451 ガングー13世の帰還
背中にべっとりとした感触がある。厚手のコートすらも、ガングー13世の体についた水は通過してくる。嫌だな、と思うけど一度背負った人間を捨てるように下ろすことはできない。
ガングー13世は俺の背中でまったく動かない。
最初こそ肩をかしてなんとか歩いていたのだが、宮殿が近づくにつれてガングー13世の足が止まった。それでしょうがなくおんぶしてやったのだ。
けれどガングー13世は俺の背中でまったく動かに。まるで濡れた土のうのように重たい。
「その人、死んでるんじゃない?」
と、シャネルが縁起でもないことを言う。
「バカ言うなよ。ガングーさん、もうちょっとで宮殿だぞ」
「……はい」
良かった、返事してくれた。
でも本当に大丈夫だろうか。生気がないとはこのことを言うのだろう。
俺はてきとうに喋りかけてみるが、ガングー13世はほとんど返事をしてくれない。
「情けないわね」
と、シャネルはバカにするように言う。
けれど俺はガングー13世のことを笑えなかった。
俺はこの人の気持ちが分かる。人に期待されるのは嬉しいことかもしれないが、同時にプレッシャーにもなるのだ。俺はいままで何度も誰かのためにと思って戦ってきた。けれどそのたび、逃げ出したくなるほどに嫌だったのだ。
それでも力を持った人間の宿命というものがある。
戦うしかなければ、戦わなければいけない。
ガングー13世だってそうなのだ。
この人はこの国にトップだ。ならばこの人がやらねば誰がやるというのだ。戦争をする、しないはどうでもいい。だがどちらの道を行くにしても、みんなの前を歩いていく先頭は必要だ。
森をぬけると、すぐに宮殿が見えてきた。
「降ります」と、ガングー13世は俺の耳元で言う。
「俺ちゃん、そういう強がり好きよ」
ガングー13世を降ろしてやる。
「ふふん」と、シャネルは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「膝が震えてるのは雨で濡れたせいにしたほうがいいな」
「……そうだね。シンクくん、ありがとう」
俺は首を横にふる。
「感謝されることじゃないですよ。それよりもこれからでしょう」
宮殿の前にはいつも門を守る衛兵がいる。その数は日によって違うのだが、今日は4人もいた。たぶん門の奥にまだ控えているだろ。
いつもは門を開けてもらうときになんだかんだと確認をされるのだが、今日はガングー13世がいるので違う。
「陛下!」
と、衛兵の1人が駆け寄ってきた。
「陛下はやめたまえ。私はあくまで執政官だよ」
「はっ、失礼しました陛下!」
ガングー13世はにこやかに笑う。完璧な営業スマイル。
とはいえ体は雨ですごいことになっている。衛兵の方もそれが気になったようだ。
「おおい、誰か! 陛下のためにタオルを!」
すぐさま奥から衛兵がきて、ガングー13世にタオルを手渡す。
「ありがとう」
感謝の言葉をもらった衛兵はいまにも嬉しさに失神しそうなくらいだ。
なんだかんだでガングー13世は人気があるのだな。本物のガングーには遠く及ばないにしても、ある程度のカリスマ性はあるのだろう。それとも、それも初代ガングーのネームバリューのおかげか。
「陛下、どこへ行かれていたのですか」
「ちょっとそこまでさ。開けたまえ」
まったく、俺とシャネルなど見えていないかのように衛兵たちはガングーの言う通りに門を開ける。俺たちが誰かなどまったく気にしていないようだ。
とはいえすんなり中に入れたのは良い事だ。
宮殿の前にある庭を横目に歩く。先程の大雨でも、咲いている花たちは元気そうだ。それどころか恵みの雨をもらって、いきいきとしているように見える。
雨だって悪いことばかりじゃない。
しかし俺たちの前を歩くガングー13世の背中は、丸まって、なんだか小さく見えた。本当は小太りの男だというのに……。
「もう少し背筋を伸ばしたら? かりにもガングーの子孫を名乗っている男が」
「分かっています……」
周りに人がいないとこれだ。
「ガングーさん、肩をかそうか」
「いえ、大丈夫です。ただ、ありがとうございます」
誰かに見られることを心配しているのだろうか。
宮殿の中に入り、まっすぐに執務室へと向かう。俺たちはべつについてこいとも言われていないが、宮殿の中で勝手な行動をするのもどうかと思ってガングー13世の後を歩く。
「それにしてもユニコーン見つからなかったわね、シンク」
「それ、本気で探してたの?」
シャネルは当たり前じゃない、と頷く。
しょうじきどこまでが本気でどこまでが冗談なのか分からない女の子だ。それがシャネルの魅力――ミステリアスさであると、良いとらえかたをすることもできる。
ふと、シャネルが足を止めた。
「ちょっと待って」
「どうした?」
ガングー13世も足を止めて、振り返る。
「なにかありましたか」
「よくよく考えてみれば私、なんて格好で宮殿にいるのよ。嫌よ私、こんな格好」
言われてみればそうである。
シャネルは今日、雨の中でユニコーンを探そうといつものようなゴシック・アンド・ロリータの風味の服を着ていなかったのだ。
俺、ああいういかにもサブカル系な服装な少し苦手だから、今日の町娘みたいな格好も好きなんだけど。本人は嫌みたいだ。
「私、いったん帰るわ。シンクは楽しんでて」
「いや、楽しんでてって……」
あんまり1人にされても困るんですけど。
「ここからならフミナちゃんのいる屋敷の方が近いわね。ちょっと着替えてくるから」
フミナのいる屋敷って、それつまりエルグランドの屋敷のことだよな。
えっ、シャネルったら人様の家に着替えの服を置いてるのかよ!
よくよく考えてみれば俺がいない間、エルグランドの屋敷に引きこもってたんだもんな。着替えくらいは用意されてるか。
なんていうか……なんでもありだな。
「とりあえず俺も連れていってくれ」
べつにガングー13世と2人きりなのが嫌なのではない。あまり知らない人と一緒なのが嫌なのだ。つまるところ俺はコミュ障。
「シンクは宮殿にいなさいな。よく考えたら貴方にこんな格好を見せてるのも恥ずかしいし」
いや……俺はいまの質素な格好も可愛いと思うのだけど……。
シャネルは小さく手を振ったかと思うと足早に去っていく。それを追いかけるのもなんだか情けなく思えたので、俺はその場に立ち尽くす。
「な、なんなんでしょうか」
ガングー13世はわけがわからないと首をかしげた。
「ああいう子なんですよ、シャネルは」
「聞いた話では初代ガングーもお洒落には気を使っていたらしいからね」
「ガングーさん――」と、言ったら誰が誰か分からない。「――あんたも?」
そうとうに砕けた『あんた』という呼び方が、国を動かす執政官に対して失礼なものであることは理解している。しかしガングー13世は笑って受け入れてくれた。
「私は、あまり。貧乏な出ですのでね」
「そうへりくだることもないでしょう。いちおう貴族なんでしょう?」
「弱小で、しかも妾腹ですがね」
言ってから、ガングー13世はあたりをキョロキョロと見る。誰か聞き耳をたてていないかと心配しているようだ。
「誰も聞いてちゃいませんよ」と、俺はガングー13世を安心させるように言う。
誰も聞いていないことに対する根拠はないが、なんとなく勘でそう思った。俺の勘はよくあたるのだ。
「なら良いんだけどね。ついて来たまえ。そうだシンクくん、キミも着替えるかい?」
「俺はいいですよ。それよりあんた、風呂は?」
「入る時間、あるでしょうか。それとも一緒に入ります?」
ゾッとした。
たぶん本気じゃない。とはいえ、すさまじく面白くない冗談だ。
「あはは……」と、愛想笑い。
本人も冗談のつまらなさを理解したのか嫌そうな顔をした。
「すいません。エルグランドにも言われているんだよ、あまりにつまらないんで下手なことを言うな、とね」
「賢明だと思いますよ」
ふと、声がした。
どうやらそれは執務室の方かららしい。
「まだ見つからないのですかっ!」
エルグランドの声だ。
けどガングー13世は聞こえていないようだ。俺の耳が良いから、聞こえているだけなのだろう。
「なんかエルグランドのやつ、荒れてるな」
「エルグランド?」
「執務室で騒いでるぞ」
ガングー13世は首をすくめた。それはまるでいまから親に叱られる子供のようで……。
なんだか妙な親しみすら感じてしまうのだった。




