621 土方の作戦
気仙沼の周辺には村々を束ねる寺があった。
そのさらに上の組織には仙台藩がいるはずなのだが、突然の停泊には当然のように反応を返すことなどできず、俺たちの前に現れた顔役は袈裟を着た和尚さんだった。
「ようこそ、いらっしゃいました」
和尚は柔和な男だった。
俺たちのような人間が静かな港町にいきなりやってこれば、普通なら敵対心を向けてもおかしくないくらいだが。和尚は微笑みをたやすことなく応対してくれた。
寺に集められたのは俺たち――つまりは俺や澤ちゃんと新選組の面々。そして気仙沼の人たち。もちろん全員というわけではなく、それなりの地位の人たちだろう。
俺たちは向かい合うように座り、住民側から一歩前に出た位置に和尚が座っている。
「話を聞いていただいてありがとうございます」と、澤ちゃんが切り出した。「我々の入港に対して悪いようにもしていただかず――」
「貴方がたも、我々をどうこうしようという気はないのでしょう? 海の上で嵐にあえば近くの港に入港したくなるのも当然のことでしょう」
「数日間、嵐が去るまでと考えております」
「ええ、ええ。それまでどうぞゆっくりしていってください」
ちょっとだけ不気味な感じがした。
どうにもトントン拍子に進みすぎている。なにか裏があるのではないだろうか。
「シャネル……どう思う?」
俺は小声で聞いてみる。
「なにが?」
「話がうますぎると思う」
「あら、もっと素直に人の好意を受け入れるべきよ」
そう言いながらもシャネルはクスリと笑う。たぶんシャネルの方も信じておらず、冗談の一種として言っているのだろうな。
「我々は3000人に近い人数がいます。もちろん全員が降りるわけではないのですが、できれば半分くらいは……と考えているのです」
「はて、1500人でしょうか。それはしょうじきに言って途方も無い数ですね」
和尚は考えるように一瞬だけ目を閉じた。
「もちろん、金子はあります」
「金……ですか」
「ただで泊めてくれ、食料をくれと言っているわけではありません」
「いえ、それは分かっているのですが……しかしはっきり言って我々もそう多くの食べ物を貯蓄しているわけではないのです」
「そうですか……」
澤ちゃんが話をしてくれるおかげで、俺たちは後で座っているだけですむ。
「海産物でしたらある程度ありますので、それはお渡しできます」
「ありがとうございます」
あ、ちょっとだけテンションの低い『ありがとうございます』だった。
そりゃあそうだよね、ここまでの船旅。ほとんど海の幸しか食べてないもんね。できれば山の幸も。というか米が食べたい気分なのは、みんな同じだろう。
「ただ問題は寝床です、この寺とて人を詰め込んでも200人が限界でしょう」
「はい」
「ただ、そうですね。1つ考え、というか提案があるのですが」
和尚の笑顔がいっそうにこやかなものになった。
裏の顔が出てきたな、と俺は察した。
「なんでしょう?」
「ここ数ヶ月ほどの間でしょうか、この港は海賊に襲われているのです」
「ほう、それは大変ですね」
澤ちゃんは顔をしかめる。
「無頼のやからは近隣の村から様々なものを奪っていきます」
なるほどな、と俺は思った。
この和尚、毒をもって毒を制すとばかりに俺たちを受け入れたわけだ。
「食料、酒、そして女。挙句の果てには村をまるまる一つ、根城にするしまつ」
「なぜ、藩の方には討伐を依頼しないのですか?」
「このご時世です、どこも人手不足で」
澤ちゃんは忌々しそうな顔をした。
つまりは俺たちに討伐をしてほしい、と。そうでなければ俺たちの寝床すらないわけだ。
「どうする、澤ちゃん」
「……やるしかない、でしょうか?」
「判断がつかない」と、俺はしょうじきに言った。
いきなり港に入って、いきなり海賊と戦ってくれだって? そんな無茶苦茶な話あるか?
たぶん、相手もすぐに返事をしてもらえるとは思っていないだろう。
気長に待ちますよ、とばかりに微笑んでいる。
だが――。
「それで、敵はどこにいる?」
土方だ。
「え?」
「敵だ、いますぐ向かうぞ」
どうやら新選組の隊士たちは準備万端、といった様子だ。といっても準備などあってないようなもの。腰に二本の刀さえあればそれで十分という様子だ。
「い、行ってもらえるのですか?」
和尚の方も即答を貰えるとは思ってなかったのだろう。
驚いている。
「いますぐ行くと言っている」
澤ちゃんがちょっと待て、と話に割って入る。
「この雨の中をですか!?」
「やっこさんもまさか入港したその日に、しかも雨の中を来るとは思わねえだろうさ」
なるほどな、と俺も頷いた。
「無茶苦茶ですよ!」と、澤ちゃん。
「いや、理にかなってる。戦いで相手の隙きをつくってのは大切なことだ」
そうだろう? と、俺は土方の目を見た。
分かっているな、と土方は頷いた。
「シャネルはどうする?」
「私はここにいようかしら、澤さんと一緒に」
「じゃあそういうことで、土方さん。俺も行くよ」
本当のところ言えばこんな雨だ。俺だって留守番していたいところ。
けれど部下だけを行かせて大将が待っているというのも違う気がする。
こういうとき率先して働くからこそ、いざというときに部下はついてくるのだ。
「よし、じゃあ地図を出しな」
土方は和尚に詰め寄る。
「だ、誰かここらの地図を持ってきてくれ」
すぐに寺の坊主が地図を持ってきた。
その周りに俺たちは座り、作戦をたてる。
「山越えか」と、土方。
「どれくらいの高さ?」
俺は地図がよめない。
「たいしたものじゃない。早足で行けば半刻ほどで抜けられるはずだ」
「この時間なら相手は寝てるかな?」
「だと楽なんだがな」
土方と喋っている俺を見て、新選組の隊士たちは不思議そうな顔をしている。
たぶんタケちゃんはこういうことをしなかったのだろう。
「村の入り口は2箇所か。どうするのが良いと思う、榎本殿は」
「同時に攻める!」
「それもアリだが、私のおすすめは一方から攻めることだ」
「と、言いますと?」
「挟み撃ちではうまいこと逃げたやつらをうち漏らす可能性がある。しかし入り口の一方を手薄にすることで、こちらの手が届かなかった敵は、そちらに向かって逃げるだろう」
「なるほど、そこで待ち伏せするわけだ」
「察しが良いな、そのとおりだ」
たしかに、それなら挟撃するよりも敵を根絶やしにできるかもしれない。
少しばかり残酷な作戦ではあるが。
「班分けはいつもの通りで行く。榎本殿は私と一緒にお願いします」
「了解」
基本的に、作戦会議は土方の発案を他の人間が聞くという形だった。
俺以外からの質問はなく、とうぜん異論もなかった。
スピーディーな会話の結果、俺たちはぞろぞろと寺を出る。
「あちらです」と、名前を知らない隊士が地図を手に案内をする。
たぶんそいつがそういう仕事をする、と決まっているのだろう。
案内の通りに進んでいく。雨は少しだけ小ぶりになっていた。




