045 観劇に感激
オペラ座に到着した。
そのゴテゴテとした装飾に俺は圧巻される。なんてすごいんだろうか、こういうのをバロック建築っていうのだろうか?
等間隔に並んだ柱に、無数の窓。屋根の上には精巧そうな天使の像が飾られている。いや、天使かは知らないけど羽があるからたぶん天使でしょう。
受け付けでシャネルが二人分のチケットを見せる。もうそのために並ぶからね。長蛇の列ってやつ。
「あの、お客様。さすがにそちらの大剣はちょっと……」
受け付けのお姉さんが言いにくそうにしている。
「あ、これですか?」
俺は背中にかついだ剣を外した。
いや、まあそりゃあそうだよね。街の中なら別にこれを持ってても不思議じゃないけど、オペラを見に来たのに剣を持ってるっておかしいよね。
「よろしければこちらで貴重品としてお預かりしますが?」
よろしければ、と言ってはいるがつまりは預けておけという事だろう。
「じゃあお願いします」
と、俺は剣を渡した。
「はい。では中へどうぞ。ごゆっくりとお楽しみください」
剣を預けて中へ。
「おおっ……これは!」
外観だけではなく、あたりまえだが中もすごい。
「聞きしに勝るとはこのことね」
シャネルも思わずうっとりと目を細めている。
壁にも天井にも装飾がたくさん。
絵だってたくさん。
しかも金細工があって、螺鈿細工があって、柱にだって彫刻が掘られているんだから。これはさすがにうるさいくらいだ。
まあパリィの人間はなにかにつけて派手が好きみたいだから、これはその最高峰というわけなのだろう。
エントランスから大階段を通って観客席へと進んでいく。
人は多いのだが、そこは紳士淑女のたまり場。満員電車のようなぎゅうぎゅう詰めではなく、どこかお互いに遠慮しているような不思議な距離感がある。
階段は白い大理石だろうか? たぶんそういう石でできている。
「すげえなあ……」と、俺はまた言ってしまう。
「ちょっと、あんまりキョロキョロしないで。お上りさんなのがバレちゃうわ」
「お、おう」
ちょっと緊張。
それにしても、と天井を見る。シャンデリアなんて初めて見た。
おっと、あぶないあぶない。こんなことしていると他の人にぶつかる。それくらい人でごった返しているのだ。
そんな人と人との間をぬうように駆けていく少女の姿がちらほらとある。
腰の引き締まった簡単なドレスに、古ぼけた赤いマントを羽織り、足にはトウシューズを履いている。踊り子というにはどうにも子供っぽいが。
「なんだ、あれ?」
「ああ、オペラ座ネズミでしょ」
シャネルがすました顔で言う。
声が聞き取りにくいので俺は顔を近づけた。
「ネズミって?」
「ネズミみたいにすばしっこくオペラ座の中を走り回ってるからそう呼ばれてるのよ、私も見るのは初めてだけどお兄ちゃんに聞いたことがあるわ」
シャネルは「お兄ちゃん」と、まったくの無意識で言ったようだ。
言ってからその親しげな呼び方に気が付いたのだろう。苦々しい顔をした。
俺はそんなシャネルを気遣って、あえて今のは聞かなかったことにした。
「ネズミねえ」
「毎日朝から晩までレッスンして大変なのよ。でも末は大女優かしら。夢のある話ね」
「シャネルもああいうのに憧れるか?」
「まさか」と、シャネルは笑う。「私は見る専門よ」
さて、そんなふうに人の流れに乗っていくと、やがて観客席へとついた。これはいわば映画館の席と同じようなもの。というか劇場の基本体系がこれなのだろう。
違うことといえば、左右の壁にボックス席と呼ばれる上等な席があることくらいだ。
あっちは普通の観客席の何倍も値段がはる。それにお金を払えばいいというものではないらしく、ある程度の信用がなければ座席のチケットすら売ってもらえないのだという。
……むう、上流階級になんだか見下されている気がするぞ。
気のせいだろうが。
俺たちは自分の座席に座る。
あまりいい席とは言えないだろう、後ろの方だしステージにたいして左によりすぎている。本当は前のほう、それも真ん中で見たかったのだが。まあ仕方ない。
「いまのうちにトイレでも行っておく?」と、シャネル。
「子供扱いしなくでくれよ」と、思わず言い返してしまう。
そういや小さい頃、映画の前によく親に同じようなことを言われた。
「まあ、途中で一度休憩があるから。いい、シンク。その時以外は席を立っちゃダメなのよ」「はいはい」
まあ、たいてい映画館と同じだ。別にそういう法律があるわけではないがそれがマナーだと。つまりはそういう事。
シャネルが横でなにやら説明してくる。
小さな声で熱心に言うのだ。
「今回の演目はね――」
はいはい、と聞き流す。
そもそもそこら辺の説明はチケットがとれた時点から、何度もシャネルにされていたのだ。いわゆる耳タコというやつ。
今回の演目、その題名は「ロディウの橋」。
500年前にこのドレンスを導いた英雄ガングーの若き活躍を劇にしたものだ。
なんでもこの演目の見どころは、これまで完全無欠の英雄としてしか描写されなかったガングーその人を、等身大の人間として表現したことにあるという。悩み、怒り、焦り、しかし最後は勇気を持って敵を打ち倒す。
そういった演出が新しいとパリっ子の間では一大ムーブメントを起こしているとかいないとか……よくシラネ。
どうやらそのガングーさんはこのドレンスではかなりの有名人だそうだが、俺は違う世界からきた人間だ。せめて織田信長とかなら分かるんだけどね。いやよく考えたら俺、織田信長の人生とかも知らなかったわ。
見たいか? 信長の映画。たぶんドレンスの人たちは中世で暇だから、娯楽が少なくてオペラをありがたがっているんだろうな。そうに違いない。
なんて思っていると、明かりが消えた。
「始まるわよ」
と、シャネルがわくわくを隠せない声で言う。
俺はシャネルの方を見つめた。
この前、勇者をぶっ殺してから手に入れたスキルがある。それは『女神の寵愛~視覚~』なのだが、これを手に入れてからというものべらぼうに目が良くなっている。
猫のように夜目だってきくのだ。
俺は暗くなって無防備になっているシャネルをまじまじと見つめた。シャネルはその豊満な胸を抱えあげるようにして腕を胸の下で組んでいる。
……エロい。
触ったら怒るだろうか、いや怒るよな。
でもくそ、シャネルの胸は暴力的に大きい。いつもこんな巨大で熟した果実のようなものを目の前に二個もぶら下げられているのだ。俺の気持ちも分かって欲しいってもんだ。
つーかもうこれシャネルが悪いだろ。
俺は悪くない、男なんだから。
こんなふうに俺を誘惑するシャネルが悪い。つまり悪い女、悪女だ!
よし、触ってやる!
そーっと手を伸ばす。
だがその瞬間、大きな拍手が鳴り響いた。シャネルもパチパチと手をたたきはじめる。
「え、なに?」
俺はいきなりの事で驚いてしまった。
「指揮者が出てきたのよ」と、シャネルが小さな声でいう。
しかし、うーん。悲しいかな、この席からは指揮者の様子が見えない。でもみんなが手を叩いているから俺も同じように手を叩いた。
そして幕があき、音楽が始まった。
そりゃあそうだ、音響機器が発達した現代日本とは違いこの異世界ではまだこういった生演奏が普通なのだろう。だからこそ俺としては見たことのないものが見られてお得な気もするが。
ちょっと感激してしまう。こういうオペラなんて初めてだからな。
そして役者が出てくる。
さすがに主人公は二枚目だった。
シャネルがうっとりと役者を見ている。
――はっ!
俺は自分で気がついてしまう。
あの役者がなんだか憎たらしい。つまりこれは嫉妬。ジェラシーだ!
でもそれも、すぐにどうでも良くなった。
ヒロイン役のお姫様が出てくる。
うーむ、かなりの美人さんだ。さすがは女優ってところ。芸能人って感じの美人だ。どんな美人だ、それ? つまりは近寄りがたい美人というかね。
「むー」
シャネルがこちらを見ている。
「な、なに」
「シンクはあの人を見ちゃダメ」
小さな声でシャネルがそう言ってくる。
「なんだよそれ」
俺も小さな声で返す。
「ダメったらダメ!」
なんでだよ。
なんて話をしていると、物語が動き出した。それでもう俺たちも話しをすることをやめる。
オペラを見ていて知ったのだが、どうやらこの頃のドレンスは他の国と戦争をしていたらしい。そういやシャネルに会ったばかりの頃に興味もない古戦場を見に行ったっけ。
あの頃からずいぶんと遠くへ来たものだなあ……。
さて、劇場の上では主人公が仲間を集めているようだ。水滸伝の梁山泊よろしく、続々と強力な仲間たちがガングーの元へ集っていく。
そして始まる戦争。
それによりガングーはお姫様の元を離れて戦地へと赴く。
そこまでを一時間半ほど、感情たっぷりの熱演で休憩時間となった。
「さて」と、シャネルは休憩と同時に立ち上がる。
「どこ行くの?」
トイレだったら悪いな、と思いながら聞いてみる。
「なにか買いに行きましょうよ、軽食でも」
そりゃあ良い、と俺も立ち上がる。
夜ご飯なんて食べていないのでなにせ腹ペコだ。
「ワインでも飲む?」
と、シャネルが聞いてくる。
「どうすっかなー」
ふと、視線を感じた。
それは俺の直感が告げたのだ。どこからかは分からない、しかしプレッシャーをかけられている。誰だ?
あたりを見回すが人が多すぎてぜんぜん分からない。
「どうしたの?」
シャネルは何も感じないのか、不思議そうな顔だ。
「いや、なんでもない」
気のせいだろうか?
いや、そうではないはずだ。なにせ今日だけで二度目。これは確実に誰かに見られている。
その誰かが分からないのだが。
俺は用心のために自分の剣を確認する――。
あっ。そうだった、ここに入る時に預けてきたんだった。
剣がないだけで不安だ……。
ま、シャネルがいるし襲われてもなんとかなるだろう。それに俺には『武芸百般EX』のスキルがあるのだ。そんじょそこらの相手なんて敵じゃない。
大丈夫と自分に言い聞かせる。
なんせ俺はあの月元――勇者だって倒したのだから。
そう、俺は強いのだ。
大丈夫、大丈夫。




