505 シャネルが運転する
クルマに八つ当たりする俺を見てティンバイがケラケラと笑う。
「おいおい、兄弟。そんなふうに怒ったってなんにもならねえぜ。ちょいと変わりな」
「はいはい」
というわけで運転席と助手席をチャンジ。
それにしてもなんで助手席って言うんだろうね。べつになにか手助けするわけでもないのに。誰かに聞いてみたいが、誰も知らないので謎のままである。
こんどアイラルンにでも会ったら聞いてみようね。
「このポチで起動するんだな」
「そうそう。で、たぶん下のがアクセルとブレーキ。あと1つは……なんだろう?」
アクセルとブレーキ以外にもペダルがある? 分からない。あれか、ピアノのペダルと同じか? あれっていったいなんのためについているんだ。俺は楽器ができないのでまったく分からない。
というわけでこれも今度アイラルンに――。
ティンバイがエンジンをつけた。
さきほど俺がやったときのようにエンストしない。どうやらクルマは壊れていないようだ。ティンバイはどんなもんだい、と俺の方を見る。
静かに動くエンジン。
「はいはい、すごいすごい」
俺はちょっと不満に思いながらティンバイを褒める。
「それで、これどうやったら前に進むんだ」
「だから下のアクセルペダルを踏むんだって」
「それ、どっちだ?」
「えっ?」
分からない。
だって俺、未成年だし。クルマの免許なんてもってないし。
「た、たぶん右」
適当に言う。
「本当かぁ?」
「あ、いややっぱり左かも!」
これで間違えたらいきなり前に進むかもしれない。前方には民家があるので、前に行くと激突する。後ろにはなにもないので、せめて後ろに進んでほしいものだが。
「じゃあ真ん中はなんだ?」
「真ん中は……たぶんあれじゃないかな緊急停止スイッチ?」
適当だ。
いや、だってマジで分からないもん。
もちろんティンバイも分からないので、慎重に左のペダルを踏んだ。
そして――。
はい、なにも起こりませんでした。
ティンバイはクルマから飛び降りてタイヤを蹴る。
「壊れてやがる!」
「ねっ、壊れてるでしょ!」
「やっぱり馬が1番だぜ。兄弟、さっさと行くぞ! 時間の無駄だ!」
「本当だよ、期待させやがって!」
と、俺たちは文句を言うが。
それをローマがゲラゲラと腹を抱えて笑い出した。
「バーカ、お前ら本当に、バーカ!」
「ああんんっ? この俺様がバカだと?」
「そうだそうだ、バカって言う方がバカなんだ!」
「シンク、それ言うと本当にバカみたいよ」
シャネルに注意される、ので黙っておこう。
「あのな、クルマっていうのはクラッチを入れてギアを入れないと前にも後ろにも進まないんだぞ」
「そうなのか?」
「へー、知らなかった」
「私も知らなかったわ。ローマちゃん、あなた動かせるの?」
「僕はできないけど、やり方なら知ってるよ。あ、でもある程度の魔力がないと動かせないから、お前は無理だな」
ローマは俺を指差す。
なるほど、魔力がなくて俺が乗ってもエンジンがストップしたわけか。
くそ、ダメか。運転、ちょっとしてみたかったんだけどな。
「俺様はもう面倒だぜ、やっぱり馬が良い」
ティンバイは早くも飽きたららしい。
すると消去法だ。
「じゃあ私ね」
シャネルに白羽の矢が立つ。
「いいか、こっちの右がアクセル、真ん中がブレーキで、左の少し小さなのがクラッチ」
「へえ、そうなの」
というわけで、ローマがシャネルにクルマの運転方法を教えている。
俺とティンバイは最初こそ興味深そうに見ていたが、やっぱりすぐに飽きてしまった。
少し離れたところで待つ。
「兄弟」
「なに?」
「外の国に出るってのは大変だぜ」
「だよね」
俺なんて異世界に来ているくらいだからちょっとくらい環境が変わっても驚かない自身があるけど、やっぱり国ごとの特色というのは興味深いものだ。
ローマがクルマの運転方法を知っているということは、アメリアもグリースのように科学技術が発達しているのだろうか?
「俺様も、少々視界が狭くなっていたのかもな。こうして国から出るというのも大切だ」
「なるほどね」
そんなことを話していると、シャネルの運転するクルマが動き出した。
なにをするにしてもシャネルは器用だから、30分ほど練習すればすぐにクルマに乗りこなすことができるようになった。
「さあシンク、準備ができたわよ」
少しだけ誇らしそうに言う。
「よしきた、じゃあ出発だ」
「シンクが隣に乗ってね」
「ああ」
俺は助手席に。
後ろの席にはティンバイとローマが詰め込まれた。ケンカしないでね。
「じゃあ、行くわよ。よいしょっ」
シャネルの気の抜けた掛け声とともに、クルマは前に出る。
最初、ノロノロとしていたクルマ。
「これなら馬のほうがよっぽど速えぜ」
しかしそれは村を出て広い道に行くと、スピードがあがった。
それこそティンバイの駆る馬のトップスピードにも引けをとらない速度がでる。
「うわぁっ! すごいな!」と、ローマ。
「お前、クルマに乗り慣れてないのか?」
「アメリアにもたくさんクルマは走ってるけど、高級品さ!」
つまり乗り慣れていない、と。
なんでもいいけどホロが開いてるオープンタイプのクルマだからか、風が強くて後ろの人と会話がしにくい。まあそれは馬も同じだけど。
「なかなか快適だぜ」
「本当だな。シャネルさん――」ローマはシャネルのこと、そう呼ぶのね。「もっと飛ばしてもいいからな!」
「はいはい、でもこれが限界かしら」
シャネルは遠慮するように微笑む。
風が気持ちよかった。
こういう旅は悪くないなと思った。
人を殺すための旅だとしても、この瞬間はすばらしく思えた。
俺はなんだか夢見心地で。
――キキッ!
いきなり急ブレーキがかかる!
「ど、どうしたシャネル!」
いっきに現実に引き戻された。まさか敵か!?
「ごめんなさい、方向を間違えたわ」
シャネルは無表情で言うと、クルマを反転させる。
なんだそれ……。
そしてクルマはロッドンに向けて、あらためて出発したのだった。




