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536 シノアリスとワン


 男は一瞬だけシノアリスに視線をやると、すでにもう興味がないというふうに背中を向けた。


「こっちだ、ついてこい」


 その言い方には強者の余裕がこめられており。


 ――なるほど、自信がおありの様子で。


 ここでつっかけて相手の実力を見極めようとするほど、シノアリスは戦闘狂ではない。


 ただしイタズラっ子ではある。


「おっと、あぶない」



 シノアリスはわざとらしく前に転ける。


 そこへちょうど飲み物を持ったスタッフが通りかかる。


 ぶつかる2人。


 そしてスタッフの持っていた飲み物が飛び散った。男の方へと。


 ――さてさて、これで濡れますでしょうか?


 その瞬間、驚くべきことがおこった。


 男は一見して、その場を動いたようには見えなかった。だがしかし、男は飛び散った液体に体を濡らすことはなかった。


 シノアリスからすれば意味が分からなかった。


「なんのつもりだ?」


 男が振り返る。


「すいません、つまずいてしまいました」


「下手な嘘はやめろ」


「あはは」


 シノアリスにぶつかられたホールのスタッフは周りの客に平謝りをしている。


 かなり派手に液体が飛び散ったらしく、かかってしまった人たちが怒りの目を向けてくる。だが、シノアリスを案内する男が一瞬にらみを効かせるだけで客たちは黙った。


「妙な女だな、お前は。嫌な男のことを思い出すぞ」


「失礼な、こんなうら若い乙女を捕まえて男を思い出す? もしも侮辱ぶじょくだとした怒りますよプンプン!」


「人を試しておいて悪びれもしないか……なかなか大物だな」


「よく言われます」


「さっさとついてこい」


「はいはい。ちなみに名前をうかがっても?」


「俺の名前なんぞ知ってなんになる」


「私の名前はシノアリスです。本当の名前は他にありますが、それを知りたい場合は好感度をあげてくださいね」


「誰も聞いてないぞ」


「ええ? 私が名乗ったのに、そちらは名前を教えてくれないのですか? それでも武人のはしくれですか、このアンポンタン!」


 男は恐ろしい目をしてシノアリスを睨んだ。


 アンポンタンと罵声を浴びせられたからではない。


「なぜ、俺が武人だと?」


 自分の隠していたことを見破られたからだ。


「さあ、なんででしょうね?」


 シノアリスはからかうように笑う。


 男は気分が悪そうだ。それもそのはず、武器も持たず立ち振舞もそこらへんのゴロツキと変わらない。長身ではあるが、筋肉は削げ落ちてやせ細っている。


 現在の男を魔片患者と思う人はあっても、武人であると思う人はまずいないだろう。


「ますます嫌な女だな。お前まさか妙なことを考えているんじゃないだろうな」


「妙なこと、とは?」


「例えばそうだな、暗殺だとか」


 男の雰囲気が少しだけ変わった。


 獣じみた獰猛さを開放したように、立ち振舞にもしなやかでありながらも力強さがみなぎってくる。


 これはケンカをしても勝てないな、とシノアリスは思った。


 そもそもケンカをするつもりもないが。


「しませんよ、そんなことは。私には私なりの目的があってここに来たのですから」


「ならば良いがな」


「さっさと案内してくださいな。私も暇じゃないんですから」


 男がふっと笑った。


 初めて笑った。


「なんですか、なにがおかしいんです」


「やはりお前は似ているな」


「誰に?」


「俺の弟弟子にだ」


 そういったときの男は、どこか遠い目をしていた。


 ここではない遠くにある故郷へと想いをはせるような。


 そんな目をされると、シノアリスも少しだけ故郷のことを思い出してしまう。ジメジメとした地下の墓地に住んでいた頃を……。


 孤児である、とシノアリスは思った。


 シノアリスは故郷を捨てたのではなく、捨てられたのだ。


 そして目の前の男も。


「私に似ているなんて、その弟弟子さんはそうとうに因業なのですね」


「さあ、どうだろうな。可愛げのないガキではあったがな」


「そうですか。ああ、そうそう。私も貴方に似た人を知っていますよ」


「なに?」


 先程の水を避けたときの雰囲気。


 なにが起こったのかは分からないが、なにかが起こった。


 それに似た現象をシノアリスは故郷で見たことがあった。榎本シンクという男が同じようなことをやっていたのだ。


 シノアリスが「お兄さん」としたうその男は、それはそれは因業な男だった。


 まるで不幸になるために生まれてきたような男だった。


 周りにいる人間がそもそも悪いのだ。因業の女神であるアイラルンに、そもそもが頭のおかしなシャネル・カブリオレ。


 けれど不思議な魅力のある男だった、シノアリスもしょうじきに言えばその輪の中に入りたいと思ったくらいだ。


「その人は武術の達人で、貴方と同じようなことをしていましたよ」


「俺と同じこと? まさか、俺と同じことができる人間などこの世に3人しかいない」


「それはすごい技術ですね」


「俺を除けば師匠と弟弟子だけだ。もっとも俺は不出来でこの教えを体得したのはつい最近だがな」


「そうですか、そうですか」


 ニコニコと笑うシノアリス。


 どうやら男は自分が喋りすぎたと思ったのか、少しだけ険しい顔をする。


「ふんっ」


「貴方も大概に因業のようですね」


「因業……因業とはなんだ?」


「宿命的に不幸なことですよ」


「そうかよ。さっさと入れ、この部屋だ。くれぐれも妙なことはするなよ、もしもその素振りを見せれば俺は容赦なくお前を殺す」


「おお怖い」


 シノアリスが部屋の扉に手をかけた。


 そのとき、男はポツリと呟く。


「俺の名前をまだ言っていなかったな」


「ですね」


ワンだ。覚えなくても良い。どうせもう会うこともないだろう」


「どうでしょうか?」


「なに?」


「私は因業な人間と縁があるんですよ」


 そう言って、シノアリスは扉を開けるのだった。


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