058 奴隷がほしい!
藁束の中で目を覚ます。ゆっくりと半身を上げるといつも感じるシャネルの温かみがない。今日は俺の方のベッドに潜り込まなかったのだろうか?
見ればシャネルは自分のベッド――この部屋にもともとベッドは一つだ――に座って本を読んでいた。
「おはよう、っていう時間でもないけれどね」
いったい今、何時頃なのだろうか?
お腹のすき具合からみて昼が近いことだけは確かだ。
「あら、どうしたの?」
シャネルが本を置いた。
あの本、なんだろう? 買ってきたのだろうか、俺が寝ている間に。無駄遣い、と思ったらシャネルは言い訳するように、
「これ、借りてきたのよ。図書館で」
と、言った。
あるんだね、図書館。この世界にも。いや、あるのか。警察とかも普通にあるしな、そもそも図書館ってどれくらい昔からあるんだ? 中世からあるのか? 中世ってなんだ?
寝起きで頭が回らない……。
「どうしたの、ずいぶんと静かね。お腹すいた? なにか食べるものでもあったかしら」
シャネルが部屋にもともとあった戸棚をあさる。そして丸いパンを取り出してきた。なんでも良いけど棚の上にそのままパンなんかを置くのはどうかと思う、衛生的に。
「どうぞ」
かじりつく。
……硬い。
だから嫌なんだよね、この世界のパンって。あれ、なんて言うんだっけ? イースト菌? あのイースト菌があんまり活躍してないから硬いパンが主流なのよね、この世界。いちおう探せば柔らかいパンもあるんだけど、いかんせん値段がはるのだ。
「さて、シンク。今日は何しましょうか」
シャネルがなにかを言ってくる。
俺はもちゃもちゃとパンを噛みながら、それを聞くでもなくぼーっとしている。
シャネルはやれやれと肩をすくめた。
「ダメね、まだ半分寝てるのね」
また本を読みだした。
真剣な表情のシャネルは息を呑むほどに美しくて、俺は思わず甘えるように彼女にすり寄った。
「あら?」
シャネルが嬉しそうな声をあげる。
「なあに?」
俺は何も答えない。その変わり、恥ずかしくなって離れようとする。でもそんな俺をシャネルがぐっと引き寄せる。
甘い匂いがした。
「どう、起きた?」
抱きしめられている。
「……う、うん」
心臓が高鳴る。
「そう。で、どうするの? このままが良い?」
「離れさせてくれ」
まったく、寝ぼけていたからと言って俺はなんということをしたんだ!
やばい……なんかあれなところが元気になってきた。いや、もともとか? これ寝起きだからもともとか? もう分からない!
俺はこそこそと下半身を隠すようにシャネルから離れた。
「それ、なんの本読んでるの?」
話しをそらす意味合いも込めて聞いてみる。
「たいしたことのない恋愛小説よ。ちまたで流行ってるって言うからわざわざ図書館に行ってきたのだけど、買わなくて良かったわ」
「図書館とか、あるんだな」
「そりゃああるわよ。パリィはなんでもあるからね、王立図書館はドレンスでも一二をあらそう蔵書数だそうよ」
「ふーん」
「興味ないかしら?」
「そもそも文字が読めないからね」
俺はシャネルが読んでいた本を手にとってみる。ページを開いても見事にミミズがはっているだけのように思える。これが文字だろうか?
「読めれば良いとは思うけど、なんなら教えましょうか?」
「冗談言うなよ」
こっちは英語だってワケワカメなんだからさ。あんまり成績よくなかったんだよね。その上で異世界の文字だなんて覚えられるわけがない。
あ、いやでもこの世界では英語とか使わないから別にいいか。ま、日本語だって使わないけどね。
「さて、じゃあ今日もなんかするか……」
「そろそろクエストでも受けてみる?」
「いや、それよりも本気で復讐相手のこと探さないとな」
本当にこのパリィのどこかに水口がいるのか?
俺の記憶にある水口という男は坊主頭のスポーツマンだ。野球をやっていた。だからといって爽やかというわけではなく、当然のように俺をイジメる陰険なやつだった。
……そういやケツバットとか言ってバットで叩かれたなあ。
やめとこ、あんまり思い出すと鬱になるから。
「その人って、シンクと同い年なの?」
「うん。あ、いや。分からない」
「分からない? 一つか二つしか違わないってことかしら?」
「いや、本当に分からないんだ。ごめん」
「まあ良いわ。身体的特徴は?」
「坊主」
「聖職ってこと?」
「いや、そうじゃなくてハゲというか、短髪というか……」
「ああ、そういうことね」
いや、待てよ。これも分からないぞ。髪なんてほうっておけば伸びるもんだしな。
くそ、手がかりゼロでこの広いパリィから一人の人間を探すのなんて無理だろ。アイラルンは転移者同士は引かれ合うみたいなこと言ってたけど今のところそんな素振りはまったく見られないしな。
「ま、気長に探しましょうよ」
「そうだな」
別に急いでいるわけじゃないんだ。最終的に俺がやつらに復讐できればそれで良い。
「でも水口は聞いた話しでは商人をやっているらしいからな、店を見て回れば良いと思うんだよ」
「店ねえ……いろいろ回ったけどそれらしい人はいまのところいないわよね?」
「いなかったな」
「他に行ってない店っていったら……あんまり想像つかないけれど。ちなみにシンク、なにか欲しいものとかあるかしら?」
「別に」
「あらそう」
ないよな、欲しいもの?
――ビビッ!
いや、待って。あるぞ。
今なんか来たな、いわゆるところの天啓というやつが、ビビッと。漫画的表現でいうところの雷に打たれたというやつだ。
「ある、欲しいもの」
「なあに?」
「奴隷」
そう、奴隷だ!
なにせ異世界だからな、異世界といったら奴隷! 春といったら桜であるように、山といったら川であるように、異世界といったら奴隷だ!
しかしシャネルは、
「なに言ってるのよ……」
と、なんかすごい顔された。なんていうなんだろうか、幻滅と嫌悪感とあと「仕方ないわね」みたいなのがごちゃまぜになったような、そんな顔だ。
「あ、いや。そうじゃなくてさ。ほら、身の回りの世話をしてくれる人が一人いたら便利じゃないか? うん、絶対に楽だと思うんだよ!」
とりあえず誤魔化してみる。
「それって私じゃダメなの?」
ごもっともです。
でもあるんだよ、憧れが! 奴隷ちゃんにたいする憧れが!
こう、俺が何しても怒らない。むしろウエルカム。もう俺なしじゃあ生きていけないって言ってくれるような都合の良い奴隷ちゃんに対する憧れが!
もちろん可愛い子限定で! もちろん可愛い子限定で!
大事なことなので二回言いました。
とはいえこんなことをシャネルに言うわけにはいかない。
「いや、キミだって大変かと思って」
さらに誤魔化す。
「別に良いわよ。好きでやってることですもの」
「でもほら、三人いれば何かと良いかもよ!」
「それってつまり、エッチな目的よね」
「うぐっ……」
ま、バレるよな。シャネルそういうのは鋭いし。
「シンク、それこそ私で良いじゃない」
「うーん……」
いや、良いんだよ。
良いんだけどね。
なんか違うんだよなあ……奴隷ちゃんへの憧れってそういうのじゃない気がする。なんというか、シャネルは我が強すぎるんだよな。もっとこう……俺がリードできるようなか弱い女の子が欲しい!
……やべえ、俺いま人として最低のこと考えてるかも。
「ちなみにシンク、ドレンスでは奴隷制度は廃止されてるわよ。厳密にはメイド文化とかがあるから根っこの方に存在はしてるけれど、たぶんシンクが思っているような奴隷ってガングー時代に前後して廃止されてるわ」
「え、そうなの!」
奴隷いないの、この世界!?
くそ、ふざけんなよ、中世だろ? 中世といったら奴隷だろ? え、いや、知らないけど。
「というかだいたいどこの国でも奴隷制度なんて古臭いもの廃止してるわ、それこそ亜人や半人に対しては残してる場所もあるらしいけど……ドレンスは違うわよ」
「そうなのか……」
けっこうちゃんとしてるんだね、異世界の人権も。
「ジャポネは違うの?」
「いや、ジャポネは知らん」
「そもそもシンクってどうやってこのドレンスに来たの? てっきりグリーヌ行きの奴隷船にでも乗せられて来たのかと思ってたけど……ああ、つまりそういうことね」
「どういうこと?」
「自分が奴隷になりそうだったから、お金持ちになって逆に奴隷を買いたくなったのね。よしよし、可哀想な子。そういうコンプレックスって良くないわ」
いきなり抱きしめられる。
……違うんだけどなあ。
ま、おっぱいが柔らかいから良いや。っていうか柔らか! なにこれ、豆腐? 弾力のある豆腐? いや、それもう豆腐じゃねえし。やべえ、緊張やら恥ずかしさやら童貞やらで俺の頭の中が湯豆腐だ!(意味不明)
「でも奴隷ねえ……」
胸元から開放される。なぜか俺の唇にシャネルの銀色の髪が挟まっていて、糸を引くように伸びた。キラキラと光っている。
「奴隷はまあ、諦めるよ」
「それがね、実はね、宛というか。噂だけは聞いてるのよね」
シャネルはいかにも街のゴシップ話を教えるように俺に言ってくる。
「え?」
「いえね、この前聞いたのよ。私が一人で下着を買いに行ってたときなんだけど……」
それってたしか、もう一週間も前くらいだよな?
そういえばローマのやつは元気だろうか。いまもどこかで人殺しでもやっているのだろうか。
「うん」
「なんでも地下に巨大な奴隷市のシンジケートがあるらしいのよね。もちろん噂よ、本当かは知らないわ」
「なんかそれ、そそるな」
禁止された奴隷を売り買いしている組織がこの巨大な街のどこかにある……。なんだかそういうのって面白いよな。都市伝説みたいなもんなんだろうけどさ。
「シンク、気になるの?」
「ああ」
「実はね、私も気になるのよ」
あ、これシャネルも乗ってきたやつだな。
けっこうね、シャネルもミーハーだから。こういう噂も大好きだし、街の流行とかも大好きだし、あとなにせ俺たちは暇を持て余しているからな。
「ちょっと調べてみましょうか」
「いい暇つぶしになりそうだ」
二人で悪い感じで笑い合う。
なんでもいいけど異世界に来てまでやることか、これは?




