490 馬は万里を行く
軍馬は万里を行く。
馬賊の行軍には隊列というものはない。ただ速いものが前を行くだけだ。
もしも上空から見ることができればまるでイナゴの大群のように映るかもしれない。それぐらいわらわらと無秩序に進んでいく。
そんな行軍であってもティンバイはいつも先頭だ。
疲れ知らず。
いや、よっぽど見栄っ張りなのか。
なんにせよ自分の前は何人たりとも走らせないという強い決意を感じる。そういう男らしさというのは、俺にはない。
俺はゆるりとシャネルと馬を進めている。
いや、もちろん走らせているのだが。全軍の中では後ろから数えたほうが早いくらいの位置だ。なんていうか、あれだよね。学校とかであるマラソン大会みたいな感じ。
俺が通っていた高校では毎年秋にマラソン大会があった。引きこもりだったけど、1年生の頃は参加したのだ。面倒だった。
気分はそのマラソン大会によく似ている。
最初に言うんだ。
――一緒に走ろうね!
たいてい途中で裏切るんだよね、言い出したほうが。
もっとも俺はシャネルのことを裏切るようなことはしない。2人でとことこ、並んで馬を走らせている。
俺の乗っているバカ馬はなぜかシャネルの乗る馬の方に近づこうとする。シャネルの乗る馬は気味悪そうに離れようとする。
ちなみに馬はどちらも雄馬である。
つまり、バカ馬はシャネルに近づこうとしているのだ。
「ねえ、シンク」
「なんだよ」
俺は自分の馬の手綱を引っ張りながら答える。
「その馬ね、シンクに似てるわね」
「どこが?」
俺、こんなバカな女好きじゃないぞ。あっちにこっちに女と見れば見境なし。まったく恥ずかしい馬だぜ。
シャネルはそのあとなにかを言うかと思ったが、それで会話を終えてしまった。
えー、言うだけ言ってそれで終わり?
なんだか気になるなぁ。
俺とこの馬、そんなに似ているだろうか。
俺は馬の毛並みをじっと見る。あっ、枝毛があった。へー、馬にも枝毛ってできるんだ。知らなかったな。
そんなことを思っていると、馬の足並みが少し早くなっていることに気がついた。たぶん先頭のほうがスピードを上げたのだろう。
俺たちが進んでいるのは広々とした街道だ。先程まで山道だったが、歩きやすい道になったのでスピードアップしたのだろう。
「これ、馬が潰れちゃわないかしら?」
「うん、潰れる馬もいるだろうね」
とはいえ、馬賊の行軍は自由。
もしも落伍する兵がいれば置いていかれるだけだ。
俺のバカ馬は大丈夫だろうか……なんだか鼻息が荒いな。視線も前を向いてない、定まっていない、空を見てる……?
いや、違う!
こいつ、シャネルの足を見てやがる!
「このっ、このっ!」
俺は馬の頭をペチペチと叩く。
「どうしたの、シンク?」
シャネルが不思議そうに聞いてくる。
「なんでもない!」
馬にまで嫉妬する男、榎本シンク。
しかしまあ、この分なら俺の乗るバカ馬はまだまだ大丈夫そうだ。
ふと気がつくと、後ろからダーシャンが追い上げてきた。
ダーシャンはかなりの巨体、つまるところ百貫デブだ。相撲取りみたいな人間を乗せる馬はとても可哀想。けれど健気に走っている姿は、なかなかどうした美しいものだ。
その健気な馬を懸命に鼓舞しながら、ダーシャンはスピードを上げていた。
「どうした?」
と、俺は追い抜かれざまにたずねる。
「シンク! お前も急いどけ!」
はて、どうしたのだろうか。
よく見れば周りの馬もぞくぞくと速度を上げているように思えた。
「なにかあったのかしら」と、シャネル。
「分からない。けどこのままだとドンケツになりそうだな」
世の中には同調圧力というものがある。
周りの人が急いでいればこちらも急がなければならないとそんな気にもなる。
俺とシャネルは最初、ゆるやかに馬の速度を上げた。しかし他の馬賊たちはさらにスピードを上げている。
はて、最後に休憩したのはいつだったろうか。馬の体力が心配だ。
すでに速度は最高に近く、速駆すらも通り越して全力疾走である。
誰も疑問に思わないのか、それともこれが馬賊の行軍として通常なのか。
「どおりでダーシャンが急いどけって言ったわけだぜ!」
えらく喋りにくい。
口を開くと風が入ってくる。
シャネルはしきりに髪型を気にしており、どうやら崩れるのが嫌みたいだ。
ちなみに、馬賊の中にも女性はいる。それはスーアちゃんのように軍師としてではなく、兵隊としてだ。けれどその人たちはすでに男と変わらないような――こういう言い方は悪いかもしれないが女性を捨てた人たちだ。
だからシャネルのようにきちんとお洒落にめかしこんで、髪型もセットしてお化粧もしてという女馬賊はいない。
「なんでこんなに急いでるのかしら!」
シャネルは叫ぶように言う。
「分からん、そもそもここはどこだ!」
俺は地理というものが分からない。シャネルはドレンスの人間であり、そこらへんに詳しいだろう。しかし自分たちがいまどこにいるのか分からないようだ。
どれくらいの時間を走っただろうか。
行軍についていけず振り落とされる馬賊たちの数も多い。
道端で倒れている馬、そのかたわらで悔しそうにする馬賊。
「頑張れ、もう少しだ!」
俺は無責任な応援の言葉をおくる。
そんな叱咤激励であっても、やる気を出して立ち上がってくる馬賊たちもいる。逆にどうしても馬が言うことを聞かずにその場に立ち尽くす馬賊もいる。しかしそういう人間は力いっぱい叫ぶのだ。
「副攬把、絶対にあとで追いつきますから!」
ティンバイだけじゃないと思った。
みんな俺のことを助けに来てくれたのだ。
馬賊というのは仲間のためならどんな苦労もいとわない。彼らは匪賊ではなく義賊なのだから。
気がつけば俺たちは街道をはずれて平野へと。
その平野の先には波打つような連山が控えていた。
もしやそこを越えていくのかと思ったら、違う。
平地にはドレンス軍の兵士たちがいた。
それを見て安心した。
そうか、この全速力での行軍はラストスパートだったのか。
すでに到着していたティンバイとフェルメーラがなにやら話している。
俺は息を整えながらその2人の方に馬を進めるのだった。




