614 男言葉で喋る女
知らない女は、俺が知らないから、知らない女なわけで。
けれど俺はその女のことを見たことはあった。
べつに俺は誰かを煙に巻こうとしているわけではなく。
ただ見たことはあるが、それが誰なのかは知らないというだけだ。
「いま、いいかな?」
「えっ」
なにが?
「時間」と、女はつっけんどんに言う。
「あ、ああ。時間ね。どうぞどうぞ、暇してたところ」
俺はこの女のことを知らない。
しかしこの女は俺のこと――というよりもタケちゃんのことを知っているのだろう。そういった雰囲気を敏感に察して、いかにも知り合いを招き入れるようにして俺は扉の前からどいた。
すると女はどこか抜身の刀のような危険な雰囲気で、部屋の中に入り、じろりと周囲を見回した。
あ、まずい。
シャネルが部屋の隅で服に囲まれて寝転がっている。それは前までのタケちゃんにして見ればありえないことだろう。
「ごきげんよう」と、シャネルはにこりともせずに挨拶をする。全然ご機嫌が良くなさそうだ。
「こんにちは」と、女の方も返す。
挨拶を交わしたというのに、2人はむしろ剣呑な雰囲気になったようだ。
女は俺よりもずいぶんと身長が低い。と言えば小柄であるようにも思えるだろうが、それは違う。俺がそれなりの身長をしているから、女性の中でも平均的な身長であっても小さくなってしまうのだ。
というのに、である。
女の雰囲気にはどこかこちらを飲み込むようなものがあった。
苦手なタイプだ。こういう気の強い女性は。
じゃあ得意なタイプの女性なんているのかと問われれば返事に困ってしまうのだが。
「そちらの方は? 榎本殿」
女が俺に聞いてくる。
「シャネル・カブリオレさんだ。ドレンスからの軍事顧問」
そつなく答える。ここらへんの返答は澤ちゃんに仕込まれた。
「ああ、そちらの方が。たしか男女の2人組だということでしたが」
「もう1人の方は死にましたよ」と、俺は答える。もちろんもう1人とは俺のことだ。「野垂れ死にです」
女が俺を睨むようにして見つめた。
ドキッとした。べつに恋心とかではなく。
野垂れ死には言い過ぎだっただろうか?
「そうですか。それで女の方はまだ残っている、と?」
「そういうことですね」
「職務に忠実なのよ」と、シャネルも話を合わせる。
それで、女は鼻で笑った。
「ドレンス人は恋多き、と言いますがね。あの英雄ガングーも生涯添い遂げたのは1人でも、その人生には多くのヒロインがいたと言いますし」
シャネルがナイフと杖を同時に抜いた。二刀流の構えだ。
「世の中には言っても良い事と悪い事があるわ」
「怖い女だな」
女は刀に手をかける。ずいぶんと長い刀だ。
「やめろ」と、俺は言った。
しかしそれをどちらに対して言ったのかは、自分でも分からなかった。
「いままでどれだけ甘やかして育ってきたか知らないけどね、お嬢さん。ダンビラの味なんて知らないだろう? 謝れば許してやるよ」
女が刀を抜いた。
はあ、と俺はため息をつく。
「シンク、この人おかしなこと言ってるわね」
シャネルは怒りを隠そうともせずに、笑う。
ときどきいるよね、怒ると逆に笑う人。シャネルがそれだ。
「シンク?」
女が首をかしげた。
シャネルは服の敷物から瞬時に立ち上がる。そして斬りかかった。
しかしそこは女の方もたしかに反応していた。
このままではお互いに斬り合ってどちらも怪我してしまう。女の子が怪我するなんてあってはいけないことだ。そうだろう?
俺は2人の間に入り込み、シャネルに対しては腰に手を回し、そして名前の知らない女に対しては当て身をくらわして突き飛ばした。
女は下がり、しかし倒れることはせずに体勢を立て直してみせる。
そしてシャネルは頬を染めて俺の背中にそっと体を添えた。
「きゃあ、怖い。シンク、あの女が乱暴なことしようとしたの」
どうやらか弱い女の子のつもりらしい。
そう言いながらもナイフと杖を持っているのだが。ちなみに魔法は使えないはずなので、杖は脅しにもならない。
「シャネル!」
俺は少しだけ叱るような口調で、シャネルの名前を呼んだ。
シャネルは少しだけ顔をそむけて唇をとがらす。すねているのだ。
「貴女もやめてください。こういうことは」
俺は女の方にも言う。
いきなり出会って数十秒で殺し合いとか、どこのデスゲームだよ。
「べつに殺すつもりはないさ」
「だとしてもこんなところで。刀をおさめてください」
俺は言いながらも、どういうふうに接すればいいのか分からず敬語になる。
「なあに、少し試しただけですよ。少しね」
試したとは言っているが、この女は本気で殺すつもりだった。それにシャネルもだ。
なんて危険な女ども。俺の周りはこんなのばっかりか。
俺は落ち着いてまじまじと女を見つめた。
黒い服に長い刀。よく見れば顔立ちはかなり整っている、シャネルとはタイプが違うが絶世の美人であることは確かだ。しかしまとう雰囲気はどこか男っぽい。
けれど面白いのは、デコが広く見える髪型をしていることだ。
男ならばオールバックなのだろうが、女の子の場合は? なんだか小学生の頃にいた、真面目な委員長タイプの女の子に見えた。
さて、ここからどうしたものか。
そもそも俺はこの女の名前すら知らないのだ。
「それで、貴女誰よ」
シャネルが俺の背後に隠れて言う。
ナイスフォローだ、俺が困っているのを察してくれたのだろうか。
「ほう、私の名前を知らないと? 榎本殿から聞いてないのか?」
「ま、まあ」
「聞いてないわよ」と、シャネル。
女は名乗ろうと口を開いたようだが、すぐにその口を真一文字に閉ざす。
「人に名前を尋ねるのならば、自分から名乗れ」
女が言う。
「シャネル・カブリオレ」
「カブリオレ? いかにもドレンス人らしい名前だな」
女は、男言葉で喋る。
「なにか文句でもあるかしら?」
「いいや」
「で、貴女の名前は」
「内藤隼人」と、女は答えた。
誰だろう、と俺は思った。知らない名前だ。
そう思って女――内藤を見つめると、彼女は大笑いを始めた。
その瞬間、俺は――あるいは俺とシャネルは――からかわれていることに気づいた。
「バカにして」と、シャネルがつぶやく。
「本当の名前は内藤ではない」と、女は言う。
「じゃあなによ」
「土方」
と、女は答えた。
それだけで分かるだろう、とばかりに鋭い視線をシャネルに送った。




