450 ガングーの子孫たち
雨はいぜんとして降り続けていた。
ガングー13世は傘も持たずに森の中にいた。
すでにビチョ濡れだ。
前髪がワカメのようにしなって、ガングー13世のおでこに張り付いていた。それを鬱陶しそうに横に撫で付け、深呼吸をする。
「その杖を、降ろして、くれないかい」
子供に言い聞かせるように、ガングー13世はゆっくりと言葉をくぎった。
シャネルははっきりと聞こえただろうに、無視した。
沈黙。
雨の音だけが森の中で響いている。
ガングー13世が一歩、後ろに下がろうとした。
「動かないでっ!」
シャネルの刺すような声。
それでガングー13世は慌てて動きを止める。
「な、なぜ杖を向けるんだい。私を殺す気かい?」
「さあ、どうかしら」
隣にいる俺も、シャネルがどういうつもりで杖など出したのか分からなかった。まさか本当に殺すつもりだろうか? なんのために?
「シャネル、落ち着け。たのむから」
いちおうガングー13世っていったらドレンスで一番偉い人なんだろう。こんなところでそんな偉い人を殺せば、俺たちは本当にお尋ね者だ。
さすがのシャネルでもそんなことはやらないだろう。
だけどやりかねない。だから怖い。
「ガングー13世。私は貴方に聞いておかなければならないことがあるの」
「それは、いまじゃなくちゃ、いけないことかい?」
「ええ、そうよ。貴方のとなりに誰もいない。貴方が1人きりのときにしか聞けないことよ」
「え、なにシャネル。前から聞いてみたいことなんてあったの?」
なんだろうか、シャネルがガングー13世に聞きたかったこと……。
いや、それよりもいまはガングー13世が可哀想なのだが。だって傘持ってないよ? 雨にずっと濡れてるよ。風邪とかひかないだろうか。
とはいえ最初から傘を持たずに森に入ってきたのだ。濡れることはもとより承知の上かもしれない。
「良いですよ、とりあえず言ってみてください」
「ええ、じゃあ質問するわ。貴方、ガングーの子孫だというけれど、嘘おっしゃい」
「嘘とは失敬な」
「このペテン師が。べつに貴方がガングーの威光でどれだけ自分を大きく見せて、夢のような地位をえようとそんなのは自由よ。けれどね、この私、シャネル・カブリオレの前でまでガングーの子孫を語ったこと、それだけは許せないわ」
「いったいぜんたい、なにを言っているんだい?」
「察しの悪い人。貴方はそうやって、私を、そしてお兄ちゃんを、ひいてはこれまで連綿と受け継がれてきたガングー・カブリオレの血をコケにしてきたのよ!」
まずい、と思った。
「シャネル!」
俺はシャネルの杖をひったくる。
抵抗されるかと思ったが、シャネルは意外なほど素直に杖を手放した。
「べつに殺すつもりなんてないわよ。どうせ私こそがガングー正当な子孫だって言っても、誰も信じてくれないわ」
「そ、そうか」
良かった、シャネルはまだ冷静だった。
「正当な子孫? 貴方がですか、シャネル・カブリオレさん」
「ええ、そうよ」
ガングー13世はこんな与太話を信じるわけがない。
俺だって、あるいは金山がシャネルのことをガングーの子孫であると断定したから信じているだけだ。それだってもしかしたら金山の勘違いという可能性だってある。
もっとも、その可能性は低いだろうが。
だが、ガングー13世は思案するようにうつむいた。
「ガングーの……正当な子孫……」
「いや、ガングーさん。そんな深刻にならなくても。っていうか寒くないですか?」
俺だって葉っぱの傘をもってるだけで雨がけっこうあたってる。その程度でも寒く感じるのに、ガングー13世は傘をもっていないのだ。
本気で心配になってきた。
「どうせこの雨はすぐにやみます」
と、言う。
「えっ?」
まさかその言葉を合図にしたわけではないだろうが、雨の勢いは急速に弱くなった。
そしてそのまま、雨はやんだ。ガングー13世の言った通りだった。
「やんだでしょう?」
ガングー13世は風呂上がりのブルドックのように、ぶんぶんと体を震わせて体の水滴を払う。それでも服まで濡れきっていて、間違いなく着替えが必要だ。
「よく分かりましたね」と、俺。
「私のたった1つの特技です。『天気予報』のスキル。バカバカしいでしょう? 私はそんなスキルしかもっていません」
まるでそれは罪の告白のように、沈鬱な口調で告げられた。
俺はそれで察する。
図星なのだ。シャネルの指摘は。やはりこの人は……ガングーの子孫ではないのだ。
そしてそれを、本人も知っている。
「カブリオレの名を持つ人間は、ドレンスに多くいます。そしてその名を持つ者は得てして自らがあのガングーの子孫であるという妄想にとらわれるものです」
「それが貴方よ」
シャネルは言い切る。
「私は地方の三流貴族の長男です。しかし私の母はどこぞの誰ともしれません、父が妾に産ませた私生児でした。なにも持たぬものは、夢を見るしかなかった……」
「ガングーさん、あんた――」
そんな大事な話を俺たちにしてもいいのだろうか?
「私にはなにもなかった。ただ母の名がカブリオレであった、それだけが最後の希望でした」
間違いない。この人はやはり、ガングーの子孫ではないのだ。
「貴方は嘘つきよ」
「しかし民は私を受け入れた。青写真を描いたのはエルグランドです。私はそれに乗っただけです。しかし、これまで上手くやった自信はあるんですよ?」
「エルグランドかよ……」
あの野郎、出世のためならなんでもするんだな。
それとも、このガングー13世を利用したのではなく、本当にただの友達としてサクセスストーリーを歩んできただけなのだろうか? そちらが正しい気がする。
「ただ、もう無理です。私はもう、これ以上重荷を背負うことはできません……」
そう言うと、ガングーはその場に泣き崩れた。
感情の決壊だ。緊張の糸が切れたのだろう。きっとこの人は、いままでギリギリの瀬戸際でガングー13世という立場を演じていたんだ。
気が付かなかった……。
けれど、いつも自信のなさそうな態度をしていたような気はする。
「ガングーさん、服が汚れますよ」
大の男が泣いている姿というのはいたたまれない。
俺は思わずガングー13世に肩をかしてやった。
「宮殿に戻らねばなりません……」
「そりゃそうですよ、寒いでしょう? 風呂にでも入って温まらなくちゃ」
「会議があるのです。これからの戦争をさゆうする大事な会議が……」
なんで会議の前に森の中にいるんだろうか。そんなの決まってる。
「それが怖くてこんな森まで逃げてきたのね」
「シャネル、そういう言い方よくないぞ」
「ごめんなさい、シンク」
ただ、そういうことだろうな。
「とにかく宮殿に戻ろう」
話はそれからだ。
こんな場所にいたら本当に風邪になる。それで重症化すれば、それこそこの国は屋台骨を失うことになるのだ。それだけは避けなければいけない。
俺たちは来た道を引き換えすのだった。
ガングー13世は俺に肩をかりて、しくしくと泣いている。
やれやれ、なんとか慰めてやるべきだろうか?




