567 不運な2人
シャネルの放った特大の炎の矢。それはたしかにクラーケンに直撃した。
しかしクラーケンは健在。
それどころか全くの無傷だ。
「お、おい……マジかよ」
普通の人間ならばそれだけで100回は死んでいそうなくらいの大魔法だったのに、どういうわけだ。あたりの海が一瞬、灼熱の矢で干やがっている。だがすぐさま他から水が押し寄せ、クラーケンの下半身を隠した。
その一瞬で俺はやつの体中から生えている触手を数える。
その数、じつに27本。
もともと30本ほどあったという計算か。
「ああ、やっぱりダメでしたわ」
アイラルンはこうなることを最初から知っていたようだ。
シャネルが急いでもう一度呪文を唱えて、杖先に明かりを灯す。 その明かりのおかげでなんとかあたりは照らされる。しかし、しかしである。
「どういうことだ!」
と、俺は聞く。
いっきに冷静さを失う。
クラーケンの回りには薄い色合いのとてつもなく複雑な魔法陣が、まるで障壁のように張り巡らされていた。
「ディアタナが作った哀れな生き物、幻創種はその体に魔法に対する耐性を持つことが多いのですわ。これはなぜかと言うと――」
「理由なんてどうでもいい、なんで最初に言わなかった!」
「言おうとしたんですけれども。けどもしかしたら効くかなって思いまして」
「この役たたず!」
「むっ! 朋輩、それはさすがに暴言ですわ!」
「ちょっと2人とも、やめなさい」
いまにもケンカになりそうな俺たちをシャネルが止める。
たしかにここで仲間割れをしている場合ではない。
「やっぱり化け物だ! 榎本さん、逃げましょう!」
「だから無理だって」
俺はおもわずキャプテン・クロウにタメ口で答えた。
クラーケンの大きさは俺たちの乗る海賊船の倍近くだ。その巨体をゆらゆらと揺らしてこちらを見ていた。
いや、こちらという曖昧な言い方はいけないだろう。
クラーケンが見ていたのは俺だ。
俺に、なにか思うところがあるのだろうか?
「なんだよ」と、俺は言ってみる。
しかしクラーケンは体をゆらゆらと動かすだけで何も答えない。
だがその体の回りに張り巡らされた魔法陣、それを見た瞬間俺は察していた。
――あれはまるで、俺の『5銭の力+』と同じじゃないか。
俺のスキルが発動するときに現れる魔法陣。それと同じ模様の魔法陣がクラーケンを守ったのだ。
あれはたしかに無理だ。
俺たちがどれだけ頑張ろうと突破できるものではない。
自分をいままで守ってきたスキルを相手も持っている。これほど恐ろしいことはない。
それで、どうする――。
どうすれば良いんだ!
「シンク、悪いけどさっきの規模の魔法はもう使えないわ」
シャネルが俺の隣に来て言う。
「……ああ」
「まあ、もう一回使えたとして有効な攻撃だとは思えないけど」
だな、と俺は頷く。
クラーケンがとうとう動いた。こちら向かって3本の触手を一斉に伸ばしてくる。
それを斬るのはたやすいことである、と俺は思った。
だが、ダメだった。
1本だけ切りそこねる。その触手は俺ではなくアイラルンの体を掴み、逆さまにして頭上高くに吊り上げる。
「ぎゃあ、助けて! 朋輩、助けてくださいませ!」
「アイラルン!」
吊り上げられたアイラルンは必死でローブが逆さまになるのを隠そうとしている。が、そんなのを気にしている余裕はないのだこっちは。
「朋輩、さっきのことは謝りますから! さっさと、さっさとわたくしを助けて!」
「でもその方法が――」
「おバカ!」
怒られた。
「えっ?」
「朋輩には必殺技があるでしょうに! それを使ってさっさとやっておしまい!」
なるほど、目からウロコが落ちる思いだった。
たしかに『グローリィ・スラッシュ』ならばクラケーンを倒すこともできるかもしれない。
だがさっきの魔法陣の障壁。
あれを超えることができるだろうか?
いや、そんなことを考えるべきではない。時分が斬れると思ったものは斬れる、消滅させられる。それを教えてくれたのはいま囚われているアイラルンだ。
信じるしかない。
どんなものだろうと、『グローリィ・スラッシュ』ならば越えていけると。
クラーケンはアイラルンを両方から触手で持って、引き裂こうとでもするように両方に向けて引っ張る。
「たすけて、痛い痛い痛い!」
ミシミシと、普通人間が出さないような音がここまで聞こえてきた。
まずい。
もう迷いは捨てるべきだ。
「隠者一閃――」俺は刀に手をかけ「『グローリィ・スラッシュ』!」抜き放つ。
だが俺は忘れていた。
俺は不運な男だ。因業だ。
そしてアイラルンも因業の女神である。
この女と組んで、まあそれなりにいろいろあった。そりゃあ死にたいくらいの不幸にだってなんども見舞われた。
けれど俺はそれを乗り越えてきたという自負があった。
だがこのときばかりは、ダメだった。
俺だけの問題じゃないのだ。俺と、そしてアイラルン。2人分の不幸が重なった。
――ズルリ。
足元に嫌な感覚。
甲板はいつの間にか水と血でビショビショだった。そのせいで……滑ったのだ。
俺は足を滑らせて体勢を崩す。
それでもなんとか抜き放たれた刀、『グローリィ・スラッシュ』の魔力が放出されたビーム。それはあらぬ方向へととんでいった。
ふざけるなよ、ありえないだろこんなこと!
甲板の木造の床にしたたかに半身をぶつけた俺。しかしすぐさま立ち上がろうとして。
「シンク!」
シャネルの悲鳴のような声。
「えっ?」
ズルリ。
まただ、また転けた。
ありえるかよ、そんなこと。
まるでなにか運命によりそう決められたかのように、俺は立ち上がることができなかった。
そしてアイラルンは両腕をもがれる。
「――――――」
言葉にすらならない絶叫。
そのままアイラルンは空中に投げ出された。
ちぎられた腕をクラーケンは振り回す。まるで喜んでいるようだ。
俺はアイラルンに目をやる。
シャネルが駆け寄っている。「ダメ、ダメよこれ!」と、顔をしかめるシャネル。
ウソだろ?
アイラルンが死ぬ、そんなことありえるのかよ。
ウソだろ。
信じられない。
クラーケンが俺に向かってアイラルンの腕を続けて投げてくる。俺は刀を落とし、両手でアイラルンの腕を掴み取った。
掴み取った腕をアイラルンの方へと投げた。
怒りがわいていた。だがその怒りがオーバーフローして、不思議と冷静になる。
ゆっくりと、落とした刀を拾い上げる。
「隠者一閃――」
つぶやくように言った。




