471 海軍について
パリィから数日の行軍のすえ、俺たちが到着したのはドレンス・ノルマルディ地方。
ドレンス北部における伝統的な地名であり、もともとはガングー時代より少し前、ドレンス革命時代にドレンスをいくつかの地方にわけたさいにつけられた名前だそう。
ノルマルディの北部は海峡に面しており、それを渡ればグリースがある。かつて俺がグリースに渡るために定期船に乗った港町も、この地域にある。
いま、俺たちは海岸沿いに兵を布陣させていた。
海辺の浜には海からの敵を想定した防衛装置がおかれている。砂の中から突き出すように置かれたテトラポッドのような物体。弾除けにもなるし、海から敵が進行してきたさいには足止めにもなる。
「この……海岸沿いすべてを防衛することは、兵力的に不可能に近いでしょう」エルグランドは絶望的な表情のまま言う。「ここまでの行軍、なんとか間に合ったのは良いのですが……」
俺たちの増援部隊がノルマルディに来たとき、すでに防衛戦は1度行われたあとだった。
なんとか敵を追い返したと誇らしげに言うノルマルディ方面軍の隊長は、しかし次の侵攻で防衛できるかは分からないと言っていた。
「ここから少し離れたノーズライの海岸。見てきましたか?」
「いや、見てないぞ」
俺は部隊が集まる本陣に到着したあと、そこからほとんど動いていない。総隊長であるエルグランドは毎日忙しそうにそこらへんを出歩いているが。
「ひどい有様でした。戦闘が行われたのは数日前だというのに、いまだに海が血に染まって真っ赤でした。浜には結晶化した敵の魔族の死体と、その十倍もある我々ドレンス軍の死体が無造作に転がっておりました」
「防衛戦ってのはこっちから攻めるよりもやりやすいんだよな」
ならこの兵力でも、次も防衛できるんじゃないだろうか。
俺は希望的観測で言う。
「水際防衛などやるべきことではありません。本当は……敵の上陸前に海戦で仕留めたいところですが」
「そういや海軍はどうなってるんだ?」
「日和見ですよ。そもそも海軍の指揮権は我々にはありません」
「えっ、そうなのか!?」
勝手にエルグランド、もしくはガングー13世が指揮権を持つのかと思っていた。すくなくとも陸軍に関してはそうだ。広いドレンスで兵士をあっちに、こっちにと顎で使って派遣していた。
それが無理になって、自ら出張ってくることになったのだが。
「伝統的に海軍の指揮権は独立しており、行政には帰属しておりません。もっとも、我々が海軍を指揮できたかと言って海戦で勝てるとも思えませんが」
「なんでさ?」
「これも伝統ですが……ドレンスは海軍が昔から弱いのです。なぜか分かりますか?」
「えーっと」
考えてみる。だがすぐに答えが出てこない。ドレンスには海がないわけでもないし。むしろ海軍が強くてもおかしくなさそうだが。
「ガングーが海軍編成に力を入れなかったからよ」
答えを言ったのは俺ではない、シャネルだ。
「その通りです、シャネル・カブリオレ」
シャネルは不満そうに鼻を鳴らす。べつにエルグランドに褒められても嬉しくなさそうだ。
「どうして初代ガングーは海軍に力を入れなかったんだ?」
そりゃあ島国ってわけじゃないから、かつての日本ほど海軍の有用性が高いわけではないだろう。けれど力を入れない理由にはならない。
「それはね、500年前のドレンスは革命騒動で国がボロボロだったからよ。それで隣国からその領土を狙われていた。そんなとき、必要だったのは敵を攻めるための海軍じゃなくて守るための陸軍だったってわけ」
「それに加えて初代ガングー自身も陸軍出身だったということもあります。彼は天才であったでしょうが、どうも海軍というものを上手く使うことができていなかったようです」
「あら、それは心外だわ。ガングーはきちんと海軍のことを理解していたわ。ただ当時のドレンス国民が自国の陸軍に対してあまりにも信仰に近い過信を抱いて――」
あっ、シャネルの話が長くなってきた。
たぶん初代ガングーをバカにされたと思って怒ってるんだな。
苛立つと言い回しが回りくどくなって、しかも言葉がいちいち小難しくなる。シャネルはそういう女の子だ。
「どうどう、シャネル。とにかくドレンスの海軍はあまり信用できない。そうだね?」
「まあ、そこは否定しないわ」
「それで、いちおう聞いておくけど海軍はいまどこに?」
「テルロン方面ですよ。我々が必死で取り戻したテルロンを、いかにも自分たちが防衛しているおかげで守れているのだとばかりに陣取っております」
なんというかなあ……。
さっきも言ったが戦いというのは防衛戦のほうが楽なのだ。こちらから攻める攻城戦がどれだけ大変だったか。それが終わったあとの防衛だけやっている海軍は羨ましく感じてしまう。
「海は嫌いだわ」
と、シャネルがつぶやく。
「どうしてだよ」
「潮風が嫌いなの」
シャネルはそう言って、自分の長い髪をいたわるように触った。
「ふん、山出しが」
エルグランドがポツリと言う。
それがシャネルの逆鱗に触れた。
「言ってくれたわね!」
田舎の村から出てきたシャネルにとって、その言葉はクリティカルヒットする。あるいは彼女からすればそれがコンプレックスだったのかもしれない。
「陽炎のごとき虚しさで――」
シャネルは詠唱しながら杖を取り出す。
その行動にはまったくの迷いがない。
「我が怨敵を灰燼とかせ!」
詠唱終了。
振り下ろされる杖。
俺は慌ててエルグランドを突き飛ばす。
「あぶなっ!」
鋭い炎の槍のようなものが杖から飛び出す。
それはエルグランドの長髪をかすり、砂浜の方へと飛んでいく。砂に突き刺さっているテトラポッドのような――おそらく石でできた防衛装置にあたる。
その瞬間、テトラポッドは青い炎に包まれた。
「な、なんですか!」
エルグランドが混乱して叫ぶ。
「人のことをバカにするからよ。シンク、次は邪魔しないでね。手元が狂って貴方にあたっちゃ大変だわ」
「いや、エルグランドに当たっても大変だよ!」
テトラポッドはまだ燃えている。いや、よく見ればすでにその姿は影も形ももなくなっている。なにもない場所でごうごうと青い炎だけが燃え盛っているのだ。
なんだ、この魔法……。これ人間に当てるつもりだったのかよ。
「ダメなの?」
「ダメに決まってるだろ!」
「ふんっ。シンクがそう言うなら我慢するわ。ただね、こんど私のことをバカにしたら容赦しないわ。冗談じゃなく、本気で殺すから」
冗談じゃなくって……。
いまの冗談だったのかよ。
いや、まあ結果的にエルグランドは助かったのだけど。俺が助けたのだけど。
「わ、分かりました。もう田舎者とバカにはしません」
エルグランドは青い顔をして言う。
シャネルはなにも答えない。無視だ。
いつの間にか、浜辺の炎は消えていた。




