475 シャネルのすごい魔法
空からの奇襲で、ほとんど総崩れとなっていたドレンス軍だったが、その立て直しの転機はエルグランドの登場だった。
「降ってくる敵がなんだというのです! 戦うのは地上なのですから関係ないでしょう!」
その理論が正しいかどうかは分からない。
しかし敵の奇襲で勢いのないドレンス軍の兵隊からすれば、根拠のない言葉だろうと自信満々に言われればすがるように信じたくなるというもの。
「いいですか、このエルグランド・プル・シャロンが来たからにはもう安心です! 我々に敗北はありません。我々こそが初代ガングーの作り出した大陸軍なのです!」
エルグランドが来て、よく通る声で士気高揚のための言葉を叫ぶ。
それだけで、少しずつ兵士たちが戦列を立て直していく。
なんだかんだとエルグランドはこのドレンスにおいて有能な指揮官として名が通っている。なにせこの戦争、ドレンスが明確に勝利した戦場はテルロンだけなのだから。
「エルグランド!」
どこから持ってきたのか、馬に乗っているエルグランド。敵から狙われないだろうかと俺は少しだけ不安になる。
「なんですか、エノモト・シンク」
「あんまり前線に出てくるな! 敵はどこから来るのか分からないんだから!」
「どうせ空から降ってくるんです、どこにいても同じですよ。それならばこうして前に出て、兵たちのやる気をださせたほうが良いでしょう?」
「それはそうだが――」
エルグランドを狙ってだろう、敵の魔族がわらわらとこちらによってくる。俺はエルグランドを守るために刀を構えた。
だが、敵は俺たちに接近することができなかった。
「ああ、もうっ! 鬱陶しいわね!」
シャネルの目についた順番に敵は焼かれていく。
あたりはすぐさま火の海になる。
「お、おい待てシャネル!」
俺は叫んでシャネルを止めようとするが、タガのはずれたシャネルを止めることのできる人間などこの世にはいない。
最初、一匹ずつ焼かれていた敵たち。
次第にシャネルは面倒になったのだろう、大技を連発する。
敵どころか味方にまで被害が出はじめる。
「まるで災害だな」
シャネルの背後にいる俺たちに、火の魔法が襲いかかることはない。しかしシャネルよりも前に出ていた人間たちは全員焼かれていく。
「エ、エノモト・シンク……あれはなんですか?」
「魔法だろ。なんだエルグラさん、知らないのかよ」
あたりにはところどころで火の手があがっている。そのせいで昼間のように明るくなっている。それを1人の美少女――少女?――が起こしたのだと、俺もにわかには信じられなかった。
「あんな魔法があってたまるものですか!」
「えっ?」
エルグランドがあまりにも焦っているので、俺は理解できずに首を傾げる。
それにしても熱い……シャネルは本当に加減というものを知らないから、海岸沿いはもう大火事だ。いったい何人の死んだのだろうか……。
「あ、貴方はどれだけ非常識なのですか! あんな、あんな規模の魔法を! どうしていままで隠していたのです!」
シャネルの魔法は地上を焼き尽くす。
とうとう空に向かっても魔法を撃ち始めた。
「我が愛の炎、万象を焼き尽くしてなお赫々(かっかく)と。煌々(こうこう)たる愛の日々、なお悠々(ゆうゆう)と――『シエル・アンフェール・フー』」
わっ! あれ、初めて見た魔法だな。
と、俺が思った次の瞬間、空いっぱいに花火のような爆発がおこった。
色とりどりの魔力の爆発は。その中心にいたであろう魔族たちは燃え尽きながら落下してくる。パラシュートが開くこともない。
ボタボタと音をたて、地面に激突していく。
「はあ……はぁ……」
さすがのシャネルも疲れたのだろう。顔色は悪く、いつも真っ赤な唇もいまは青白い。
「お疲れ様」と、俺は声をかける。
「……こんなところよ」と、シャネルは俺に弱々しい笑顔を向けてくれる。「残った分の処理は任せるわ」とエルグランドにはツンケンした言い方をする。
とはいえ、残っている敵もいまに火に焼かれてしまうだろう。
「どうなっているのですか。こんな戦場を一瞬で焼き尽くすような魔法……貴女は何者なのですか、シャネル・カブリオレ」
「べつに何者でもないわ。シンク、帰りましょう」
「ふざけないでください! こんな規模の魔法、伝説上の禁術でもなければありえません!」
「うん? なあ、エルグランド。シャネルの魔法ってそんなにすごいのか?」
「当たり前でしょう、この世間知らずが!」
うわ、なんか怒られた。
べつに良いじゃないか、世間知らずでも。というか俺の知っている人たちはみんなシャネルくらい魔法が使えたぞ。えーっと、例えばココさんとか。
そう思った瞬間に、俺は察した。
――もしかして俺が知ってる魔法使いの人たちってみんなこの世界の上位勢?
考えてみればそうだ。古くは勇者パーティーの魔女から、最近では五行の魔法すべてを使える魔王軍の幹部ココさんまで。俺が会ったことのある魔法使いはスペシャルばっかり。
よく考えてみればシャネルほどの規模で魔法を使える人はほとんどいなかった。
目の前のエルグランドの魔法、木々を少しだけ成長させるものも最初はしょぼいものだと思ったが、みんなあの程度の魔法しか使えないのだ。
つまりあれが普通。
シャネルの魔法は桁違い。
いままで気づかなかったのは、俺自身『グローリィ・スラッシュ』という大規模な魔法を使えたから。でもあれだって勇者の必殺技なのだ。
「もしかしてシャネルってすごいの?」
「……呆れました。いや、しかしよく考えてみればエノモト・シンク。貴方の連れなのですから非常識が常識みたいなものですか」
なんかしらんが俺が非常識な人間だと言われた。
「むむむ、俺は普通の人間だぞ」
少なくともシャネルみたいにあたり一面を火の海にできるような能力はない。
「単独で魔族をばったばったとなぎ倒せる人間のなにが普通ですか。まあいいでしょう、今回の戦いは貴方たちのおかげで勝利することができました。さっさと帰還しましょう。いえ、その前に消火活動を――」
エルグランドが周りの兵士に指示を出す。
敵はほとんど焼かれているので、あとは消火だけ。シャネルは燃やすだけ燃やして飽きたのか、つまらなさそうに髪をいじっていた。
ふと、炎の中から敵兵が現れた。
おそらく指揮官なのだろう。他の魔族とは鎧の形が少しだけ違った。
「な……なぜだ」
その魔族は珍しく言葉を喋れるようだ。
エルグランドが警戒して「エノモト・シンク! さっさと処理しなさい!」と叫ぶ。
言われなくてもそのつもりだった。
刀を抜く。
「お前は……な、なぜ……人間のくせにこれほどの魔法を……」
おそらく魔族の男はシャネルを指さそうとしたのだろう。すでに力が入らないのか、その手は上がりきっていない。
「俺たちがどれほどの思いで、魔族になったと思っているのだ……」
「知らないわよ、貴方たちの考えなんて」
面倒だわ、とシャネルが杖を取り出す。
だがシャネルがなにかする前に魔族の男は事切れた。その場に前のめりで倒れる。
「死んだ? 死んだのですか?」
エルグランドが聞いてくるから、俺は頷く。
「はあ……疲れたわ」
「しかし大勝利でしょう!」
エルグランドが馬から降りて、倒れた魔族の指揮官に近づく。
その瞬間、嫌な予感がした。
「エルグランド!」
俺は叫ぶが、もう遅い。
エルグランドはすでに魔族の指揮官に近づいている。そしてしゃがみこんでいる。なにかを確認しようとしているのだ、そんな必要ないのに。
「まずいっ!」
シャネルも気付いたのだろう、身をかがませる。
俺は一瞬の判断を強いられた。シャネルかエルグランド、かばえるのは1人だけ。
とっさにシャネルを抱きしめるようにして、魔族の指揮官との間に割って入った。
その刹那――。
魔族の指揮官の体が、爆散した。




