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492 ガングーとトラフィック


 シャネルがそれから語ってくれたのは、初代ガングーとトラフィック・プル・シャロン。つまりエルグランドの先祖の出会いの話だった。


 それはシャネルが勝手に持ち出した――本人いわく所有権は子孫である自分にあるらしい――初代ガングーとトラフィックの交換日記に書かれていたことだ。


 ちなみに、シャネルの理論だとエルグランドにも所有権があると思うのだが。


 言ったら怖いので、黙っておいた。


 シャネルは語る――。




 中庭は芝生になっており、生徒たちの憩いの場になっていた。


 だが、嫌われ者のガングーがいることを知ると誰も寄り付こうとしない。


 ガングーは独りぼっちだった。


 ガングーは故郷の島からパリィの士官学校へと入学した。


 やっとのことで空に手を伸ばして栄光を掴み取れると思った。それがどうだ? そのチャンスすら与えられず、ふてくされてただ1人だった。


 嫌になる。


 俺はいったい、いつまでこんな事を続ければ良いのか。


 ガングーは余計なことを考えたくないときは本を読んだ。こういうときに聖書を読むのは、いかにも信心深い人のようだが、ガングーの場合は違う。


 ディアタナへの信仰心などかけらもない。それでも聖書は好きだった。いろいろとためになるような話しが書いてある。説教臭いのが玉に瑕だが。


 授業が終わったのだろう、生徒たちが校舎から出てくる。


 金曜日はバイトもないのでガングーはゆっくりできる。帰りを急ぐ気もなく、この場所で暗くなるまで本を読んでい用途思った。


 ふと、誰かが近づいてくる気配を感じた。


 気になったが意地になって顔を上げない。本に目を落とす。


「聖書ですか?」


 さすがに顔をあげると、そこには柔和な笑顔を浮かべた金髪の男が立っていた。一瞬女かと思うほどの長髪だ。くっきりとした二重まぶたが特徴的で、あまりにも深すぎて眠た気にすら見える。口元は生まれたときからこうでしたとでも言うようにごくごく自然に笑っている。


「信心深いかたなんですね」


 その男は腫れ物扱いのガングーに対して柔らかな物腰で声をかけてきた。しかしそこにガングーを馬鹿にしようという様子はなく、本当に彼に対して好意をもっているようだった。


「貧乏人はみんな信仰心が厚いとでも思っているのか? こんな本はただの暇つぶしだ」


「そういう言い方は感心しませんね。信じる者は救われる、そうい言いますでしょう?」


「あんた、神の使いか?」


「いいえ、貴族ですよ」


「嫌いなんだ」


「どちらが? 神が、それとも貴族が?」 


「どっちも」


 ガングーはその男と話したことはなかったが名前くらいは知っていた。


 トラフィック・プル・シャロン。


 それが男の名前だった。


「隣、いいですか?」


「好きにしろ、ここは俺の土地じゃない。俺に許可をとる必要はないさ」


「そうですが、では失礼して」


 なんなのだろうか、この男は。人の警戒心をすり抜けるようにしてこちらのすぐ近くにやってくる。不思議な雰囲気の男だった。


 ふと甘い匂いがした。男のくせに香水をかけているようだった。


 トラフィックはそのまましばらく無言だった。まるで空でも見上げるようにぼうっと座っている。ガングーも別に話すことなどなかった。


 けれど頭の中ではトラフィックがどうしてここに来たのかを考えていた。


 この男は士官学校でもガングーとはまた違った意味で目立っている。それは良い意味で、だ。彼は誰よりも成績が良かった。入学時にあったテストでも最高の成績を収め、しかもそれは士官学校始まって以来の評価だった。ガングーも悪い成績ではなかったが、トラフィックには敵わなかった。


 彼は周りから天才と称されていた。


 その天才が落ちこぼれのガングーに話しかけてくる。別にそれ自体は不思議ではない。けれどあきらかに好意を持っている。


 ――こいつ、まさかホモか?


 もちろん違う。


「先程の発表、興味深かったです」


 トラフィックは慎重に言葉を選ぶようにそう言った。


「発表なんてしていないだろ」


 つい数時間前のことだ、ガングーは兵略の授業に出ていた。


 そこで高地から敵を倒す場合の作戦を教師に発表しようとした。しかしそれはダメだった。教師はガングーのことを嫌っていた。そのせいで、ガングーが高地ではなくその下に兵を布陣すると言った時点で、ふざけているのかと話しも聞かずガングーに退室をうながしたのだった。


「そうでしたね」


 トラフィックの笑顔があんまり優し気なものだから、ガングーも思わず笑ってしまう。悪いやつではなさそうだ。少なくとも他の生徒のように隙あらばガングーを馬鹿にしてやろうと思っているわけではないようだ。


「申し遅れました、私はトラフィック・プル・シャロン。見ての通りしがない貴族ですよ」


「ガングー・カブリオレだ。見ての通りの貧乏人」


「そう卑下することありませんよ、貧乏なんていうのは貴族にだっています。私の家がそうです。なあに、たいして収入もないのに見栄ばかり張るのが貴族というものです」


「ふうん、そうなのかい」


「私が見るに、そういうやつに限って貴方をバカにしているように思えますよ。もちろん私は違いますがね。先程の発表、あれは素晴らしかった」


「だから発表なんてしてないって」


 教室から追い出されて以来、ずっとここにいた。


「厳密にはあの初期配置から見える展望が素晴らしいと言っているのです」


「ふうん」


「あれは撤退戦をしようとした、違いますか? 皆が短絡的な英雄願望を持ち、子供っぽい決戦をしようとするなか、貴方だけは現実を見ていた」


「ほう、あの配置でそこまで分かるか。さすがは天才だな」


「天才、ですか。たしかにそう呼ばれることもありますが」


「だけどな、トラフィック。違うぞ、それじゃあ半分だ」


「なんですと?」


「どこの世界に負けるために戦うやつがいる?」


「しかり。しかしあそこからどのように勝利を掴むのですか? ぜひとも気になります、よければご教授ください」


 トラフィックはなんのてらいもなく、ただ純粋な知識欲から聞いてきていた。それに気がついたガングーは、この男にならという気持ちになった。


「その前に、お前はどういう作戦をたてたんだ?」


「私ですか? つまらないものですよ、ただできることを確実にやり遂げる。そして最終的に勝利を得る。そういう積み木遊びみたいな作戦が好きなんです」


「素晴らしいじゃないか。お前のことだ、きっと百点満点の作戦だろうな」


「ええ、教官にも褒められましたよ。私が1番だとね。しかしね、私は貴方の作戦こそ気になる。ですから早く、教えてください」


 頷いたガングーはそこらへんの小石を集める。


 トラフィックは自分の手を楽しそうに汚しながら、地面の土を集めて山のように盛った。


「いいか、最初の布陣は山の下だ」


 ガングーは比較的奇麗な石を自軍に見立てて置いた。


「はい、しかし貴方の配置では右翼が薄いようでしたね」


「そうだ、気持ち右翼は薄く。左翼、そして中央の連絡部隊と距離をとらせる」


「つまり、ここが囮だと? 私はてっきり、相手が右翼に攻めてきたところに全軍で向かい、小さな勝利をあげてそのまま逃げるのかと思っていたましたよ」


「それも1つの手だろうな。全軍に対して右翼が危険だと知らせておけば、そういうこともできる」


「あるいはそれよりも現実的なのは右翼だけを残しての敗走。森の中に隠した騎兵は右翼の援護、つまりは捨て駒。どうでしょう」


「良いね、すばらしい作戦じゃないか。もっとも、そんな作戦をとった将軍を軍隊や世論が許すとは思えんがね」


「はい、ですからこれは最後の手段です」


「そうだ、そんな事をすればいたずらに兵を失うだけでメリットがない。そんな作戦をとるくらいならば最初から戦争にならないで済む方法を模索するべきだ。違うか?」


「その通りです、戦争は外交の一つの手段。この国の貴族たちは名誉ばかり気にするので、どうもそこら辺を分かっていないのです。だから士官学校でもこんな英雄的な勝利を求める」


「しかし男には戦わなければ、勝たなければいけない時がある。その時のための作戦だ」


「して、どのように動きます?」


「まず、敵は右翼を攻めるだろう。これは俺もそう思う。言ってしまえばこの右翼は据え膳だ。相手に襲ってくれと言うようなもの」


「はい」


 トラフィックは知りたくてたまらないというふうに合いの手を入れる。


「ここで中央の連絡部隊を慌てて向かわせるか? いいや、そんなことはしない。これは我が軍の主力だ。攻撃の要であるといえる。相手は右翼を粉砕するためにどんどん兵を送り込んでくるだろうな」


「壊滅しますよ」


「耐えてもらうより他ない。この右翼の踏ん張りがこの作戦の要だ」


「とはいえ、根性論です。現実的に考えましょう」


「こういうのはどうだろう、右翼の弱体化は見せかけだった。敵に対して右翼が弱いように思わせただけだ。本当の兵力はもう少しある」


「それは……そうできれば理想的ですが」


「そのための左翼だ」


 トラフィックはますます笑顔になった。


「貴方はやはり素晴らしい。こうして話をしていると楽しくて仕方がない。きっと様々な想定をしてこの作戦を立てているのでしょう」


「もちろんだ、兵士が生き物ならば戦場は化物だ。時間と共に目まぐるしく流転する。作戦というのはその度に修正を余儀なくされるものだ。だから、先に様々なことを予測しておくものだ。それくらい天才のお前なら分かっているだろ」


「はい、その通りです。して、左翼はどのように使いますか?」


「先ほど、相手が右翼に向かって山頂から降りてきたな」


「はい」


「それと同時にこちらの左翼を前進させる。山の麓を沿うようにな、つまりは相手の背後を取ると思わせるんだ」


「そんなことをすれば後ろに控える相手の本隊が動き出しますよ」


「だろうな。山頂の部隊は今、右に向かっている。ならば本隊を動かすしかない。兵力の少ない左翼はどうなる?」


「負けますよ、そりゃあ。後退します」


「後退した左翼はどこへ行く?」


「まさか右翼まで行くと言いませんよね? そんなことをすれば山頂からの部隊と敵の本隊にこちらの軍が挟み撃ちにされる」


「だな。しかし考えは惜しい。左翼の後退は中央の連絡部隊までだ。そして連絡部隊は後退してきた数とほぼ同じ数だけ――」


「まさか右翼に行くと!」


「その通り。だから左翼の後退は少し早くても良い。そのまましれっと中央と入れ替わるのだからな。そしてここからが回天かいてんの秘技、心して聞け。敵は左右に釘付けにされている。その時に、この山頂はどうなっている?」


「もぬけの殻です」


「そうだ、そこでこの騎兵隊の出番だ。騎兵共は一気に山を駆け上がる。敵がいてもそう多くはない、蹴散らせる。とはいえタイミングが大切だ、早すぎれば敵が右翼に向けて出払っていない。遅すぎればこちらの右翼、中央、ともにやられる。その一瞬の好機を見逃してはならないのだ」


「これが成功すれば、凄まじいことになりますね」


「ああ、成功したら本隊も山に駆けあがる。そこからはもうどう料理しようが自由だ。右翼だろうが中央だろうが敵の背後をつける。相手の士気はガタガタだろうし、うまくいけばこれだけで相手は敗走する」


「貴方は……天才ですか?」


「ははっ、天才か。それはあんただ、とはいえ言われて悪い気はしないな。ありがとう」


「こんな作戦、考えもしなかった。私の作戦などまるで子供の遊びだ、貴方の作戦こそが一番ですよ。間違いない」


「とはいえ、こんなものは机上の空論だよ。これを成功させるには様々なものが必要になる。タイミングを見計らう目をもつ天才的な将官、忍耐強く戦い続けられる将官、迅速な動きで敵を薙ぎ払える騎兵、そして何よりも兵士たちそれぞれの士気。戦場で一番大切なもの、それは士気だからな」


「なるほど、勉強になりました」


「さて、俺はそろそろ帰るかな。ありがとうな、俺の作戦を聞いてくれて。実は誰かに話したくてウズウズしてたんだ」


 ガングーは立ち上がりニッコリと笑ってみせた。


 その笑顔たるや、他人のことを全力で認めたかのような笑顔だった。


 ――お前が俺を認めてくれるならば、俺はお前を認めよう。


「ま、待ってください!」


 トラフィックは去っていこうとするガングーに思わず叫んだ。


「なんだ?」


「私を貴方の友人にしてください!」


 ガングーはちょっと迷うようにしてから、「断る」と言った。


「え?」


「友達なんて言ってなるもんじゃないだろ。そういう意味じゃ、俺たちはもう友達だ。だって俺、お前のこと嫌いじゃないからな。だから友達に『なる』のは断る」


「ええ、確かに」


「なんなら飯でも食いに行くか? 友達だしさ」


「そうしましょう! あまり値段の張るところは嫌ですが」


「心配するな、俺も金はない」


 この日、ガングーは終生の友を得た。




 ――ここまで語り終えて、シャネルは俺に聞いた。


 なにか分からないことはあるかしら?


 俺は首を横にふる。


 よく分かった。


 初代ガングーってリア充だったんだね!


 俺はちょっとだけ、嫉妬しそうになった。


 同じ転生者なのに!


 まあ、役者が違うと言ってしまえばそれまでなんだけどね。


 しかし作戦のことはよく分かった。あとはそう、うまく成功させるだけだ。


 それにしても妙だな、と俺は思った。シャネルがわざわざ作戦の立案をするなんて。なにか少しだけ気になったのだった。



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