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582 風呂場にて


 脱衣所だった。


 榎本武揚――タケちゃんが着物を脱ぎならがら、言ってくる。


「今日初めて会ったのに、シンちゃんとは他人って感じがしないんだよね」


「そうかい、そりゃあ俺もだよ」


 たぶん容姿が似ているからだ。


 それも瓜二つどころではない、同一人物であるくらいに。


 違いといえば、髪型――あちらのほうが少し長い――と、服装くらいのものだ。俺た洋服を着ているのに対して、あちらは和服だ。


 けれど服を脱げば、分からなくなるかもなと思った。


「ここは天然の温泉なんだよ。なんでも腰痛に効くとかで、澤ちゃんが楽しみにしてたんだ」


「そうかい」


 澤ちゃんか。


 2人の関係が気になるところだが、直接聞いても良いのか分からない。


 それこそあちらから、俺とシャネルの関係でも聞いてくれば簡単に答えられて、こちらも質問ができるのだが。


 脱衣所は俺がもといた日本の温泉と同じような作りをしていた。違うのは定番の体重計やマッサージチェアがないことくらい。あとは紙コップの自販機か?


 けれど他はほとんど同じ。


 脱衣所用のカゴがあって、鏡があって。扇風機はとうぜんないが、かわりにうちわが置いてあったりした。脱衣所とはすなわち服を脱ぐための場所なわけで、まあ時代がどれだけ変わろうとそんなに変化はないのだろう。


 先に服を脱いだタケちゃんが、風呂場の方へと行く。


 俺はなんだか服を脱ぐのにためらいがあって、もたもたしていた。


 タケちゃんがいなくなってから、いそいそと服を脱ぐ。


 刀やモーゼルといった武器を手放して、脱衣所のカゴの横に置くと、なんだかとても心細い気がした。人間、風呂場では無防備になるというからな。気をつけなけば――。


「気をつけろ、か」


 1人でつぶやく。


「そもそも武器を持ってないだけで不安になるだなんて、俺ちゃんもバイオレンスな生活を送ってきたな」


 幼い頃、ハードボイルドな映画の主人公に憧れていた。


 あれはそう、金山と一緒に見た映画だ。古い外国の映画で、主人公は荒野の用心棒。無口な早打ちの名手だが、女には少しだらしない。


 その主人公が気になる女性に騙されて、愛銃を盗まれてしまった。


 決闘の日は明日だというのに、大ピンチだ。


 主人公に用心棒を頼んだ村の人間たちは躍起になって銃を盗んでいった女性を探そうとする。だが、そこで主人公が一言。


『子猫ちゃんのやったことさ、笑って許してやりな』


 そう言って、主人公はそこらへんにあった拳銃で決闘に挑むことになる。結果は主人公の圧勝。お決まりの決闘動作から、目にも留まらぬ早業はやわざで銃弾を放ち、最後には残心のように拳銃の銃口に息を吹きかける。


 その仕草がとにかく格好良くて、俺たちはもうしびれてしまった。それから、俺たちのごっこ遊びに荒野の用心棒ごっこが加わったのは言うまでもない。


 話の教訓としては弘法筆を選ばずといったところか。


 まあ、本当に強い人間ならどんな武器でだって戦えるさ。ほら、中国映画とかでも主人公が


「えっ、それで戦うの!」ってものを使って戦ってるでしょ? 椅子とか。


 そんな感じで、俺ももしものとき襲われてもなんとか対応しよう。


 そう思って、俺は素っ裸になる。


 ウソ、いちおう腰にタオルは巻いたよ。これが風呂場のマナーですことよ。


 というわけで、天然の温泉とやらにくりだす俺。


 見た感じ、風呂場には大浴場が1つあるだけだった。


 湯船の材質は木だ。なんだか優しい匂いがする。ヒノキだろうか、と根拠もなく思う。高い木といえばヒノキという安直な考えだ。


「シンちゃん、いい湯加減だよ!」


 タケちゃんは先に湯船につかっていた。


「そうかい。でもタケちゃんよ、酔っ払って風呂に入っちゃ危ないんじゃないか?」


 そういう話を聞いたことがある。


「平気だよ、シンちゃんこそ。ちゃんと体流してから入ってよ」


「分かってるって」


 そこらへんにある木のおけを持ってくる。体を流して、さあこれでやってお風呂に入る。


 俺たちは並んで湯船につかった。


「ああ……生き返る」


 こうして風呂に入るのもかなり久しぶりだ。


 長い船旅のはてに、こんな温かい湯につかれるとは思わなかった。


「本当、最高だよね。この宿は24時間温泉に入れるからね、かなり割高なお金を取るんだけど。まあ、必要経費」


「こんな町中でも温泉って出るもんなんだ」


「だね。でもこれは私の故郷で聞いた話なんだけど。日ノ本の国土は地面さえ掘ればどこからでも温泉が湧き出すらしいよ」


「本当かよ? そもそもタケちゃんって出身どこ?」


「お江戸さ。そっちは?」


 なんと答えようか迷った。


 たしか廃藩置県はいはんちけんとかそういうのが明治だかにあったから、県で言ってもわからないんだよな。〇〇藩って言わなくちゃで……あれ、でも俺の住んでた場所、藩だとなんて言うんだ?


 分からなかった。


「北陸の方だよ」と、だけ言っておく。「田舎さ」


「そんなことないと思うけど? 加賀の方になら私も行ったことがあるよ。さすがは音に聞く百万石ひゃくまんごくと感激したものさ」


「あはは」


 風呂に入って、少しだけ酔いが冷めてきたのだろう。タケちゃんの顔にしまりが戻ってきた。


「なんでもいいけどさ」と、俺の口癖を真似るようにタケちゃんは言う。「シンちゃんの体、すごいね」


 俺は少しだけタケちゃんから距離をとった。


 なにを言い出すのだこの男は、まさかそういう趣味があるのか。


「えーっと、俺にはシャネルという心に決めた人が……」


 とりあえずそう言ってみる。


「え?」


 タケちゃんは少しだけ考えてから、慌てだす。


「違うって、そういう意味じゃないよ!」


「いや、まあ……うん、だよね」


 だよね?


「そういう意味じゃなくてさ、体つきというか。あと傷というか……歴戦の勇者って感じだよね」


 そうだろうか?


 俺は自分の体をまじまじと見てみる。


 たしかに体中に擦り傷や切り傷のあとが残っている。


 治りは早いけど、傷跡まで全部なくなるわけじゃないんだ。


 その傷を見ていると、いろいろなことを思い出す。この傷はあのとき、こっちはあのとき、こっちは……。


 それに比べてタケちゃんの体は綺麗なものだった。傷一つない。


「これまで戦い続けてきたからな」


 俺はそう言ってから、少しだけ恥ずかしいような気がした。


 俺とタケちゃん、どちらが普通の人間かは一目瞭然いちもくりょうぜんだろう。


「格好いいよ」


「やめろよ」


 男にそんなこと言われても嬉しくないさ。


「私もシンちゃんみたいに戦えればね、とは思うのだけど」


「あんたにはあんたの戦いがあるさ。海軍の大将なんだろう?」


「名ばかりのね。もう幕府側の海軍なんて残ってないよ」


 俺たちは互いに黙る。


 なんだか空気が湿っぽくなった。


 その雰囲気を変えるためにだろう、タケちゃんは笑った。


「そうだ、シンちゃん。あっちの扉を開ければ露天だよ。一緒に行こうよ」


「おお、露天風呂か。そりゃあ良い」


 今日は天気も良かったし星が見えるかもしれない。


 俺たちは腰に小さなタオルを巻いて、外に出る。


 こうしてまじまじと見れば、背格好は同じくらいでも筋肉の付き方は違うな。タケちゃんの体は、この異世界に来る前の俺に似ていた。


 露天風呂は中の風呂とは違い、石で作られていた。周りには竹垣が張り巡らされており、石畳には木の桶が整然と並べられている。


 よいしょ、と俺たちは風呂に入る。


 するとどうだろうか、竹垣の向こうから声が聞こえてきた。


「これが露天風呂?」と、鈴のような可愛らしい声。


 シャネルの声だ。


 なるほど、この向こう側は女湯か!


「そうです、ドレンスの方は初めてでしょうか?」


「いいえ、ドレンスにもあるわよ」


 へー、そうなのか。知らなかった。あ、そういえばフミナちゃんの屋敷にもあったか?


「ねえねえ、シンちゃん」


 タケちゃんの目がキラキラしている。


 なにが言いたいのか、俺はすぐに察した。


「えー」


「これはチャンスだよ!」と、タケちゃん。


「……だな」


 俺たちは男である。


 そして竹垣の先には大好きな人の裸体が。


 言わなくても通じ会える、思いがあった。


 ――覗きをしよう!


 タケちゃんは俺にそう言ってきているのだった。


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