482 またまたエルグランドとケンカ
エルグランドが苛立たしげに机を叩いた。
「まったく、どうなっているのですか!」
「どうって何がさ」
「私たちがせっかくこのモン・サン=ミッシェルで勝利したというのに、ダンビラ・ビーチはいまだに敵の手に落ちたまま。主要な街道ですらいくつかは占拠されております!」
「そうだね」
そもそも俺たちがやったのは防衛戦だ。
防衛戦の恐ろしいところ、それは勝ったとしても領土が増えるわけでもなく、なんなら相手に大打撃を与えることも少ないというところにある。
つまり旨味がないのだ。
もっとも、相手が破れかぶれの大博打をうってきていた場合は、その限りではないが。それは防衛戦であり、同時に決戦でもあるのだから。
ただこの前の戦い、あれはおそらくただの足止めや揺動のたぐいだった。
「エノモト・シンク……」
「どうしたよ、エルグランド・プル・シャロン」
いきなりフルネームで呼ばれたので、俺もフルネームで呼び返す。
でもよく考えてみればエルグランドのやつはいつも俺のことをフルネームで呼ぶか。
「はっきり言います、まずいですよこれは」
「まずいのは昔からだろ」
そもそもドレンスに兵がいないのだから。持ち駒でなんとかやりくりしてきて、やっとこさ戦いになっているだけなのだから。
だが、エルグランドはどうやら真剣に言っているようで――。
「なにをヘラヘラしているのですか!」
思いっきり机を叩いた。
たぶんあれ、腕のほうが痛かっただろうな。
「怒りすぎだぞエルグランド」
いまエルグランドの部屋には俺たちしかいない。エルグランドが激昂しているところを見られることはない。
我を忘れて怒鳴り散らす姿というのは、はたから見れば情けないものだからな。
「このままでは本当に勝てない! 負けます、パリィまで敵が進軍してきます!」
「分かった、分かったから」
「フェルメーラは何をしているのですか! さっさと東部方面を片付けてこちらの増援に入れば良いものを!」
「そうは言うけどな、フェルメーラの連れていった戦力だって時間稼ぎがせいぜいのもんだったぞ」
「分かっております! おりますが!」
「俺たちだってそれは同じだ。どこからも援軍はこないんだ。無理を言ってもしょうがない」
「貴方が! 貴方がルオからの援軍が来るというから!」
俺はため息をついた。
「その話はもう何度も謝っただろ」
いや、もしかしたらエルグランドには直接謝罪はしてないかもしれないけど。でもいまさらルオからの援軍がなかったせいでこの戦争に負けるのだって、そりゃ無いだろ。
「これからどうすれば良いのです、ここから――」
状況が悪くなれば素が出てくるのが人間というもの。
エルグランドはたしかに成長したのだろうが、ここにきて弱い部分が顔を見せてきた。
「心を強く持って!」
とりあえず言ってみる。
「バカにしているのですか!」
怒られた。
エルグランドが取り乱す。ただそれだけのことだが、それだけのことが下手したら戦場において大きな問題にまで発展するかもしれない。
エルグランドは間違いなく俺たちの大将なのだ。その男がこんなにも乱心していれば……兵士たちにも動揺が広がる。
「失礼します、閣下! 報告があります!」
いきなり部屋の中に入ってきたのはエルグランドの副官だ。
「なんですか!」
いきなり怒鳴るエルグランド。
「おいおい、エルグランド」
「どうせ悪い報告でしょう! 東部の戦場が総崩れですか、それともダンビラ・ビーチに敵の援軍が来ましたか! 街道を進む敵がパリィに到達しましたか! ああ、もうなんだろうと私には関係のないことで――」
「エルグランド!」
言い過ぎだ。
俺はエルグランドの背中にヤクザキックを食らわせる。
「ぎゃっ!」
いきなりでまったく想定していなかったのだろう、エルグランドは吹っ飛んだ。机を巻き込みながら派手に転ける。
「お前な、いい加減にしろよ」
副官の人もエルグランドのあまりの無茶苦茶さに怯えたような顔をしている。
こういうの、たぶんパワハラって言うんだよな。イジメに近いなにかを感じたので、腹が立って暴力で止めてしまった。
「なにをするのですか、エノモト・シンク!」
「とにかく落ち着け。お前はこの戦いの総大将だろ! それがそんなに慌ててどうするんだ」
「知ったような口をきいて!」
エルグランドは落ち着くどころかむしろ逆上して俺に襲いかかってきた。
杖は持たず、素手で殴りかかってくる。
なので俺も武器は使わない。
これで何度目か分からないけど、エルグランドと殴り合う。
エルグランドはもうめちゃくちゃに叫んで殴ってくる。なんだか泣き叫ぶ子供が振り回す拳のようで。こいつも大変なんだな、と頭の冷静な部分で思った。
「このっ、このっ! 貴方に私の苦労のなにが分かるのですか!」
「分かるか、このバカ!」
いや、まあたしかにエルグランドは俺みたいに適当に戦うだけじゃなくて大変なんだろうけどさ。でもそれはお互い様、いいっこなしってやつだろ。
俺は最初、エルグランドの拳をひょいひょいと避けていた。
けれどたまたまその良いところ、つまり腹部にエルグランドの拳がめり込んだ。
「ぐっ!」
一瞬で頭が真っ白――いや、真っ赤になる。
「この野郎! せっかく人が手加減してやってたのに!」
こちらからも殴り返す。
最初こそ接戦に見えたが、すぐに俺が優勢になる。ボコボコにしてやる。
「ちょっと、2人ともやめましょう!」
副官が止めに入ろうとするが、エルグランドに殴られていそいそと下がる。流れ弾ならぬ流れ拳だ。
けっきょく勝ったのは俺だった。
エルグランドは部屋の真ん中で伸びている。
「ったくよ、八つ当たりはやめろよな!」
「うるさい! 貴方の顔など見たくもありません、さっさと出ていきなさい!」
売り言葉に買い言葉。
「ああ、出ていってやるよこのクソ野郎!」
俺は部屋の扉を開ける。
すると、後ろになにか嫌な気配を感じ、振り向く。
目の前になにか文鎮のようなものが。慌てて避ける。
どうやらエルグランドが投げたようだ。
「くそ、外しました!」
「お前最低だぞ!」
普通出ていこうとしてるやつの背中に向かって物を投げるか? 俺じゃなかったら絶対に避けれてなかったぞ。
「さっさと出ていきなさい!」
「お前最低だぞ!」
俺はもう1度言う。
「貴方に言われたくありません!」
まったく腹の立つやつだ。
今度こそ俺は部屋を出る。
そして廊下で叫ぶ。
「シャネル、シャネル! いるか!」
たぶん部屋にいるのだろうけど、腹がたっていたこともあって廊下で叫んだ。
すると……。
「なあに?」
いきなり出てきた。それも後ろからだ。
まったく気づかんかった。
「なんで後ろにいるのさ?」
「ずっといたのよ、あの男の部屋に入ったときから」
なんだそれ、と思う。
でもまあいいや。
シャネルがいてくれるならそれで。
「ちょっと外でも行くか」と俺。
モン・サン=ミッシェルの中は古い建物でなんだかかび臭いし。
「ええ、良いわよ」とシャネル。
あー、それにしてもエルグランドには腹がたつ。今度マジでぎゃふんと言わせてやろう。そう俺は決意するのだった。




