056 『D』のはなし
豆知識。
――スライム玉は火にくべるとめちゃくちゃよく燃える。
いやあ、すごいね。これ一つあればバーベキューとかですごい便利なんじゃない? ま、俺バーベキューとかやらないけど。陰キャだから。
……この陰キャだからっていうのも自分で言ってて悲しくなってきたな。
「ほれ、ぷにぷにシシの肉焼けたぞ」
ローマがナイフに刺さった肉を渡してくる。
「サンキュー」
「?」
どうやらサンキューが伝わらなかったらしい。
そういや俺って日本語喋ってるよな? そして他の人も日本語喋ってるよな? うーん、本当か? 今まで気にしてなかったけどこれはすごい問題ではないのか?
俺っていった何語喋ってるんだ?
ま、どうでもいいか。
「味気ないぞ。塩でもあれば別なんだけどさ」
「同感だ」
「ま、僕って質素な女だからこれくらいでも良いけど」
なんでもいいが、共食いではないのだろうか? いや、知らんけど。
それにしても夜になってちょっとだけ寒くなってきた。早いうちに火をおこしておいたのは正解だったな。パチパチと燃える焚き火、ちなみにローマは火が怖いのか最初はビビっていたがもう慣れたようだ。
「それにしても妙な組み合わせだよな」
「なにが?」
「いや」
実際におかしいと思う。殺し屋とそのターゲットだった男が仲良く街の外で野宿をしているんだ。普通だったらありえない。
けどそのありえない状況を作り出したのはローマの気の良さなのだ。
「そういやさ、シンク。ギルドカードみせてちょうだいよ」
ローマは男言葉なのか女言葉なのかよく分からない口調で言う。
「うん? いいけど」
なんでだろうと思いつつも俺は服の裏ポケットに入れていたギルドカードを取り出す。それを渡すとローマはなにやらステータスを見はじめた。
「なんだシンク、お前ってけっこうステータス低いのな」
「うるせえな」
俺のステータスは一律で「100」になっていた。運のあたいだけは「0」だけど。聞いた話しでは「100」というのは普通の人の平均値らしい。おおかたアイラルンのやつが底上げしてくれたのだろうけど。そりゃあヒキニートだった俺が平均的な体力だとか筋力があったとは思えないからな。
ありがたい、といえばありがたい。
でも欲を言えばもっと強くしてほしかったです。
「よく分かんない文字で書かれてるしさ」
「それは俺のいた世界の文字だよ」
「ん、シンクのいた世界? 国じゃなくてか?」
「あ、ああ。そうそう。国、ジャポネってところ出身なんだよ」
「おお、ジャポネ。あれだろ? 黄金がめちゃくちゃにあるって場所。すごいよな」
なんだその東方見聞録。あれは偽書のたぐいなので鵜呑みにしないように。
「ジャポネの文字は読めないなぁ……これ名前か?」
「そうだな」
日本語で『榎本真紅』と書かれている。たしかここらへんの説明を見ようとするとこっちの国の言葉になるんだったはずだ。なんだか翻訳の進んでいない洋ゲーみたいだ。
「そうかそうか、これが名前か」
そういうやいなや、ローマはギルドカードの画面を上下に動かす。タッチパネルみたいになっているからな、ギルドカードは。よく分からない技術だけど。
そうこうしているうちに、名前の横に『D』という文字が浮かんだ。アルファベット?
「お、出た出た。これは……?」
「ディーだな」
なんだこれ?
「あはは、やっぱりお前、童貞なのか!」
「はああああっ!?!?」
いきなりなに言い出すんだ、このケモミミロリは。
「だと思った! お前、僕と話すときちょっと目をそらすもんな!」
「ど、ど、ど、童貞ちゃうわい!」
「でもここに『D』って書いてあるんだろ? 読めないけど、そういうことだ」
くそ、そうか。文字は読めなくても発音は同じなのか。というか言葉が自動翻訳されているのか? え、つまりこの『D』って童貞の『D』? ワ○ピース的な『D』じゃなくて?
「くそ、なんだそれ」
「ギルドカードの隠し機能さ。知らない人が多いんだ」
「そんな機能いらんわ!」
なんだこの無駄な遊び心は!
「いやあ、これで安心したよ。童貞なら夜中に僕のことを襲う度胸なんてないよな」
「誰が襲うもんか! 言ってくがな、お前みたいな貧相な体つきの女は好みじゃないんだよ」
「なにをっ!」
「やーい、やーい、つるぺた!」
「言ったな、童貞のくせに!」
俺は穏やかな顔で諭す。
「ローマや、童貞というのは他者から劣った存在でもなければ、まして汚い存在でもないんだよ。いうなれば愛の殉教者。この心いっぱいに詰まった愛を初めての人に捧げるために大事にとっているのさ」
「ふん、どうせチキってあの女の人とやれてもないんだろ!」
「ぐうっ!」
図星である。
いや、でも今まで何度かチャンスはあったんだよ。そのたびに邪魔されてきただけで。というかよく考えたら眼の前のローマだってその邪魔をした一人だ。
そう思うとムカムカしてきた。
「おい、お前もギルドカード見せろ」
「ふふん、いいさ。どうせ隠しコマンドは分からないだろ」
舐めた様子でローマがギルドカードを渡してくる。
しかし残念だったな。こっちは引き込もってずぅとゲームばかりしてきたダメ男だ。コマンドくらいだいたい分かるのだ! いや、まあさっき見て覚えただけだけど。
ささっと入力。
そしたらおそらく名前だろうという文字のよこに、どことなく『S』を崩したようなこの世界の文字が浮かび上がった。
『S』=処女。
「お前もオボコじゃねえか!」
「オボコってなんだ?」
あれ、オボコって言わない? 方言かな。処女のことだけど。
「つまりお前も、しょ、しょ、処女だろ!」
くそ、童貞だから処女って言うだけでも恥ずかしいぞ!
「なっ! あ、お前ギルドカードの隠しコマンド入力したな!」
「お前さんざん人のことバカにしておいてこれかよ!」
「うるさいうるさい! と、というか僕は処女じゃないぞ! こ、これはギルドカードの更新をしたときはそうだっただけでその後にヤッたんだ!」
「うそつけ、お前ギルドにいたときクリスタルのある部屋から出てきただろ!」
つまりはこの冒険に出る前に更新したばかりのはずだ。
「ぐぬぬ!」
嘘がバレたローマは牙を向いて俺を睨む。
まったく、処女のくせに生意気だ! いや、別にいいけどさ。
そんなこんなで夜は更けていく。
寝るだんになってもローマはまだ言う。
「お前こっちくるなよ」
木の葉をしいたベッドは寝にくい。
「わかってるよ、オボコちゃん」
「うるさい、童貞! よるなよ、しっし! 童貞が移る!」
「うつりません!」
まったく、なんて女だ。
それでもしばらくしたら声がしなくなった。眠ったのだろう。
俺は火が少し心配で眠れない。だからといって消せば寒いし。こうなればできるだけ番をしているべきだろう。なあに、一日徹夜するくらい楽勝だ。
音をたてて燃える火。
空には星が浮かんでいる。よく見れば並び順が地球から見るそれと似ている気がしなくもない。ま、星のめぐりなんて俺知らないんだけどさ。
夜になって活動するモンスターもいるのか、森の奥からも音がする。
俺は不安になって剣を抱えて座り込んだ。
ローマのやつは安心してすやすや眠っているというのに、俺だけこんなことをしている。
「むにむに……」
寝言だろうか。
「……ミラノ。ミラノ、もう少しだよ」
誰かの名前だろうか?
「……もう少しで迎えに行けるからね」
はあ、と俺はため息をついた。まあなんだ、人にはそれぞれ事情があるということだ。
その事情に首をつっこむ気にはなれないが。
俺は燃える火を見つめていたのだった……。




