612 海賊船にて
キャプテン・クロウへの説明は俺の言葉ではうまく要領を得ないもので。けっきょく澤ちゃんにところどころ補足をしてもらった。
「なるほど、榎本さんが榎本武揚氏の身代わりをする、と?」
身代わりという言い方にはなんだか嫌な重さがあった。
「まあ、そういうことですね」
「大丈夫でしょうか! あ、いえ。私なんぞが心配することではないのですが!」
キャプテン・クロウはなんのてらいもなく、本当に心の底から心配しているように俺を見た。我々の仕事はそこまでやるほどのものでしたでしょうか? と、そう言いたいようだ。
「タケちゃんが――あ、いや。榎本武揚が死んだんです」
「それは聞きましたが」
「俺はその場にいました。けれど……守れなかった」
守りたかったのに。
「お辛いでしょうね。事情は大方、分かりました」
「はい」
「……ふむ。少し外に出ますか!」
いきなりなにを言い出すのだろうか? まあ船の中にずっといたら息がつまるというのもあるが。
断る理由もなかったのでキャプテン・クロウに連れられて外に出た。
甲板には忙しいほどに動き回る男たちがいた。
海賊船は開陽丸の後を進んでいる。あちらはあちらで大変そうなのだろうか?
「潮風って嫌だわ。髪が痛むって言うじゃない?」
シャネルはちょっと不満顔だ。そんな顔をしているシャネルはなんだか愛らしい。俺はシャネルのサラサラの髪に見とれていた。
触りたい、とすら思ってしまう。
どうしようか、迷う。触ったら怒るだろうか? 怒るようなことはないだろうが。
「なあに?」
わっ、見ているのがバレたようだ。
「いや、なんでもないぞ」
いかにも普通の顔をしているが、ドキドキしていた。なんだかなぁ、ちょっとした拍子にシャネルの美しさというものを認識してしまうのだ。そうなるたびに俺は赤面する。
俺たちは長いこと一緒にいるのに。
「榎本さん、ご覧ください!」
キャプテン・クロウが開陽丸を指差した。
「はい?」
いったい何を言うのだろうか。俺はキャプテン・クロウの次の言葉を待つ。
「あそこにある船はこのジャポネでも最強の船と聞いております!」
「らしいっすね」
キャプテン・クロウは大声でガハハと笑った。いきなりのことだってので俺はびっくりしてしまった。突然耳元で大声出さないでよ……。
「そしてこちらの船はドレンス最強の船です!」
そうなのか? え、知らない。
「これで勝てぬ相手はいないでしょう! がはは!」
「呆れた」と、シャネル。「何を言い出すかと思えば」
「いえ、しかしこの船の速力はかなりのものですよ。開陽丸に余裕でついていっています」
「ほう、お気づきですか!」
「はい、小型の船とはいえこの速さはかなりのものです。ドレンスの技術でしょうか?」
「もちろんです! ガングー時代に我が国は海戦で手痛い打撃を受けましたからね。昨今では海洋戦力の強化がかなり行われておりますよ。もっとも、いまだに伝統の陸軍に国民の感心はそそがれおりますが!」
海賊崩れのキャプテン・クロウは、しかし多くのドレンス国民がそうであるように愛国精神にあふれているようだった。
「榎本殿はいい仲間をお持ちだ」と、澤ちゃんは言う。
その榎本殿というのが俺のことを指すのか、それともタケちゃんのことを指すのか、判断がつかな
かった。
この元海賊船に乗っている人間たちはドレンスからずっと一緒で、俺が榎本シンクであるということは知っている。もちろん大々的にみんなを集めて説明などしていないが、なんとなく気づいているはずだ。
そもそも隣にいつもシャネルがいるのだから、俺のことを少しでも知っている人間ならばすぐに気づくだろう。
しかしあちらの開陽丸に乗る人たちは……俺をタケちゃんだと思っているのだ。なんだかな、やりづらい。
「なんにせよ榎本さん! まさしく乗りかかった船ですよ! 私たちは貴方の行くところに、最後までついていきます!」
「ありがとう、キャプテン・クロウ」
べつにドレンスに帰ることだってできるし、むしろしても良いのに。
キャプテン・クロウは最後まで俺についてきてくれると言っているのだ。これに感謝しなければ人間ではない。
「まあ、どうせドレンスに帰っても、貴方を置いてきたと知られればまたお尋ね者ですからね!」
そう言われて、俺はふと思った。
いつしかドレンスに帰れるだろうか?
もしかしたら北の大地に骨を埋めることになるのでは?
そう考えてから、笑ってしまった。
俺はいま現在、自分の故郷をドレンスに定めていた。たしかに異世界に来てから日は長いが、まさか元いた世界よりもこちらの世界に帰りたい場所ができているとは思っていなかった。
元から、あちらの世界に未練などなかった。
だから時間が経てばこうなるのは当然のことだ。俺はドレンスに帰るのだ。
しかしそれは蝦夷でやることをやってからだ。
「さて榎本殿、そろそろ開陽丸に行きますよ。クロウ殿、開陽丸につけてください」
「あいあいさー。野郎ども、あっちの船にすれすれまで近づけてやれ! キスしてやるんじゃないかってくらいな!」
「傷つけないでくださいよ」と、澤ちゃんは不安そうだ。
「なあに、心配しなさんな!」
海賊船は海の上を滑るようにして動いていき開陽丸へと近づく。
「榎本殿、いいですね。くれぐれもあちらに移ってからはそのようにして振る舞ってください」
「そのようにしてって?」と、俺は分かりきったことを聞く。
「あの人のように、です」
ああ、と俺は頷いた。
そういえばと俺は思った。タケちゃんの死体はいったいどこに行ったのだろう。たぶんどこかに保存されているのだろうが。
いや、それとも破棄されたのだろうか。
タケちゃんの死体は、俺とタケちゃんの入れ替わりの証拠だ。それをわざわざ残しておく意味は薄い。
だが、もしも誰にも弔ってももらえずタケちゃんの死体が破棄されたのならそれは悲しいことだ。そしてそれを指示したのが澤ちゃんだとしたら、俺はこの女を許せないだろう。
さてはて。
まさかこの場で質問するわけにもいかないが。
澤ちゃんの目はまったく俺を見ようとせず、じっと開陽丸を見つめているのだった。




