489 スーアちゃんとお話
なんだか悲しそうな顔をして干し草を食べている馬が1頭。
「お前なぁ……」
俺は文句でも言ってやろうかと思ったが、やめた。
馬になにを言ってもしかたがないのだから。
しかしこの馬のやつ、露骨にやる気がなさそうだ。
「いや、分かるぞ。お前も女を乗せないとやる気がでないんだろ。そりゃあ俺だって乗ってもらえるんなら女の子のほうが良いさ」
とか言ってみたが、俺は童貞だ。
いや、違うのか。童貞だからこういうこと言っちゃうのか? よく分からない。
「なんにせよお前に乗るのは、俺、榎本シンクだ。了見してくれよ」
俺はそう言って馬の首をなでてやる。馬はわずらわしそうに首を払った。
ちょっとイラっとしたが、ここは我慢だ。
ティンバイに乗れと言われた馬、ルオにいた頃には何度か乗った個体なのだが、馬のくせに無類の女好きだ。というか女が乗らないとやる気をださない。最低!
「シンクさん」
いきなり後ろから声をかけられる。
スーアちゃんの声だ。
「どうした?」と、俺は振り返る。
スーアちゃんは恥ずかしそうな顔をして、俺の正面ではなく少しだけ右よりに立っている。
「あ、あの。いま少しだけ時間いいですか?」
「もちろん」
バカ馬が鼻息を荒くする。
女と見ればロリであろうと無問題。なんて馬だまったく。まあ俺もロリは好きなのだが。シャネルには内緒だ。バレてるか……?
「出撃前なのにすいません」
「いや、べつに構わないよ」
あれ、そういえばシャネルはどこまで行ったのだろうか。馬を1頭もらいうけてちょっと練習してくるわと言っていたが……周囲には姿が見えなかった。
まあなにかにつけて器用なシャネルのことだ、馬を乗るのだってできないわけではないのだろう。というか実際に乗れて足しな。
「少しだけで良いんです……話したくて」
「うん」
なんというか、会話が前に進まないな。
その場で足踏みしているようにスーアちゃんは同じようなことを繰り返す。とにかく俺と話がしたかったのは分かったが、さていったいなんのお話でしょうか。
「せっかく会えたと思ったのに、すぐに離れ離れですね」
スーアちゃんは言ってから、すぐに頬を赤くする。
どうしたのだろうか、風邪だろうか。
「そうだね、もう少しゆっくりしたかったけど」
「攬把の言うことも分かるんです。戦力をきちんと分散させる。そのためには私はダンビラ・ビーチに行かなくちゃならないんだって」
「うん」
「ただ、それは戦力の逐次投入につながるから辞めたほうが良いと提言することもできたんですけど……」
「あー、逐次投入ってなんだったかな?」
「少しずつ戦力を投入していくことです。戦場では愚策の1つとされています、勝てる時にありったけの兵力を叩き込む、それはある意味では戦場の基本です」
「つまりエルグランドが言った、2方面作戦じゃなくてどっちか1つを潰して、そのあとに全戦力でもう一方を潰す。それが良いってことだな」
「まあ、普通に考えれば」
俺も頷く。
たしかに、わざわざ難しい同時攻撃をする必要はあまり感じられない。
「ティンバイは無茶苦茶な男だな」
俺はそう結論づけたのだが、実際のところは違うのだと心のどこかで察していた。
聡明なスーアちゃんも同じだ。
「攬把のことです、考えがあってのことでしょう。ああ見えて頭の中ではたくさんのことを考えている人です。シンクさんもそれはご存知ですよね」
「もちろん」
さて、ではティンバイはなぜそんな無茶をしようとしたのだろうか。
俺が思いついたことは1つだ。ようするにティンバイは時間がおしいのだ。だから必要最低限の戦力で敵をいっきに叩こうとしている。
しかしなぜ?
その答えはスーアちゃんが知っていた。
「攬把は焦っております」
「焦ってる?」
あのティンバイが? いつだって大物ぶって余裕たっぷりに見える男だというのに。
「攬把はルオの国においてきた民草のことが気になっているんだと思います。けれどやっぱりシンクさんのことも手助けしたい。そういう板挟みで、焦っているのではないかと」
「なるほどね」
ティンバイは押しも押されもせぬルオの総攬把だ。その役割は自警団の長というものを軽々と越え、言ってしまえば一国の盟主と言っても差し支えない。
ティンバイの不在において起こる問題も数多いはずだ。
「つまりスーアちゃんははティンバイにさっさとルオに戻って欲しいわけだな」
そりゃあそうだよな。そもそもティンバイが直接ドレンスに来る必要は、あまりないはずだ。
いや、俺からすれば嬉しいよ。来てくれたことは。安心感もある、あいつがいれば負けることはないと。
でも実際は……。
「分かった、ティンバイには俺からそれとなく伝えておくよ」
「いいえ、違いますよシンクさん」
「えっ?」
スーアちゃんは微笑んだ。
「私は攬把を止めてほしいと言いに来たのではありません」
「じゃあ、どうして?」
「シンクさんの口から攬把に伝えてください。ルオの民はそんなに弱くはありません。攬把はたしかにルオにとって大切な人間です。けれどルオのみんなは攬把が、私たちがいなくてもきっとやっていけます。いたほうが良いのはたしかですが」
「なるほど、了解した。つまりホームシックなティンバイを慰めてやれば良いんだな」
「いえ……そういうわけでじゃあ。あっ、でもおおむねそういうものかもしれません」
分かったよ、と頷く。
「あー、それにしても驚いたよ。いきなり話しがあるっていうから告白でもされるかと思った」
場をなごませるため、冗談を言う。
「……そ、それも少し考えました」
スーアちゃんは蚊の鳴くような声でなにかを呟いた。よく聞こえなかった。
なんだかスーアちゃんの顔はもっと赤くなっていた。
「大丈夫か? 風邪とかかな?」
「あっ……いえ、なんでもないです」
「そうは見えないけど」
「ほ、本当に大丈夫……です」
そこまで言うなら、まあ。
でも無理はしないでほしいものだ。スーアちゃんはこんな小さな体をしてるんだ。体力だって他の人たちよりも少ないだろうし。
「それなら良いけど」
「あ、あの。シンクさん!」
「なに?」
いきなりスーアちゃんが大声をだしたから、少しだけ驚いた。
「頑張ってください、あの、シャネルさんと!」
いきなりなんのことを言っているのだろうか?
「えっ、あっ、うん」
とりあえず頷いておく。
スーアちゃんはそれだけ言うとどこかへと走り去っていった。
なんだったんだろうか、と俺はバカ馬を撫でた。
馬はなんだか俺のことを笑っているようだった。
――鈍いやつ。
そう言っているように思えた。
それを俺は、とても敏感に察したのだった。




