470 敵はノルマルディにあり
静かすぎるほど静かな庭園で、俺はシャネルと日向ぼっこをしていた。
ベルサイユ宮殿の庭園にはいくつかベンチがある。誰かが座っているのを見たことのないベンチで、いったいなんのためにあるのか不明だったベンチだが、俺たちが座っていることで存在意義が生まれたようだ。
「……平和だな」
と、俺は言う。
それがいまだけの仮初のものだとしても。
「そうね。こういう日がずっと続けば良いのにね」
本当にその通りだ。
けれど、フェルメーラはいまごろ行軍中だ。ルークスも、デイズくんも戦場に向かっている。さて、パリィから出陣した兵たちのうち、どれくらいが死ぬか……。
誰も死なないならばそれが良いのだけど。
「それでさ、シャネル」
俺はなんだかんだといままで言っていなかったことをシャネルに伝えることにする。
「なあに?」
「じつはまたグリースに行くことになるかもしれない」
「あら、そう」
えーっ。
もっとなんかないの? もしかしたら反対されるかとも思ったんだけど。
「なんかエルグランドたちがな、俺を切り札にするって言うんだ。それでな、魔王を――金山を殺しに行けって」
「前と同じじゃない」
「うん」
だからこそ不安だ。このままいけば前の繰り返しにしかならない。
つまりは、また勝ったか負けたかわからないような状況で逃げ帰ってくることになる。
「それで、シンク」
「うん?」
「私は連れて行ってくれるのよね」
俺はシャネルを見る。
もちろんそのつもりだった。
けれどシャネルの方はどうか分からなかったのだ。もしかしたら行きたくないと言うかもしれないと思った。だってシャネルはグリースでいろいろひどい目にあったのだから。ココさんとだって死別したんだ。
トラウマのようにグリース行きを嫌がる可能性はあった。そうなればシャネルはパリィに置いていくつもりだった。
けれど、シャネルはついてきてくれると言うのだ。
それは俺にとって嬉しいことだった。
「もちろんさ。一緒に行こう」
「ええ――」
本当は俺だって不安だ。
金山に勝てる保証はない。というよりも――次は完膚なきまでに負けるかもしれない。『武芸百般EX』のスキルもないのだ。
だとしても、シャネルが一緒なら――。
俺たちは見つめ合った。
「ねぇ……シンク」
シャネルが甘えるような声をだす。
「ど、どうした?」
「………………」
シャネルは何も答えずに目を閉じた。
もしかしてこれは……あれだろうか? キスしてほしいということだろうか。
まごまごしているうちに、シャネルが唇を突き出して催促してくる。
これはもうそういうことですよね、と俺はシャネルの肩をだいた。
そのまま顔を近づけて、近づけて――。
嫌な予感がした。
そして次の瞬間、
「エノモト・シンク! どこにいるのですか、エノモト・シンク!」
エルグランドのうるさい声がする。
俺を読んでいる。
ええい、こんなもん無視してシャネルにキスするぞ! と覚悟を決めた。しかしシャネルは興が削がれたとばかりに目をあけて、ひらりと俺から身を離した。
「呼んでるわね」
「ダレモヨンデナイヨ?」
無駄な抵抗をこころみる。
シャネルはくすりともせずに声の方を指差した。
「あっちの方」
少しして、そっちの方からエルグランドが現れた。
「ここにいたのですか、エノモト・シンク!」
俺は声で返事をする前に拳で返事をしてやる。
「うらあっ!」
思いっきり大ぶりでエルグランドを殴りつけた。
「ぎゃっ! いきなり何をするのですか!」
「いま良いところだったのっ!」
まあ、八つ当たりなんだけどさ。でも悔しいものは悔しい。
「貴方はこんな外でなにをやろうとしていたですか」
「うるせえ! で、なんの用だよ!」
「来なさい、ガングーが呼んでいます」
呼ばれたからと言ってほいほいついていくのもなんだか嫌な気がしたのだが、どうにもエルグランドの様子がおかしい。どうやらなにか問題が発生したようだ。
「しょうがないな」
と、おれは言ってエルグランドについていく。
もちろんシャネルもだ。
「それで、なにがあったの?」と、シャネルは質問する。
それに対してエルグランドは顔をしかめた。
「やられました」
「やられた?」
なにをだろうか。
「やつらがドレンス東部に送った兵、あれはおとりです」
その瞬間、俺は嫌な予感がした。
「おい、エルグランド……まさか」
「そのまさかです! やつらの真の狙いはドレンス北西部、ノルマルディ地方です!」
「おいおい、それってまずいんじゃないのかよ?」
だってドレンスにはもうろくに兵隊が残っていないのだ。
いまさら敵の狙いは北西部だって言われても。ついこの前、東の方に兵隊を送ったばかりだぞ。裏をかかれたということか?
いや、違うな。
そもそも兵力に差があったのだ。グリースは俺たちの裏をかいたわけではない。潤沢な兵力をつかい、こちらの手薄なところを攻めてきただけだ。
その至ってシンプルな戦略は、シンプルであるがゆえに効果的だ。
「エノモト・シンク。我々はこれよりすぐさま兵を集めてノルマンディへと向かいます。良いですね?」
「もちろんだ。どうせ俺たちしか動ける人間はいないんだろ」
「しょうじきに言っておきます、この戦いは前のテルロンよりさらに辛いものになりますよ。そもそも勝てる見込みがない。我々にできるのはせいぜい足止め程度です。ただ、援軍の来る見込みのない足止め作戦にほとんど意味はないでしょう……」
「じゃあ俺たちは捨て駒か?」
「そうなるかもしれません。希望はフェルメーラです。彼が東部戦線で勝利をおさめ、そのままこちらにさらなる援軍として加わってくれれば、あるいは……」
「なるほどな」
戦う前に負けを認めるのは嫌だが、戦力差というものはしかたながい。それに希望がまるっきりないわけじゃないのなら、なんとか頑張れるかもしれない。
「ちょっといいかしら? 今回は私もシンクについていくわよ」
エルグランドは露骨に嫌そうな顔をする。
「女が戦場に出るなどと!」
「べつに私は戦争に行くわけじゃないわ。シンクと一緒にいたいだけ。貴方の作戦を邪魔するわけでもないし、もちろん手伝う気もないわ」
「エノモト・シンク! 貴方からもなにか言ってやりなさい!」
「良いと思う。シャネルはこう言ってるけど、覚悟があっての発言だ。俺はシャネルの意思を尊重する。それにさ――」
俺だってシャネルと離れたくない。
これは恥ずかしかったので言うのをやめた。
エルグランドは勝手にしなさいと叫ぶように言って歩き出す。
向かう先はガングー13世のいる執務室。
俺たちはそこで、正式にノルマルディ地方への派遣を任命された。
「榎本さん……こんなことになってしまいすいません。本当なら貴方にはグリースへと行ってもらう予定でしたのに……」
ガングー13世は申し訳無さそうに言うが。
「なあに、なすべきことをなすだけですよ」
と、俺は軽く答える。
本当は嫌な気持ちもあるけれど、それを口にだしても仕方ない。やらなければいけないことをやるだけだ。
それに――。
今回はシャネルも一緒なのだ。
シャネルさえいれば、どこでも大丈夫。そんなふうに安心させてくれるのだ、彼女は。




