426 ローマ再登場と、辛気臭いのはこれで終わり
放心状態のエルグランドをやつが泊まっている宿(俺たちの宿とは違う)に押し込んで、俺はフェルメーラに対応をバトンタッチすることに。
フェルメーラはちょうど酒場の前でルークスと一緒に今日の釣果を確認しており、どうやらまだアルコールは飲んでいないらしかった。よかった。
「とりあえず港にまた戻ってくれ。それでとにかく上手い具合に調整しておいてくれ」
「そりゃあ良いけどね、シンクくん。エルグランドのやつは?」
「ダメそう。リタイアに近い感じ」
「心が折れちゃったかい?」
「わかんないよ」
まだ大丈夫だと、そう思いたいのだが。
「とりあえずは了解だよ。ただこういう場合はこっち――こっちってつまり軍の方だけど。軍でやるより町ぐるみでやるべきだね。町長さんとこに行こうか」
「あ、じゃあ俺が案内しますよ」
「レオンくんだったね。ありがとう」
ふむ、と俺は感心する。
やっぱりアルコールを飲んでいないときのフェルメーラは頼りになる。まあ酔っ払っていても適当になるだけなので、頼りになるといえば頼りになるのだが。
でもシラフなら顔がキリッとしてるし。なにより軍服もあいまって堂々たる将官の姿に見えた。
「シンク隊長、やっぱりあれ。やばい感じか?」
よく分からないグロテスクな魚の尻尾を持って、ピラピラとふっていた。
「やばいって、エルグランドが?」
「いんや、あの船の方」
「……まあ、そうだろうね」
「ルークス、調理用のナイフ持ってきたよ。あっちでさばこう」
デイズくんが手に小さなナイフを持ってやってくる。
「なに、魚をさばくの?」
こんな状況なのにノンキなもんだ。
ああ、でもこの異世界じゃ冷蔵庫もなくてろくに保存もできないからな、さっさと調理するしかないのか。
「デイズは料理が上手なんだぜ。シンク隊長にもあとで分けてやるよ」
「そりゃあどうも」
なんだかなあ。
港の方ではたぶん大騒ぎだろうに、町にいる兵隊たちはいまだ状況を分かっていないようだ。
それもいまだけのことだろうが。
2人は裏の井戸の方へと行く。俺はついていこうかと思ったが、やめた。
港の方へ様子を見に行こうかとも思ったが、それもやめた。
それでなにをしようか、なにをすることもなくて……。
「そういえばミラノちゃん、アイドルって言ってたなぁ」
なんだろうか。
アイドルって、あのアイドル?
たしかにフリフリの服を着てたしな。なんだろうか、よく分からないけど。
ミラノちゃんがいるのなら、あいつもいるのかな?
ローマだ。
俺のことを1度は殺そうとした相手だが、まあそのあとなんだかんだで一緒にいろいろやった。ミラノちゃんと一緒にアメリアに向かったはずなのだが――。
「まあ、考えてもしょうがないことか」
俺はため息をつく。
あの様子だと、たしかにエルグランドの予定していたテルロンへの再侵攻は無理だろう。それならそれで良いのだが。逃げる決心もつくだろう。
――逃げる?
嫌な感じがした。
逃げるってのは、あまり好きなことじゃない。
そりゃあ人間、逃げなくちゃいけないことだってある。死ぬくらいなら逃げる方がマシだろうさ。でも、なにもしないで逃げるというのは……やっぱり自分に嘘をつくことで。それはつまり、俺があっちの世界で引きこもりになったことと同じだ。
ああ、そうか。エルグランドはいま当時の俺と同じなのか。
なにもかもが上手く行かないで、どうしようもなくて、にっちもさっちもいかなくて。
逃げたくて逃げたくて仕方ないんだろうな。
「くそっ!」
そんなふうに思ったら、なんだかエルグランドが可哀想になってきた。
それは同情だ。
でもエルグランドのやつはきっとそういうのを求めていないんだろうな。あいつはプライドの高いやつだ。そういう意味では俺よりも強い人間さ。
きっとあいつは立ち直ってくれる。
気分が悪いので部屋に戻ることはしない。俺は1人でポラン・クールの町を歩くことにした。
こうして見ればこの町はなにもない町だ、港町ということで少々の貿易もあるようだが、基本的には近くのテルロンやリーヨンとの仲介地点のようなものなのだろう。
この場所なら、たぶんグリース軍も狙うことはない気がする。
気がするだけだが……。
ふと、町の一角に石造りのベンチがあった。なんでこんな場所にベンチがあるのかはまったく分からない。べつに公園でもなければ、街路樹なんかが近くにあるわけでもない。
ただポツンと、1人ぼっちで寂しがるようにベンチが置かれていた。
俺はいざなわれるようにそこに座る。
「なかなかの座り心地」
つまらない独り言。
軍服のポケットからシャネルの手紙を取り出して、何度目になったかも分からないが読み返す。
シャネルはいま、いったいどうしているのだろうか。そればかりが気になった。
まるで袋小路に入り込んでしまったようだ。
出口のない迷路、なんて月なみな比喩があるけれどまさしくそれに思えた。
どれくらいの間、俺はそのベンチに座っていただろうか。何度も何度もシャネルからの手紙を読み返していた。
だがそれもお終いだ。
獣が歩くような静かな足音がして、誰かが俺の後ろに立った。
「気配を隠して近づくってのは、いい趣味じゃないな」
と、俺は背後の人間に言う。
「なんだ、気づいてたのか」
「まあね」
「せっかく驚かせてやろうかと思ったのに」
俺はやれやれと後ろを振り向いた。
そこにいた女は特徴的なケモミミをぴょこぴょこと動かしながら、ニヤリと笑って鋭い犬歯を俺に見せている。
久しぶりだな、と俺は笑った。
その女――ローマは俺の隣に腰を下ろす。このベンチは2人がけだ。
「やっぱりお前も来てたのか」
「そりゃあね。ミラノとはもう会ったんだろう?」
「ああ」
「ミラノがいるところには、この僕もいるさ。なにせ僕はミラノの付き人だからね」
そう言ってあっはっはと笑うローマ。
久しぶりに会ったけれど、ぜんぜん変わっていなさそうだ。それがなんだか嬉しい。
俺の様子を見て、ローマはきょとんと首を傾げた。
「どうしたよ、なんだか辛気臭そうじゃないか」
「ほっとけよ。もともとだ」
「そうかい? お前、なんか気苦労でもあるんじゃないか? 僕の記憶の中のお前はもっとチャランポランの能天気野郎だったけど」
「バカにしてんのかよ?」
「いや、褒めてるつもりさ」
どこが?
でもミラノの言うこともその通りに思えた。
俺はいままでの旅でいろいろなものを見て、そして考えて、手に入れて、あるいは失ってきたのだ。昨日の俺と今日の俺は同じ俺だが、1年前の俺は今日の俺とは少しだけ違うかもしれない。
それが変化というもの。成長かは……分からないが。
「ほら、また!」
「え?」
ローマが叫ぶから、驚く俺。
「いちいちお前、暗いぞ!」
「そ、そうか?」
「そうだよ! お前はそんなやつじゃなかったはずだ! ほら、わっはっはって笑ってみろ!」
「笑えって言われてもなぁ……」
笑えねえんだよな、この状況。にっちもさっちもいってないんだからさ。
自分でも悪い癖だと思うよ。切羽詰まってきたらすぐに笑えなくなるの。落ち込んで、ドツボにはまっていくの。でもいまは――それを慰めてくれるシャネルがいないのだ。
ああ、そうか。
だから俺はこんなに落ち込んでいたのか。
「そういえばお前、あのシャネルさんは?」
「パリィだよ。戦争なんだ、シャネルがついてきてるわけないだろ」
「そうなのか? アメリアだと戦争でも賑やかしの女の子を連れてくるぞ。その方が士気が上がるんだとさ。わっはっは」
「それってまさか、ローマ。お前か?」
俺は察していながら聞く。
「もちろん! と、言いたいところが残念違う。ミラノだよ」
「だろうな。お前じゃ誰も士気を上げねえよ」
「おいおい、酷い言いようじゃない! 僕だってこれでも頑張ってるんだぞ!」
ローマはわざとらしく怒って、俺の肩を小突いた。
それで俺もわざとらしく笑う。
でもそれは本気で笑ったわけで――。
一度笑顔がこぼれると、そのまま俺は腹を抱えて笑うことができた。
なんだか久しぶりに笑えた気がした。
「あっはっは! お前がアイドルか! 想像したらそれだけでおかしいぜ!」
「なにぃ! 僕だってバカにしたもんじゃないぞ! そりゃあミラノみたいに胸はないけどさ、これでも一部では人気なんだから!」
「それってロリコン相手か?」
「失礼な!」
とうとうローマがナイフを抜いたので、俺は笑いながら「ごめんごめん」と謝った。
それで許してくれたかはしらないが、とりあえず武器はしまってくれた。
「ふんっ。お前は本当に失礼な男だ」
「気をつけるよ」
なんだか一度笑うと、それで気分が良くなった。いままで胃の中に石でも入ってたんじゃないかってくらい気が重かったが、それが解消された。
笑うってのは大事なことだ。
「教えてやるかね、エルグランドにも」
俺はよっこらせ、と立ち上がる。
「ん? どっか行くのか? 僕もついていくぞ」
「ああ、良いけど外で待っててくれよ。引きこもりしてるうちの大将を励ましに行くんだから」
プライドの高い男だ、女の子にはそういうところを見られたくないだろう。
「ん?」
ローマはよく分かっていないようだが、まあいい。
俺は笑いながら歩きはじめた。辛気臭いのはこれで終わりだ。
『ローマ』
第二章のヒロイン。サーカスと呼ばれる集団に所属していた暗殺者。ミラノとは幼馴染の関係で、彼女を助けるために暗殺対象だったシンクに助けを求めた。半人でいかにもなケモミミが特徴。
自分のことを『僕』と言う。シンクからは女の子というよりも友達として見られていた。




