503 グリースへの一歩
周りを注意しながらゆっくりと舷梯を降ろしていく船。
海岸沿いには霧が立ち込めていたがこれは好都合だった。俺たちの姿は誰にも見えていないだろう。
シャネルが魔法をぶっ放してからというもの、グリースまで進む道はすべて開けた。
しかしそれがあまりにも明瞭すぎたため、こちらの侵入が丸わかりになっている危険性があった。
そのため、少々遠回りして港ではない場所から船を降りようという考えだった。
「まずいな」
ティンバイが自らの愛馬である純白の毛並みをした美しい馬を見ている。
白馬は首元に大粒の汗をかいており、ひと目見て尋常の状態ではないことが分かった。
「どうした?」
俺はバカ馬の手綱を引きながら聞く。
陸地へと続く橋がつながれば馬に乗って降りていく予定だったのだ。
「どうしたもこうしたも体調が悪いようだ。こいつを連れて行くわけにはいかねえ」
馬賊は自らの馬に名前をつけない。だから馬を呼ぶときは「こいつ」みたいな言い方をするのだ。
「病気か?」
「いや、分からねえ」
俺も心配になってティンバイの白馬に近寄る。たしかにとてもじゃないが連れていける状態ではないようだ。まずいな。
「ああ……ダメだわ」
少し離れた場所で、シャネルがつぶやく。
目を向ければシャネルの借りた馬も体調が悪そうだ。首を落としている。
「なんだなんだ?」
馬たちは全員体調が悪そうだ。
いや、全員じゃないな。
「ヒヒ~ン?」
俺のバカ馬だけはどうじていない。
「お前はのんきだなぁ」
なんか自慢げに鼻を鳴らすバカ馬。
「ダメよ、これ魔力中毒ってやつだわ。そのお馬さんもそのうちダウンするわよ」
「なるほどな、こいつはちょっと鈍感だから大丈夫なだけか」
「誰かさんにそっくり」
シャネルが忌々しそうに言った。
誰かさんって誰だ?
「あれあれあれ? 僕の馬がぜんぜん元気ないぞ!」
船内から出てきたローマも自分の馬がつらそうにするのを発見した。
「なんか馬たちは魔力にあてられてダメみたいなんだ」
「なんてこったい!」
ローマが地団駄を踏む。
こうやって感情を分かりやすく見せてくれる女の子は、一緒にいて困らないから好きだ。
まあ、べつに俺がローマに対して恋愛感情を抱いているというわけではないが。
「機動力が奪われたか。兄弟、どうする?」
「どうする、とは?」
「このまま行くか、それともいったん引くかとだ」
それは決まっていた。
「引くわけにはいかないさ。この霧が消えることはまずない、それなら引いて馬の体調を治したところで、次来た時に二の舞だ」
「よし、決まりだ。このまま歩いてでも這ってでも行こうじゃねえか。そこの女も、それでいいな」
「僕には女じゃなくて、ローマって名前があるんだよ。ルオ人が」
「奇遇だな、俺様も親にもらった立派な名前があるぜ。張作良天白、だが気安くティンバイとは呼ぶなよ」
「ふんっ、なにが俺様だよ。そんなに様付けが好きなら僕のこともローマ様と呼びな」
「けっ、口の減らねえガキだぜ」
なんだか仲が良いのか悪いのかよく分からない会話をしながら、とにかくどうするかは決定された。俺たちは馬を置いてグリースに入る。
しかし先程も思ったが、まずいことになった。
ティンバイの持ち味である馬上戦闘ができない。これは少々戦力ダウンかもしれない。
だとしても、やるしかないが。
船内からミラノちゃんが出てきた。
「ローマ、頑張ってね」
「ああ、任せておけよ!」
なんだかんだでローマも俺たちについてくることになった。
リーザーさんいわく、アメリア軍からも人を出さなければあとあとでメンツに関わるということだったが、たぶんそれは言い訳だ。
本当はローマが個人的に手伝ってくれるだけなのだろう。
「シンクさんもお気をつけて……」
「うん、大丈夫だよ」
「私は、戦えませんから。ここから祈ってることしかできませんし」
「祈るって誰に?」と、俺はちょっと聞いてみた。
「それはディアタナ様に――」
あはは、と俺は笑う。
「なら祈らないで良いさ」
「そ、そうなんですか?」
「冗談だよ。ぞんぶんに祈ってくれ」
まさかディアタナじゃなくてアイラルンに祈ってと言うわけにはいかないし。
橋が伸ばされきった。
坂のようになっているそれを、俺たちは歩きだす。
今回の潜入作戦、メンバーは4人。
俺。
シャネル。
ティンバイ。
ローマ。
奇しくもこれは冒険者らしい4人パーティーだ。
このあと、アメリア軍の軍艦はいったんグリースを離れる。作戦が終了したあと、連絡により戻ってくることになっている。
その連絡には、先日エルグランドとフェルメーラが通信に使用していたマジック・アイテムを使う。
たった4人の潜入部隊にそんな高価なものを渡す。この作戦がいかに期待されているかが分かる。
「いやはや、寂しい出立だな」と、ティンバイ。
「行くときなんて普通はこんなもんだろ。俺たちは勇者御一行ってわけじゃないんだからさ」
面白いことを言ったつもりだったが、ティンバイは鼻で笑うだけだった。
「歩くのはどれくらいだ?」と、ローマ。
「とりあえずここからロッドンまではけっこう離れてるけれど」
シャネルは地図をもっていた。
しかしそれは古いグリースの地図で、精度がかなり怪しいということだった。書かれている村や町が本当に存在するのかは期待しないでほしいとのことだった。
なんでも、平常時に各国がつくる地図は戦争になったときに備えて意図的に間違った情報をのせていることがあるとか。
「方向は分かるんだろう、それに兄弟は1度行ったことがあるんだ」
「まあね」
「なら大丈夫だろう」
だからってどれくらいの距離かって言われたら、俺は分からないけど。
てこてこと歩く。
ふと、シャネルが笑った。
「どうしたの?」
「シンクが第一歩ね、グリースへの」
「え?」
言われてみれば、俺がいま立っているのは船から伸びるタラップではなくすでにグリースの陸地だった。
「くそ、俺様が行きたかったんだがな」
「僕も狙ってたのに!」
話していたまま、いつの間にか俺が先頭になっていたらしい。
なんだか照れるな。
「私はシンクで良かったと思うわよ」と、シャネル。
俺はどうでもいいよ、と笑う。
まさか俺がこのパーティーのリーダーだとは思えないし。そういうのはティンバイの仕事だろ? そう思ったのだが、どうもティンバイはそういうつもりはないらしい。
なにかにつけて一番槍を行きたがるティンバイが、おそらくそれを俺に譲ったんだから。
もしかしたらこの一歩、小さなものにみえてなにか大きな意味を持つのかもしれないなと俺は思うのだった。




