627 シャネルの演説指導
あ・い・う・え・お。
から始まったシャネルの講義は、数時間続いた。
「いい、シンク。とにかく言い切ることよ」
「言い切る?」
「そうよ。言葉につまるのがとにかくダメなの。指揮官というものバカげたくらいの自信を持っているべきなのよ」
「それはつまり、初代ガングーのような?」
「そのとおりよ」
シャネルは満足そうに頷く。
「言っておくけど、俺はガングーの真似なんてできないよ」
「べつに真似しろとは言ってないわ。ただ参考にすれば良いじゃない」
「なるほどなぁ」
俺はかつて、他人の記憶の中で見た初代ガングーのことを思い出す。
たしかに、体中から自信を溢れさせたような雰囲気があった。なんというか、オーラというやつだろうか。それこそ周囲の空気がゆらいで見えるような、そんな気すらしたものだ。
「はい、シンク。これ原稿ね」
「え、書いたの?」
「そうよ」
シャネルは紙を手渡してくる。
びっしりと文字が書かれている。
「これ、覚えなきゃいけない感じ?」
カンペとかないんですかね?
「当たり前じゃない。せっかく考えたんだから、覚えてもらわなくちゃ。シャネル、悲しいわ」
よよよ、とシャネルは泣くふりをする。
いやいや、なんだよシャネル悲しいわって、もしかして冗談のつもりなのか?
「俺もたいがいつまらない冗談を言う方だけどさ、シャネルの冗談って分かりにくいよな」
「あら、でもシンクは冗談だって分かってくれたでしょう?」
さっさと覚えなさい、とシャネルは俺の持つ紙を綺麗な指でトントンとつまんだ。
「しかしね、シャネルさん」
「なにかしら?」
「俺は文字が読めないのである」
あら、そうだったわと頭を下げた。
「しょうがないわね、私が言うから復唱してちょうだい」
「……分かりました」
というわけで、シャネルが言う言葉を俺はオウム返しにする。
しかしこれが難しい。人の言ったことを覚えるというのは、紙に書かれた文字をそらんじるほどに覚えるのとはわけが違うのだ。
「ダメねえ」
「記憶力には自信がない」
「自信満々で言うことかしら?」
「やっぱりカンペを作ろう!」
「格好悪いわねえ」
「じゃあさ、こうしよう。シャネルが遠くで紙をかかげてくれれば良いんだよ、そしたら俺がそれを見るからさ」
「だって文字読めないんでしょう?」
「だからね、俺がこうして日本語で書く! はい、紙とペン貸して」
「どうぞ」
「カキカキ」
俺はシャネルの言ってくれた言葉をそのまま紙に書いた。忘れていたところはシャネルが補足を入れてくれる。
「あら、シンク。そこ文字間違えてない?」
「え? ああ、本当だ。ええっと、『かくめい』ってどんな字だったか?」
各名?
いや、違うなぁ。
「こういう字よ」
シャネルが隣に書いてくれる。
「ああ、そうだそうだ。『革命』だ! ありがとう!」
って……。
「あの~、シャネルさん?」
「なあに?」
「そういえばシャネルさん、日本語書けたんでしたね」
「そういうことになってるわね。あんまり難しい文字は分からないわよ」
俺はシャネルの考えてくれた演説を見る。
あんまり難しい文字は使っていないように思える。
これなら、もしかして、書けたのでは?
「日本語で書いてくれれば良かったのに……」
「そこまで頭が回らなかったのよ。シンクの国の言葉はあんまり使わないから」
まあなんにせよこれで大丈夫だ。
きちんとカンペを作った。カンニング最高!
そうこうしていると、澤ちゃんが様子を確認しにきた。
「どうですか、榎本殿」
「まあまあかな」
と、俺は余裕をもって答える。
書いてある文字を読むだけなら俺だってできる!
「調子良さそうですね。これ、原稿ですか?」
「そうよ、私が考えたの」
「拝見しても?」
「どうぞ」
「……そうですね、良いのではないでしょうか? 榎本武揚が考えたにしては、少々堅苦しい気もしますが」
「とりあえずこれで演説をやるということで良いよね?」
「そうですね、お任せしますよ」
「はいはい」
と、いうことで演説も決まった。
「それでもちゃんと覚えてね」
と、いうシャネルの言葉にてきとうに返事もした。
あとはそうね、本番で緊張しないようにするだけだ。
「あ、そうでした。榎本殿、いちおう上陸からすぐに攻城戦の予定ですので。最後にそこらへんの士気を上げるような言葉を追加していただけないでしょうか?」
「攻城戦だね」
そのことについて前から聞いていた。
北海道に上陸、後、函館の五稜郭にそく攻め込むのだ。
――五稜郭。
聞いたことのある名前だった。
それがどのような場所なのかはだいたいの知識でしか知らないが、有名な観光スポットであることは確かだ。
もっとも、いまから俺たちはそこに観光しに行くわけではなく、戦いに行くのだが。
「こんな感じの文章を追加したのだけど、どうかしら?」
「ああ、良いですね。榎本殿、ちょっと言ってみてください」
「――かくかくしかじか」
「ちょっと早い気がするわ、もう少しゆっくり言ってみて」
「声も少しだけぶれてますね」
「あと小さいわ、もっと大きな声で言うべきよ」
「注文が多い……」
昔から思ってたけど、シャネルって将来子供ができたら教育ママになりそうだよな。
まあ、なんにせよこれで練習は終わりだ。
「そろそろつきますよ」と、澤ちゃんが言う。「甲板に出ましょう」
「そうね」
「俺ね、俺ね、電車が駅に到着するときとか絶対に見たい人」
「電車って?」と、シャネル。
「あれだ、グリースで乗ったやつ」
あれは汽車だったか。
いや? あれは魔石で動いてたから魔車? 福山○治のアダ名みたいだね。
そんなバカな話しは終わりにして、甲板に出た。
おおっ、と俺は感性をあげる。
北の大地が、見えていた。
「朋輩、スピーチの練習は終わりましたの?」
「まあね」
「見えましたわよ、北海道」
「だな」
近づいてくる。
そして陸地がすぐそこに。
だがここは港ではないようで、開陽丸は陸地に沿って進んでいく。その後を数隻の船が続く。
ちなみに、新選組の面々はすでに開陽丸には乗っていない。このまえ拿捕した船に移動しているのだ。
「家とか、あるのね」
シャネルがつぶやくように言った。
たしかに、海岸沿いには数件の民家が建っていた。
それを意外に思ったのだろう。
「そりゃあ、人だって住んでるだろ」
「そうだったわね、私たちは侵略者だったわ」
ああ、と俺は頷いた。
港が見えてきた。
船の中に緊張が広がっていく。
戦闘になるかもしれないのだ。
だが、港はすっからかんだった。良かった、と俺は思った。
そのまま難なく入港した。
そして俺たちは北の大地に降り立つのだ。
「いやはや、朋輩。とうとうやってきましたわね」
「ですな」
少しだけ、気分が良かった。
浮かれている。
「北海道はでっかいど~!」
アイラルンが叫ぶ。
「バカ、言うと思ったよ」
「やはりここに来たら一度は言っておかなければいけませんわ!」
「浮かれるなよ」
「朋輩こそ!」
シャネルがため息をつく。
「あなたたち、2人ともよ」
船からぞくぞくと人が出てくる。
ここまで長かったな、と俺は思った。
しかしとうとうやってきたのだ。
北の大地。
希望の大地。
ここが俺たちのエクソダス先であると――。
俺はこのとき、わけもなく無邪気にそう思っていたのだった。




