587 開陽丸
旅館から出ると、ちょうど庭のところにタケちゃんがいた。
機能初めてあった時と同じ釣り人の格好をしている。
「ああ、シンちゃん。昼ごはんは口にあった?」
「かなり美味しかったよ」
和食らしい和色を食べるのは久しぶりだ。もう何年も食べていない。だってこちらの異世界に来てからどちらかと言えば洋食ばかりで。
あるいはシャネルお手製の料理――ま、炭のことだ。
「本当? だったら嬉しいね。まあ私が作ったわけではないけど」
タケちゃんはからからと笑う。
なんとなく、他人から好かれそうな笑いだと思った。俺とは違う笑い方。俺の笑顔は卑屈ではないだろうか?
「それでシンちゃんたち、これからどこに行くの?」
「船の方に戻るよ。キャプテン・クロウ。あ、昨日俺たちといた鉤爪の人なんだけどな。あの人が待ってるはずなんだ」
「そのまま帰るのかい?」
帰るか、と聞かれて俺は答えつまった。
いまだに俺はなにも決めていない。この国でなにをやるのかを。
「えっと……」
「シンクは帰らないわよ」
俺ではなくシャネルが答えてくれた。
あまりこういうのは自主性がないように思えてしまうのだが、けれどシャネルがなにかを決めてくれるのならば俺としては楽だ。
「そうなの、シンちゃん」
「え、いや。まあ、うん」
「むうっ……朋輩、わたくしはここは尻尾を巻いてでも逃げたほうが良いと思いますわ」
アイラルンはあまり乗り気ではなさそづあ。
とはいえ、ここで帰るのもたしかにもったいない気がする。クラーケンなんかとも戦って、命がけで来たのだから。
「良かったよ、シンちゃんとはまだ話したいことがあったからね」
もちろん俺だってだ。
俺がどちらかといえばこのジャポネ残留に心を動かしているのは、目の前のこの新しい友人の存在が大きい。
「また帰ってくるよ」
いや、とタケちゃんは楽しそうに釣り竿をふった。
「私も同行しよう」
「え?」
「港へ行くのだろう、なら目的地は同じだよ」
「言われてみれば」
タケちゃんは釣り竿を持っているのだから気づくべきだった。
ついでということで、俺たちはタケちゃんが用意されていた馬車に乗り込むことになった。
どうでもいいけど、馬車なんだよな。
「カゴとかで行かないの?」と、俺は聞いてみる。
時代劇でお殿様が乗っているあれだ。
1度でいいから試してみたかった。
「もちろんあるけど、個人的に私が好かないんだよ。あれはどうも合理的には思えないからね。人間2人でカゴを持って1人の人間を運ぶじゃあね、護衛もいるし」
「なるほど、それなら馬車の方が楽だと」
「それに早いからね。最近じゃあジャポネでもけっこう馬車を見るよ」
「ほーん」
ドレンスでは馴染みの馬車でも、ジャポネでは意外と珍しいのかもしれない。
というわけで、馬車に揺られて港へ。
あまり遠くはないが、不思議と疲れた。たぶん馬車の中でアイラルンが騒いでいたせいだろう。この女神は本当に……。
港にはたくさんの船があったが、その中でひときわ目立つものが一隻。
我がドレンスが誇る海賊船――と、言いたいところだが違う。俺たちが乗ってきた船よりも数段巨大な船が、港の中央を陣取っていたのだ。
俺たちは入港したときはなかったはずだが。
「でけえ船」と、俺は思わず言ってしまう。
「ほんとうね。グレート・ルーテシアよりも大きいのじゃない?」
グレート・ルーテシアというのはあれだ。俺とシャネルがドレンスからグリースに行ったときに乗った旅客船。しょうじきどちらが大きいかはぱっと分からないが、こちらはおそらく軍艦なのだろう。物々しい大砲がついているせいで威圧感がすごい。
「すごいだろう?」
と、なぜかタケちゃんが答える。
「あ、もしかして!」
俺はなんとなく察した。
タケちゃんの役職は幕府の海軍副総裁だったはずだ。海軍なのだか、軍艦の一隻くらい持っていてもおかしくない。
あの大きな船が、それなのだ。
「開陽丸といいます。現在このジャポネにある中ではまず間違いなく最強の軍艦ですよ」
「じゃあタケちゃんがあの船の艦長なの?」
「いや、艦長は澤ちゃんだよ。たぶん中にいるんじゃないかな? ちょっとこの仙台に来るまでに嵐にあっちゃってね。少し修理中なんだよ」
「ほー」
言われてみれば船大工のような人たちが忙しげに港を走りまわっていた。
さて、見ればその船の周りにガラの悪そうな男たちがいた。
「お頭、すげえ船っすね!」
「馬鹿野郎、お頭じゃねえ船長と呼べ!」
どつかれている若い海賊。
そして鉤爪のないほうの手でどついているキャプテン・クロウ。
「中に入ってみましょうぜ!」
「そうっすよ、どうせいま忙しそうですからバレやしませんぜ!」
「そうだな……よし、行くか!」
なんか無断侵入しようとしてるし。
しょうがない、ここは俺が注意するしかないな。
「キャプテン、ちょっとキャプテン・クロウ!」
話しかけてみる。
キャプテン・クロウはすぐに気づいて振り返ってくれた。
「ああ、これは榎本さん!」
よかった、無視されなくて。
人に話しかけて無視されると悲しいからね。
「ダメだよ、勝手に入っちゃ」
「申し訳ありません! 榎本さんがいつ戻ってくるのか分からず、暇で暇で!」
豪快に笑うキャプテン・クロウ。
「あはは」俺は思わず苦笑い。
「そのせいで朝から港の人間たちとケンカばかりおこして。まったく、このバカどもが!」
キャプテン・クロウは手近にいた部下をポコリと殴る。そんなに痛くはなさそうだが、殴られたほうがわざとらしく痛がってみせた。
「キャプテン・クロウ。もし開陽丸の中を見たいのでしたら私から話をとおしてみましょうか?」
「榎本武揚様からですか! それは嬉しい!」
ふと、キャプテン・クロウは動きを止めた。
そして俺とタケちゃんを見比べる。
「なんでしょう?」と、タケちゃん。
「こうしてまじまじと見れば、本当に似ていますな。世界には自分に似た人間が3人だかいるといいますが、それでしょうか?」
「さあ、どうでしょうね」
「しかし中を見させてくれるのでしたら!」
キャプテン・クロウは同じ海の男として、船の中が気になるのだろう。
だが、彼が船の中を見れることはなかった。
「おかしら~!」
と、少し離れた場所から海賊が呼ぶ。
「どうした!」
「また揉め事です! 仲裁してくださいよぉ!」
「馬鹿野郎、またか!」
やれやれ、これだから血気盛んな海賊たちは。
しょうがないので、俺も揉め事を見に行くことにした。え、べつに野次馬じゃないですよ。いちおう止めに入るつもりだったのだ。




