466 代筆屋について
さて、ではお手紙を書きましょう。
「というわけでシャネルさんや。俺のかわりに手紙を書いておくれ」
俺はこの世界の文字がまったく理解できないのでシャネルに代筆を頼むことになる。
昔、戦場からシャネルに手紙を書いたときはシャネルが奇跡的に日本語が分かるということで、日本語での手紙だった。
「いいわよ、どこに手紙を書くの?」
シャネルはベッドの上で本を読んでいた。
俺たちの借りているアパルトメント、その小さな1室。2人きりの部屋だ。
朝から読書をしているシャネルは退屈そうでありながらも、その退屈さに幸せを感じているようだった。だってときどき俺のほうを見て、嬉しそうに笑いかけてくれるのだから。
「どこにっていうか、ティンバイに」
張作良天白。
いわずとしれたルオの大馬賊、その攬把。そして俺の義兄弟でもある。
「なるほどね、この前言っていたやつだわ。シンクがあそこの国とわたりをつけるわけよね」
「そういうこと。しかし俺は手紙を書くことができない。そこでシャネル、頼めないか?」
「ええ、いいわよ。そもそもドレンスでルオの文字が理解できる人なんて少ないでしょうしね。もし代筆屋にでも頼めば、すっごい値段になるかもしれないものね」
代筆屋?
そういうのもいるのか。
そりゃあ文字を書けない、読めない人もいるわけだからな。もちろん俺のもその1人だ。そういう人間が他人に手紙を書きたいとき、代筆というかたちをとるのだろう。
「商売ってのはいろいろなところにチャンスがあるんだな」
「なんのこと?」
「いや、代筆屋なんてな。面白いと思ってさ」
少なくとも俺が元いた場所、日本ではそういう仕事はなかった。
いや、1つ思いつくぞ。小説とかのゴーストライターだ。あれも代筆みたいなもんだろ?
「私はあんまり好きじゃないわよ、ああいう仕事の人」
「そうなのか? シャネル、職業に貴賎なしって言葉があるぞ」
職業というものはそれぞれに上下の差があるわけではないので、人を差別するのは辞めましょう、というほどの意味だったとはず。
珍しく難しい言葉を使った俺に対して、シャネルは唇をとがらせた。たぶん説教臭いと思われたただろう。
「職業に貴賤はなくとも、美醜はあるはずよ」
「な、なるほど」
ちょっと意味が分からなかった。
そもそも貴賤ってどんな意味だろう。自分で使った言葉である手前、いつものようにシャネルに意味を確認することもできない。
美醜はなんとなく分かる。美しいこと、醜いこと。シャネルはそういうことに関しては人一倍うるさい。
「あの人たちはお金のために手紙を書くのよ。他人のそれをね」
「うん、まあそれが仕事だから」
「愛のために手紙を書きたい人の気持ちを踏みにじる行為だわ」
「なあシャネル、もしかして昔、代筆屋にひどいことでもされたのか?」
なんというかシャネルの言い方にはただ単純に嫌いだからというだけではなく、恨み節のような調子があったのだ。
「まあね。昔ちょっと嫌なことがあったの。だからシンクも代筆屋になんか行っちゃダメよ。私に頼んでくれればそれで良いんだから。お金の節約にもなるしね」
「いや、まあ……」
そもそもティンバイへの手紙は国家機密のたぐいだ。そんな手紙を街の代筆屋に持っていくほど、俺もバカではない。
「で、なんて書きましょうか」
「うん」
いやね、それよりも。
昔、代筆屋となにがあったのか気になるんですが。俺はそういうくだらないことが気になる性格なのだ。野次馬根性である。
「どうかした?」
ペンを用意したシャネルが、首をかしげてくる。
「あ、いや」
「手紙の最初の文章って考えちゃうわよね」
「いや、そうじゃなくてさ。代筆屋となにがあったの? そこが気になるんだけど」
俺が言うと、シャネルはそんなことが気になるの? と、少し笑った。
「べつにたいしたことじゃないわよ、面白くもないし」
「でも差し支えなければ教えてくれよ」
教えてくれないと俺、気になりすぎて今晩眠れないよ! まだ今日は朝だけどさ。
「昔ね、お兄ちゃんから手紙が来たのよ」
「ほうほう」
シャネルのいた村に、ココさんが手紙を送ったわけだな。
どうもココさんは昔からシャネルを1人置いて旅に出ていたらしい、冒険者として。ちなみに1人、というのは家族1人という意味だ。シャネルのいた村にはココさんが殺した村人が何人もいたらしい。
「でもその手紙がどうにもおかしいのよ。私のことを『私の愛おしいラ・マン』なんて書いてあったのよ?」
「どういうことだ?」
ラ・マンってのは愛人とかそういう意味だよな。
でもそれは男の人にたいして使う言葉だ。
「私もよく分からなかったの。なんだかラブレターみたいだな、ってそう思ってね」
「それでそれで?」
「けっきょく謎はお兄ちゃんが村に帰ってきたときに解けたの。どうもお兄ちゃん、そのとき少し忙しかったらしくてね。代筆屋に手紙を依頼したみたいなの」
「忙しくても手紙なんて自分で書けば良いのにな」
「筆無精な人だったのよ。さっと口頭で伝えて、ろくに確認もせずに手紙にしてもらったんでしょう。でもそれが問題だった」
「それにしても、どうして代筆の人はそんな手紙を書いたんだ? キミのことを子猫ちゃんだなんて」
まあ確かにシャネルは猫のような性質をしている。もっとも、猫というよりも豹というほうが正しいように思える。美しく、気高く、しかし恐ろしい。
「ヒミツは代筆屋が商売であるということよ」
「商売?」
「分かるかしら?」
と、シャネルは試すように俺に聞いてくる。
ここで分からないといえばシャネルに失望されるかもしれないと思い、俺は真剣に考えた。
「えーっと、商売……商売。なんだろうか」
あっちも商売だから。つまりお金が欲しい。代筆でお金を稼ぐ方法ということは……それすなわち代筆をすること。
なるほど!
「リピーターが欲しいんだな!」
「ご明察。だから代筆屋はあの手この手で手紙の返信を書かせようとするの。頼んでいるお客さんの方は文字を書くことも読むこともできないから、返ってきた手紙も代筆屋に読んでもらうことが多いの」
「うんうん、まあそうなるだろうね」
「そういう時、代筆屋はどういうことをすると思う?」
「適当に手紙の内容を改ざんする?」
「その通りよ。だからもし、手紙の内容がトンチンカンなもので返事が訳のわからないものだとしても――」
「代筆屋が勝手に話を合わせる?」
「そう。たぶん『ラ・マン』もそういう部分でしょうね。お兄ちゃん、あの通り綺麗で大人っぽい人だったでしょ? おおかた手紙の相手も若いツバメかなにかだと思ったんでしょう」
「若いツバメって?」
「年重の女性がもつ情夫のことよ。で、そうやって調子の良いことを言って返信を引き出そうとしたわけよ」
「なるほどな。代筆屋ってのはあこぎな商売だな」
「ひどいやつらよ。村で林檎が採れた、は、貴方への思いは林檎よりも真っ赤になる。最近寒いは貴方が居ないと寂しくて凍えてしまいそう、に。酷い時じゃあ、もう手紙をよこさないで、というのが、手紙じゃあ我慢できないから早く会いに来てになるのよ」
「なんだそれ」
「こんな笑い話があるわ。どちらも代筆屋をやとっていた若い男女が、お互いまったく好き合ってもないのに、代筆屋の捏造のせいで結婚するはめになった、なんてね」
「それは嫌だな。俺もティンバイと結婚なんてさせられちゃあたまらない」
「でしょう? だからシンク、手紙なら私におまかせよ」
分かったよ、と俺は手紙を書いてもらう。
しかしこの手紙というのがなかなか難しい。
いちおう正式なものだから文章が柔らかすぎてはいけない。しかし義兄弟に送る手紙だ、かたすぎるのも考えもの。
けっきょく俺たちは昼くらいまでずっと手紙を書いていた。
シャネルは何度も書き直し、何枚も紙をダメにした。けれど、おかげで良いものが書けた。
「どうかしら?」
「うん、達筆だね」
内容は読めないので、文字の綺麗さを褒める。
「ありがとう」
それにしてもルオの言葉というのは見れば見るほど日本語に似ている。というよりも漢文かな。俺はそういうのもぜんぜん分からないから読めないけど。
まあ、シャネルのことだから手紙で捏造なんてしていないだろう。
「ありがとう」
と、俺は感謝をする。
親しき仲にも礼儀あり。
シャネルはくすぐったそうに笑うのだった。




