476 ミナヅキとエルグランドの治療
部屋に入るとタバコの煙ったい臭いが鼻をついた。
「おおい、エルグランド? 大丈夫かよ」
俺が言うと、ベッドの上に座るエルグランドはすがるような表情を俺にみせた。
「エノモト・シンク! 貴方からも言ってやってください、私はもう大丈夫だと!」
「そういうなよ」と俺はエルグランドに向かってそこらへんでとってきた果物を投げつけた。
エルグランドはそれをキャッチ――できずに、床に落とす。
名前も知らない果物が床で潰れてベチョリと気持ちの悪い音を鳴らした。
「あまり部屋を汚すな」
と、窓際でタバコを吸っていた40がらみの治療師の男が言う。
白髪交じりの髪は、その人生の苦労をありありとしめしているようだ。
治療師の名前はミナヅキ。かつては俺の同級生だった男だ。
「それにしてもミナヅキくんがこっちに来てるなんて驚いたよ」
「俺たちみたいな善良な市民を戦場に徴兵する、あんたらみたいなやつらがいるからな」
ミナヅキはエルグランドをにらむでもなく非常にフラットな視線を送る。それはエルグランドを非難しているものではない。しいていうならば諦めているような感じだ。
「なんでもいいけどさ、病人の前でタバコはどうなんだ?」
ミナヅキは窓際で笑った。
「どうせあとは傷が塞がるまで安静にするだけさ。タバコの煙で傷が開くことはない。ただし安静にはしていろ。あんたみたいなやつでも、いまのドレンスには大切な軍人なのだろう」
ミナヅキは窓際のサッシでタバコの火を消すと、吸い殻を外に放り捨てた。
「ポイ捨てだぞ」と、俺は注意する。
「パリィの街ではみんなやってるさ」
たしかにそうだけど。
けれどここはモン・サン=ミッシェルだ。海上にたつ美しい修道院。エルグランドの部屋はその中でも一等良い場所で、窓からは綺麗な海が見えた。
その海にタバコを捨てるのって、どうなの?
ま、俺もさっき果物を投げたけどさ。
「ああ……こんなことをしている間にも敵は次の作戦を開始するかもしれないというのに」
エルグランドはベッドの上で歯噛みする。
「まあまあ、そう慌てるな。いちおう怪我してたんだ、安静にするってのは良いことさ」
それにしても……。
なんでエルグランド、片目を包帯で隠してるんだ? いや、隠してるわけじゃないのか。怪我したのか? いや、そんなことないと思うのだが。
どうでもいいけど、片目を包帯で隠すのって格好いいよね。
「なんですかエノモト・シンク。ジロジロ見て」
「いや、その目さ。どうしたの?」
「ああ、これですか。なあに、怪我をして戦線を離脱したのですからこうして目立つ外傷の1つでもないと格好がつかないでしょう。だからいまだけやっているのですよ」
「えー、マジで格好つけかよ」
厨二病なのか?
「いいでしょう。ある程度の演出は必要なのです」
「はいはい。とりあえずお大事になエルグランド」
「なんですか、もう行くのですか?」
「べつにちょっと様子見に来ただけだしな。元気そうで良かったよ」
「ぜんぜん元気ではありません! もう少し話し相手になりなさい」
「気持ち悪いやつだな、それとも調子が悪くて弱ってるのか? あいにくと俺ちゃんは暇じゃないんだ」シャネルを待たせているし。「もう戻るぞ」
エルグランドはなにか言いたげな表情をみせたが、しかし言葉にするのはプライドが邪魔をしたのだろう。「さっさと行きなさい」と悪態をつく。
いまさらこいつ相手に気を使う必要もないので、俺はじゃあねと部屋を出た。
すると、ミナヅキも一緒についてきた。
「榎本、少し時間いいか?」
「さっき暇じゃないってエルグランドに言ったんだがな」
「そのエルグランドさんのことだ」
なんだかエルグランドに『さん』をつけるのは違和感があった。
「どうした?」
「あの人の治療は、実際に上手く行っている。最初の対応が良かったんだろうな。戦場で爆発に巻き込まれたのだろう? 患者が運ばれてくると聞いたとき、俺はバラバラ死体の治療をさせられるのかと思ったぞ」
「ああ……それね」
俺はあの当時のことを思いだす。
すでに3日前のことだった。
あのとき、エルグランドはたしかに敵の魔族の爆発をうけた。それこそ超至近距離で、だ。
こんな言い方は悪いが、俺だってエルグランドは死んだと思ったくらいだった。
けれどエルグランドは生きていた。それこそ虫の息だったが、五体のどこにも欠損はなかった。ただ体全体を火傷ていて意識もなかった。
「あのときは本当に大変だったんだ。とにかくさ、シャネルが――俺の彼女なんだけど、覚えてる?」
シャネルのことを自分の彼女と紹介することに、なんだか不思議な高揚感と罪悪感があった。いまだに自分に自信のない俺だ、シャネルと自分が釣り合っているとは思えない。
「ああ」
「シャネルは水魔法が使えるんだけど、どうしてもエルグランドの治療はしたくないって言うんだよ。疲れただとか、そもそもエルグランドは嫌いだとか、ああだこうだ言ってな」
「だけど結果的に治療はしたんだろ」
「うん。なんとか頼み込んでね」
そのおかげでエルグランドは一命をとりとめて、モン・サン=ミッシェルまで運ばれることになった。そしてそこにつめていた軍医――つまりそれがミナヅキなのだが――に、治療してもらえた。
いまではしっかり意識もとりもどし、いつもの減らず口をたたいている。
「ただ問題もある」
「問題?」
「ああ。エルグランドさんの目だがな……」
「どうした?」
「本人はああいうことを言って強がっていたが、かなり視力が落ちている。どうも爆発のときに眼球になにか金属片のようなものが飛び込んだらしい」
「そ、そうなのか?」
「どうにか失明は回避したが、いちじるしく片目の視力が落ちたせいで日常生活にも支障をきたすかもしれない。しばらくはああして片目で生活したほうがいいかもしれないな」
「分かったよ」
もしかしたらエルグランドのやつ、本当に心細かったのかな?
もう少し優しくしてやれば良かったかもしれない。
俺とミナヅキは話しながら並んで歩く。
ふと、ミナヅキが服の裾からタバコを取り出した。まさか吸うのかな、と思ったらそのまさかだった。火をつける。
すると、前からシスターが歩いてきた。
「モン・サン=ミッシェルの中は禁煙です!」
怒られる。
「ああ、すまない」と、ミナヅキは悪びれずに謝る。「榎本、外に出よう」
「なんでもいいけどさ、タバコは体に悪いぜ」
ミナヅキは優等生で、タバコを吸うような不良じゃなかったのだけど。
まあ、こいつがこの異世界に来てどれくらいの時間がたったのかしらないけど、俺と違ってもう大人なのだからタバコを吸っていてもおかしくないか。
「治療師なんて仕事をしているとな、どうしてもストレスがたまるんだ」
「そうですかい」
暇じゃないと言ったはずなのに、俺はミナヅキについて外まで出る。
数日前に戦闘があたったとは思えないほどに素晴らしい快晴だ。海岸の砂浜の方を見てみると、まだ魔族の死体がところどころに打ち捨てられているのだが。
「この戦い、勝てそうか?」
と、ミナヅキは聞いてくる。
「さあね」と答えた。
実際に分からない。そもそもこれは防衛戦だ。防衛戦の勝利ってなんだ? 相手が諦めて攻めてこなくなること? そんなことってあるのだろうか。
「気をつけろよ、榎本」
「なにがだよ」
「気付いてないのか?」
「なにを?」
いくら察しの良い俺でも、ここまでノーヒントだとよく分からない。
「このままいけばこのノルマルディ、負けるぞ」
「どうして治療師のミナヅキくんにそんなこと分かるんだよ」
少なくも軍人たちはみんな、戦勝ムードで指揮も高い。
「気付いてないなら教えてやるさ。お勉強の時間だ」
ミナヅキはそう言って、タバコの火を消した。
『ミナヅキ』
「第二章・商人」「短編・人形師」に登場したシンクの同級生。学生時代は成績優秀だった。シンクにたいするイジメには加担しておらず、静観を決め込んでいた。
異世界に来てからは水魔法を覚え、パリィで治療院を経営している。ぶっきらぼうなわりには子供好きで、近所では人気の治療師である。




