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431 打鐘と敵と


 それに最初気づいたのは、アメリア海軍の兵士だった。


 けたたましい打鐘だしょうの音がして、なんだなんだと思っているうちにリーザーさんが走ってきた。


「ああ、榎本さん! ミラノ嬢はここにいましたか!」


 どうやらミラノちゃんを探しに来たみたい。


「なんですか、この鐘の音は?」


 すごい音だ。たぶん町中に響いているだろう。


 近所迷惑ってご存知?


「敵襲です! ミラノ嬢、船にお戻りください。みな心配しております」


「は、はい!」


 なるほど、敵か。これでさっきからの嫌な予感の理由が分かった。


「それで、敵ってどこから?」


「町の外です。海からではないのは幸いでした」


 おそらく海からの敵、つまりグリース海軍が相手ならば勝ち目はまったくないと思っての発言だろう。リーザーさんはリーザーさんで、ここに来るまでたくさん苦労したらしい。


 ある意味、敵の海軍がトラウマなのだろう。


「町の外から、か。よしっ! ルークス、デイズくん。俺はエルグランドのところに行く。2人はフェルメーラを呼んできてくれ」


 あいつのことだ、きっとまだ部屋で寝ているだろう。昨日も夜中まで飲んでたからな。


 俺も飲んだけど、そこそこで撤収した。だから今日は朝から元気なのだ。


「さ、さすが隊長。いきなりの敵襲なのにぜんぜん動揺してないよ」


「そうだな。俺なんて慌てちまってるよ。この状況で指示までとばしてさすがだぜ」


「お前ら、無駄口たたいてないでさっさと行く。フェルメーラが寝てても叩き起こせよ、無理やりでもなんでもな!」


「「分かりました!」」


 2人の声がそろって、そのままでこぼこコンビが走っていく。


「よし。リーザーさん、どうするつもりです? 戦いますか、それとも逃げますか」


「それは……」


「判断がつかない、と」


 俺はすぐさま察した。


 実際にこの状況で、リーザーさんが自己の判断だけでなにかを決めることはできないはずだ。もしもここで逃げる、となればそれは俺たちドレンス軍を見捨てていくことになるのだから。


「申し訳ありません。しょうじきどうすればいいのかこちらも決めかねております」


「ならリーザーさんも俺と一緒にエルグランドのところへ」


 もしかしたらそれはまたエルグランドのプレッシャーになるかもしれないが、いまはそんなことを言っている場合じゃない。


「シンクさん……」


 ミラノちゃんが心配そうに俺を見てくる。戦うんですか? と、目が言っている。危険なことはしないでください、と。


「大丈夫さ、勝つから」


 勝つから、という言葉にはなんの意味もない。


 根拠もないし。


 なんなら自分でも信じきれていない。


 それでも、嘘をついてでも、ミラノちゃんを安心させてやらなければならないと俺は思った。


「おい、お前。本気で気をつけろよ」


 ローマが横から口をはさむ。


「分かってる」


「言いたくないが確実に弱くなってるぞ。それはお前だって知ってるんだろう?」


「ああ」


 分かってるんなら良いんだ、とローマは頷いて。そしてミラノちゃんの手を引いて走り出した。


 そして残ったのは俺とリーザーさん。


「行きましょう」と、俺。


 いつの間にか鐘の音は聞こえなくなっていた。


 さすがに鳴らすのを辞めたのだろう。


「時間がありません」と、リーザーさんは俺の後ろを走りながら言う。


「敵はどれくらいの場所に?」


「まだそう近くには。おそらくは30分以上かかるでしょう。ただ、こちらが何か行動を起こすにはどれだけ時間があっても足りません」


「でしょうね」


 30分ではそれこそ軍人たちを集めて、並べるくらいしかできないのではないだろうか。


 ポラン・クールの町にバラバラに待機している軍人たち。固まって寝泊まりできる場所がなかったため仕方のない処置だったが、まさかこんな落とし穴があるとは。


 ええい、いまさら文句を言ってもしかたがない。


 俺は走りながら、軍服を着ている男を見かけるたびに声をかける。


「ついてこい!」


 良かったことに、この町にいるグリース軍はエルグランド旗下の正規軍ばかりだ。すでに現在が非常時であると理解しているようだ。


 そして、エルグランドの泊まっている宿の前にも、エルグランドの部下たちは大量に集まっていた。


「さすがだな。これなら思ったよりも早くこっちも動けるかもしれない」


「ですね。ガングーが作り出したとまで言われるドレンス大陸軍。このような平和な時代でも、練度は抜群ですな」


 平和な時代、というのがなにかの冗談かと思って俺は笑った。


 すでにこの異世界は平和などではないのだから。


「榎本部隊長!」


 エルグランドの副官が声をかけてくる。


 名前も覚えていない男だ。まあ、俺にフェルメーラがいるようにエルグランドにも副官がいるということ。目立つ男ではないが。


「リーザーさんを連れてきた。エルグランドは?」


「閣下なら中です」


 閣下、というのはエルグランドのことだ。


 あいつもいちおう、そういうふうに呼ばれるくらい偉い人間なのだ。軍人として階級があるのかは知らないが。


「入るぞ!」


「ダ、ダメです! 閣下は誰も入るなと――」


「そういう場合じゃないでしょうが!」


 押しのけて俺は宿へと入る。すぐにエルグランドの部屋へ。


 扉を開けた。


 すると、エルグランドはちょうど服の首襟のボタンを締めているところだった。


「エノモト・シンク、どうしました」


「エ、エルグランド? 大丈夫なのかよ?」


「大丈夫? なにがですか」


「あ、いや」


 まさかもう準備を終えているとは思わなかった。てっきりまた鬱々として、ただ座っているだけの死体みたいな状態かと思っていたのだが。


「エルグランド氏、よろしいですか?」


「どうしました、リーザー殿。なにか外が騒がしいようですが」


「自分たちアメリア海軍は地平線の向こうに敵影を見ました。おそらくこらから30分以内にこの町へと来るでしょう。現在敵の目的は不明、戦力はそう多くないように見えますが魔族相手に数はあまり関係ないでしょう」


「言われなくても分かっております。私の中では魔族1人に対して、我々10人ほどの戦力と理解しております」


「そうですか。それで自分たちとしては即時撤退を提案します」


「ふむ……敵ですか。そうしましょう」


 決断は早かった。


 だが、それは決断というにはあまりにも投げやりの言葉に思えた。まるでそう、どうでもいいと言うように……エルグランドは吐き捨てたのだ。


「良いのかよ」と、俺は思わず言ってしまう。


「なにがですか?」


「エルグランド。あんた、ここで逃げたらもう立ち直れないかも知れないぞ」


「勝手に言っていなさい」


「エルグランド!」


 俺はやつの襟首を掴んだ。


「……やめなさい」


 エルグランドは冷静に言う。


 杖でも抜いて、反撃する姿勢を見せるならまだマシだったろうに。


「お前、昔俺に負け犬だって言ってよな! あのときのお前はどこへ行ったんだよ! いまのお前だって負け犬じゃないか!」


「……いまは負けても、いつか勝ちます」


「嘘だね。お前はそんなふうに思っていない」金山に負けたときの俺とは違う。「お前はとにかくいま、ここから逃げ出したいそういう気持ちだけを持ってるんだ!」


 俺にはよく分かる。


 だって俺もそうだったから。


「知ったような口を」


「知ってるんだよ!」


「榎本さん、時間がありません」


 リーザーさんが割って入る。


 俺はエルグランドの襟首から手を離した。


 エルグランドは首元を直す。なんともなさそうな顔をしている。本当にもうなんでもよさそうだ。


 腹がたったのでエルグランドを無視するように外に出た。


 立ち並ぶ兵隊たち。なんだか入るときよりも人数が増えたように見える。


「榎本部隊長、閣下はなんと?」


「逃げるとさ。お前らもその準備しておけよ」


 ふと、俺の上に影がおちた。


 なんだ、と空を見上げる。


 そこには巨大な鳥がいた。


「と、り?」


 なんだろうか、モンスターだろうか。


 そう思っていると、その鳥がいきなり人語を話しはじめた。


「ドレンス軍に告ぐ! その場所から一歩も動くなよ! もしもなにかしようとするならば、魔王軍四天王が1人、このエディンバラが直々に手を下してやる! ぎゃははは!」


 鳥が、下品な笑い声をあげた。


 その声を俺は何度か聞いたことがあった。


 ある意味では因縁の相手だ。


「相手はあのエディンバラ……か」


 勝てるだろうか? 体が震えだす。それを武者震いであるとは、口が裂けても言えなかった。



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