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468 雨の朝パリィに死す


 雨はざぁざぁと音をたてて降り続く。


 俺は庭に出ていた。


 いまから家に帰るのも嫌だった。けれどエルグランドの屋敷の中にいるのも嫌で。俺は酔い醒ましもかねて外に出ていた。


 シャネルが傘をしてくれている。


「ご主人様、大丈夫?」


 そう言ってくれるシャネルは、まだメイド服を着ていた。


「ああ……まあ大丈夫さ」


 嘘だ。


 俺はショックを受けていた。


 ルオに送った救援要請。まさかそれを断れるとは思わなかったのだ。


「そう気落ちさせないで。ルオの国も革命からそう時間もたってなくて大変なのよ。いまのこの時期に対外戦争に駆り出せる兵隊なんていないのよ」


 慰めてくれるシャネルの言葉は納得できるものだったが、納得したくない自分もたしかにいた。


「俺は勘違いしていたんだろうか」


「なにを?」


「俺が思っているほど、誰も俺たちのことを助けてなんてくれないんじゃないか?」


「さあ、どうかしらね。ちょっと街にでも出ましょうか、ご主人様」


 その呼び方はなにかしらの茶目っ気のあるものだったが、俺はいまそれに笑顔で答えることはできなかった。と、いうのにシャネルは不満そうな顔をしない。むしろさらに甲斐甲斐しく、傘の角度をかえて俺が濡れないようにしてくれる。


 その気遣いにすら、いまは答えれない。


 俺はショックを受けていた。


 俺はショックを受けていた。


 俺はショックを受けていた……。


 エルグランドの屋敷から出て街へ繰り出す。こんな夜で、雨の降っていて、そうなると街に人の姿はまばらだ。それでも街行く人はいるもので。


 俺はなぜだかそういう人たちがみんな幸せな人間に見えた。


 悪い兆候ちょうこうだ。他人のことばかり羨ましく思ってしまう。


「ルオの国からドレンスへ来るのはとても大変なことよ。兵士を派遣するのだって莫大なお金、労力、それに覚悟がいることだわ」


「ああ……」


「勝てるかも分からない戦いなのだから」


「分かってるつもりさ」


 まったくもって俺がむしのいいお願いをしたことも。そしてそれを聞いてもらえると信じていたことと、それが断れたことが裏切りでもなんでもないということを。


 俺はすべて分かっていた。


 でもどこかで信じていた。ティンバイなら、そんな損得なんて全部無視して俺を助けてくれると。


 俺たちが送った二枚の手紙は無駄になった。


 1枚は俺とシャネルのもの。


 もう1枚はドレンスという国が正式に書いたもの。


 俺はドレンスが正式に書いたものに、どのような条件が書かれていたのか分からない。助けてくれ

た場合どんな見返りがあったのか。


 その見返りが小さかったのだろうか?


 いや、ティンバイはそんなことで他人を助けるかどうかを決める男ではなかった。彼は義を重んじる馬賊。すなわち義賊だったのだ。


 ならばそう、俺に義がなかった。それだけなのだ……。


 義とはなんぞ?


 正義をつらぬく。弱い人を守る。他人のために力を行使する。


 そういったお題目のような美辞麗句びじれいくこそが義である。誰もが、言うのは簡単である。自分は義士であると。しかしそれを行動で示すことは難しい。


「シンク、どこか店にでも入りましょうか」


 シャネルはメイドごっこをやめたのか、俺の名前を普通に読んでくる。


 でも服装はメイドさんのままだ。


「どっかの店って言われてもな……」


 そういえば夜ご飯はまだだった。エルグランドの屋敷にお邪魔してワインを飲んでいただけだった。とはいえ腹は減っていない。


「それかどう、連れ込み宿にでも入る?」


「バカなことばっかり言うなよ。そういう気分じゃないよ」


「でしょうね、ご主人様」


 あ、また呼び方が戻った。


 もしかしたらシャネルは俺がそういう呼び方を好きだと見抜いてやっているのだろうか? たしかに俺は自分に対して従順な子が好きだ。それはたぶん、俺が自分に自信を持っていないから。


 だから、全てを肯定されたいのだ。


 でも本当は――。


 俺だって男なんだ。格好良くしたい。


 でも情けない俺は、それができない。少し落ち込むことがあれば沈む。殻に閉じこもる。なにもかもが嫌になって、他人が羨ましく思う。


 なんて、なんて矮小な人間か。


 雨だった。


 それに隠して、俺は少しだけ泣きそうになる。


 けれど涙を出すことはこらえる。


 いまさらそんなことをしてなんになる?


 前だって泣いた。いまだって泣くのか、1人が寂しくて。誰も助けてくれなくて。


 隣にシャネルがいるのに。


 そういうことは、もうしたくない。


 俺は無理やりでも笑う。


「なあに、ティンバイだって大変だったんだろうさ。俺ちゃん友達がいないからな、よくわからないんだよ。友達と遊ぶ約束だって当日じゃなくて前もってするもんだよな?」


 あるいは断らなければいけないあっちも、胸が痛んだかもいれない。


 シャネルは俺の変化に「まぁ……」と、少しだけ驚いた顔をする。


「偉いわね、自分で立ち直ったのね、ご主人様」


「さあ、どうだろうね」


 俺は誤魔化すように笑う。


「素敵よ、ご主人様」


「なあなあ、シャネル。ご主人様じゃなくて旦那様って読んでみてくれない?」


 なんかそっちのほうがあれじゃない、地位をかさに着てエロいお願いしやすそう。


「えっ……」


 しかしそれは失敗だった。シャネルは普通に引いているようだ。


 はい、ごめんなさい。童貞調子に乗りました。


 でもまあ、なんとかある程度は立ち直れた。


 というか自然回復か?


 気持ちは少しだけ前向きになる。


「シャネル、いまのは冗談というやつだ。俺の冗談はつまらないからな、驚かせたか?」


「それにしては本気に聞こえたけどね、旦那様」


 おうっ。


 サービス精神旺盛なシャネルさん、なんだかんだで言ってくれる。


 ……やっぱり良いね。


 なんだか背中がぞくぞくする。エロいことを考えてしまいそうだ。


「ま、なんだ。とりあえずエルグランドの屋敷にもどるか。なんか買って帰って行くか。ワインか、つまみでも」


「そうしましょうか」


 雨にふられて、二人歩く。


「なんでもいいけどその服さ、これからも着替えのレパートリーにいれる?」


「さあ、どうかしら。そんなに気に入ったならそうしましょうか」


「そうしてくれ!」


 自分でも思った以上に元気な声がでた。


「その調子なら大丈夫そうね。雨の朝パリィに死す、なんてことにはならなさそうだわ」


「えっ?」


 なんでもないのよ、とシャネルは微笑む。


 つられて俺も笑った。


 笑うと前向きになった。


 それえなんとなく思う。


 ――ティンバイは来るさ。


 来るに決まっている。勘しか頼るものがない俺はそう思うのだった。


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