には白いリボンをつけて、そもそもが雪の意ような銀髪なので、どこからがリボンで、どこからが髪か分かりにくい。
肌もう当然のように白く。
たぶん下着も白いのだろうな、なんてくだらないことを俺は思った。
「真っ白ですわ、シャネルさん!」
と、アイラルン。
「なによ、文句ある?」
シャネルが少しだけ顔をしかめる。
「いえいえ、滅相もない。それにしても朋輩、とんでもない積雪ですわね」
シャネルが不機嫌になると思ったのか、アイラルンはあわてて話を変えた。
「だな」
アイラルンは寒さのせいか、ぶくぶくとローブを着込んでいた。たぶん下にはシャネルが気飽きたロリィタファッションを着込んでいるのだろうが。
色気がない。
「なんですの、朋輩。エッチな目でわたくしを見て」
「見てません」
即答する。
「そうよアイラルン、貴女たまには鏡を見たほうが良いわ」
「ムキーッ! ひどい言いようですわ!」
「怒るなよ、アイラルン」
べつに身だしなみに気をつけろとは言わないが(俺だってあまり気にしていない)、シャネルの言うことももっともだ。
ときどき寝癖ついてることすらあるからね、アイラルン女神のくせに。
「ふん、朋輩はわたくしの文句を言ってる前に自分の心配をすればどうですか?」
「心配?」
「いまから大大だーいきらいなスピーチをやるんでしょう!」
「ぐぬぬ……」
そうだった。
バカなこと考えて紛らわせようとしていたが、そうだったのだ。
見れば船からかなりの数が降りていた。
その人数はざっと千人以上だ。
「校長先生の朝礼だってもう少し加減した人数の前でやるもんだろ」
「がんばってくださいませ、朋輩」
「そりゃあやるけどさ……シャネル、ちゃんとカンペかかげてくれよ」
「ええ」
澤ちゃんが船から降りてきた人たちを整列させている。
こうなってくると、本当に学校の朝礼の時間みたいだ。
緊張が増してきた。
「あわわ、あわわ……」
俺は混乱していた。
しょうじき逃げたいくらい。
「榎本殿、緊張しているのか」
なぜかこちらに寄ってきた土方が、あざ笑うように言ってくる。
「まあね」
俺はなんのてらいもなくそう答えた。
「うん?」
まさか同意されるとは思っていなかったのだろう、毒気を抜かれたような複雑な顔をする。
「怖いもんは怖い」
「堂々と言うことか?」
「土方さんはどうなんだよ、斬り合いの前とかは怖くないのか?」
「そんなわけがないだろう、恐れを感じるような臆病な心は持っていない」
「羨ましいな」
「お前は……」土方は俺の目を見た。「そういうところは榎本武揚と似ているのだな」
「それは光栄だよ」
光栄、なのか?
それでなんの用だ、と俺は土方に聞く。
わざわざ俺を鼓舞させるために話しかけてくるような女ではない。それくらい分かっている。
「次の城攻め、我々を先鋒にさせろ」
「なに?」
「私たちが最初に行くと言っているんだ」
「ちょっと待て」
それは俺の一存で決められることではない。
俺は澤ちゃんを探す。少し離れた場所に澤ちゃんはいた。
おおい、と手でこっちに来てくれと呼んだ。
澤ちゃんは大鳥さんと会話をしていた。久しぶりに見た大鳥さんは北海道にふさわしい――ふさわしい?――クールな美しさをまとっていた。
まさかシャネルには言えないが、俺はこういう涼しげな美人が好みなのだ。
「なんでしょうか?」
澤ちゃんと大鳥さんは、そろってこちらに来た。
「いや、あのね。土方さんがつぎの城攻めで自分たちが最初にって言ってるんだ」
「新選組を?」
澤ちゃんが怪訝な顔をみせる。
「そうだ。私たちを前に出せ」
澤ちゃんは少しだけ迷うそぶりをみせた。どうしましょうか、と俺を見てくる。
べつに俺は誰を最前線にしてもいいと思うし、むしろ土方たちがそれだけやる気を持っているのならば行かせるべきだと思う。
先日の船を拿捕した一件でも分かるように、新選組にはたしかな集団戦闘の技術があるようだし。
「どうだ、問題がないならそうしてほしいのだが」
「問題がないなら、良いんじゃないかと思う」
けれどそれに異議を唱える者がいた。
大鳥さんだ。
「僕は反対だね」
「貴様は理由もなしに反対する。榎本殿、この女の話は聞かなくても良い」
「榎本くん、この男女の話こそきかなくてもいいわよ」
やばいぞ、またケンカしはじめてないか?
「あの、俺はどっちでも良いと思うけど……」
「ふざけるな! それでも指揮官の台詞か! どちらでも良いなどという優柔不断で、軍が動かせると思っているのか!」
お、怒られた。
「僕は榎本くんの言うことに賛成だよ、誰が行ってもいいから、新選組には行かせられない」
「いや……俺そんなことは言ってないけど」
なんか言葉がきちんと伝わってないな。
2人はにらみ合う。
俺はもうどうしようもなくて、最終的にはシャネルに助けを求めた。
「ど、どうしようシャネル……」
「私に聞くの?」
「いや……まあ」
「そうね、いっそのこと競争にしたら? さきについた方が城に入る。いい考えでしょう?」
「なるほど、分かりやすい」と、土方。
「そんな行きあたりばったりな」
「ほう、なら大鳥は不参加ということだな」
「誰がそう言ったかな? 頭に脳みそ詰まってないんだね、可哀想に。僕たちと競争なんてさせたらキミたち新選組が可哀想って言ってるんだよ」
「言ってろ」
どうやらケンカは終わったらしい。
けれど……。
「あ、いや。ちょっと?」
土方の隊と。
大鳥の隊は。
なにを思ったかすでに出発をしようとしている。
「あの、いまから俺少しだけお話するつもりなんだけど?」
しかしそんなことお構いなしだ。
2つの隊があるき出したのを見て、他の人たちもついて行く。
右にならえの精神で大移動が始まった。
「ああ、もうこうなったら! 榎本殿、行かせますよ!」
澤ちゃんが俺に確認をとってくる。
「あ、うん」
「みなさん、行きますよ!」
なんだかなぁ。
いや、いいんだけどね。
演説とかしたくなかったし。
けどさ……。
誰にも話を聞いてもらえないとなると、それはそれで寂し。
「私たちも行きましょうか、シンク」
「うん」
「良かったですわね、朋輩!」
「うるせえ」
というわけで、行軍が始まるのだった。




