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617 嵐と大鳥


 その日は朝から雲行きが怪しかった。


 海はずっとおしめを変えてもらっいない赤ん坊みたいにグズグズとしていた。


船に乗っている俺たちの中には慣れていない人間もいたので、そこら中で船酔いの患者が出ていて、俺は指揮官として吐く場合は海に吐けと命令を下したものの、どうしても間に合わなかった人間たちの吐瀉物がそこら中にまき散らかっていた。


「これは……ちょっと酷いわね」


 シャネルはあまり問題なさそうだが、その隣のアイラルンがげっそりしている。


「うげぇ……これ嵐にあってません、まずいですわ」


「まだ嵐ってほどじゃないと思うけど……」


 そう思っていると、部屋の扉がノックされた。


「榎本殿」と、澤ちゃんの声だった。


 俺は少しだけ警戒しながら扉を開ける。


「どうしました?」


 その警戒心は口調にも現れる。敬語で喋ってしまう。


「……あまり丁寧な言葉はおやめください」


「ああ、ごめん」


「我々の関係は主従に近いものですから」


「分かってる」


 しかし俺が丁寧な言葉を使ってしまったのは澤ちゃんに不信感を抱いているからだ。


 彼女が自らの部屋に置いていたラム酒漬けのタケちゃんの死体。あれを見てしまったら、この女のことを今まで通りの目を向けられない。


「航路について少々ご相談が。作戦会議室までご同行ください」


「分かった」


 シャネルは何も言わずに首を横にふる。私はここにいるわ、ということだろう。


 会議室と呼ばれる部屋があるのだが、そこはあまり広い場所ではない。何人もいると迷惑だと思ったのだろう。


「こちらです」


 俺は澤ちゃんについて行く。


 開陽丸は大雑把に言って2階建ての船だ。甲板も入れれば3階建てか? 会議室は2階にある。あまり入ったことのない場所だが。


 扉を開けると、中にはすでに2人、先客がいた。


「榎本さん!」


 キャプテン・クロウだ。あちらの船からわざわざ渡ってきたのだろう。


「キャプテン、そっちはどんな調子?」


「ええ、かなりみんな飽きていますよ。この移動に」


「そうか」


 とにかく柄の悪い海賊ばかりが乗った船だったからな。こんな移動が続けば飽きもしてくるかもしれない。


 俺たちの船――あるいは艦隊とでも言うべきだろうか――は陸地にそうように移動していた。


 目と鼻の先に陸地があるのにそこに入港できないというのは、どうにももどかしい。


 あとは土方だ。


「私は陸軍なのでこの会議には関係ないんだが、賑やかし程度と思ってくれ」


 特徴的な男言葉でこちらを睨む土方。


 敵意、だろうか?


 いや違うな、この人はたぶん元からこういう性格なのだろう。


「それで、今日はどんな話?」


 しょうじき俺になにを聞かれても分からないとしか答えられないのだが。


「もう1人、来ていませんね」と、澤ちゃん。


「まだいるの?」


「べつにヤツはいなくても良いだろう、私と同じ陸軍の人間だ」


「土方さん、そう言わずにね。どうせ時間はありますから」


 俺はやんわりと言っておく。


 そのもう1人というのがどんな人かは知らないが、会議の場に来てすでに話が始まっていると悲しいかもしれないからな。


「おや、榎本殿はそんなふうに時間を無駄に使うような男だったかな?」


 むっ……いかにもバカにするような口調。でも俺ちゃんは大人なのでこんなアオリには屈しないのである。


「はは、人間余裕も大切ですよ」


「そうかい、なら大鳥のことを待つとしよう」


 大鳥というのか。いまから来る人間は。


 どんな人なのだろうか。


 と、思っているとすぐに扉が開けられた。


「……ああ、僕が最後か」


 入ってきたのは長い黒髪の女性だった。スラッとした体型をしている、身長はシャネルくらいだろうか。つまり女性としては高い方。


 顔つきはどこか冷たく、その表情にはアンニュイな雰囲気がまとわりついていた。


『僕』と、言っていたが、女性だ。


「遅いぞ、大鳥」と、土方が言う。


「キミと違って忙しいんだよ、僕は」


 あれ?


 もしかしてこの2人、仲悪い感じ?


「ほう、そうかい。じゃあいまここで楽にしてやろうか?」


 土方が刀の鯉口をきる。


「ふんっ、お山の大将が」


「貴様だって同じだろうに。引きずり下ろしてやろうか?」


「僕の部下たちは優秀なのでね、僕がいなくてもしっかりやるよ。キミのところと違って」


「無礼な!」


 土方が刀を抜こうとした。


 その瞬間に、俺は土方の手首をすばやく握った。


「やめないか!」


「なっ――!」


「ケンカするなら外でやってくれ!」


 俺が言うと、土方はしぶしぶ刀を収めた。


 そんな俺を、大鳥はじっと見つめる。それこそまばたきもせずに見つめる。


 なんだろう……ちらっと俺は大鳥さんを見たが、美人だ。


 美人に見つめられると恥ずかしい。


「ありがとうございます」と、いきなりお礼を言われた。「そのケダモノを止めてくれて」


 なぜそこで土方を悪く言う。


 それがなければ丸く収めることもできただろうに。


「榎本殿、悪いがそいつだけは我慢ならない。もう殺す、絶対にいまここで!」


「おお怖い怖い。弱い人間ほどよく吠える」


 いや、マジでなんでこの2人ケンカしてんの? まったく意味が分からない。


 たぶんソリが合わないんだろうな。


 澤ちゃんがこちらを見ている。俺に止めろと言っているのだ。


 クソ、俺なのか?。


「とりあえず2人ともさ、仲良くしろとは言わないけど殺し合いみたいなことはしないでよ。土方さんは刀しまって。大鳥さんは悪口言うのやめて」


「……ふん」


 土方は鼻を鳴らしてつまらなさそうに部屋の隅に行く。


 大鳥さんは分かりました、といかにも上品な所作で頭を下げた。


 じゃっかん、ほんの少しだけ、それとなく、好みのタイプの美人だった。こういう涼しげな雰囲気の美女が好きだ。


「榎本くんって、思ったとおり優しい人……」


 なぜか大鳥さんは俺の近くに来た。


 土方から離れた、という見方もあるが。


「はあ……」と、澤ちゃんがため息をつく。「では会議をはじめます」


 ということで、やっと会議が始まった。


「それで、本日はどういう要件で!」


 キャプテンが元気に聞く。


「現在、我々の行く先には嵐があります」


 だな。朝から海の調子が悪いのは素人である俺が見ても分かった。


「宮古湾まで補給は無しの予定でしたが、このままだと嵐に会う可能性があります。いえ、多いと言っていいでしょう。我々は江戸から仙台までの間に一度嵐にあって、ひどい思いをしています」


 そう言えば仙台で初めて開陽丸を見たときは修理中だったな。


「それで、ここからが問題なのですが。このまま進むか、あるいは一度港に停泊するか」


「え? そんなの絶対に停泊した方が良いでしょ」


 どう考えてもそうだ。


 無理やり進んで嵐にあったどうしようもない。


「……と、榎本殿は言うのですね」


「なにか問題が?」


 俺は察した。


 停泊には問題があるから、澤ちゃんは迷っているのだ。


「はっきり言います、我々は嫌われ者です」


「……嫌われ者」


 そうなのか?


「僕たちだけですから、いまさら面と向かって新政府軍に歯向かっているのは」


「触らぬ神に祟りなし、と思っている腰抜けばかりということだ」


 なぜか土方は大鳥さんを睨んでいる。


 まるで大鳥さんを腰抜けだと言いたいような感じだ。


「きゃっ……怖い」


 そしてなぜか大鳥さんは俺の服の裾をつかむ。


 やばいのでは、この人? なんでこんな距離感が近いの? こんなとこシャネルに見られたら……困ったことになりそうだ。


「もしかしたら、戦闘にすらなるかもしれません」


 澤ちゃんはそれでもいいのか、と俺を見た。


 その瞬間、理解した。


 そうだ、決定権は俺にあるのだ。


 俺はタケちゃん――榎本武揚の変わりにここにいるんだ。


 腹をくくれ、と自分に言い聞かせる。


「停泊だ、近くの港に行くぞ」


 俺は言い切って、澤ちゃんに強くうなずくのだった。


あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。

今日から更新再開、がんばります!

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