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394 テルロンが狙われた理由


 馬車に乗り込むと、エルグランドは深いため息を付いた。


「まさかまた宮殿に行くことになるとは……」


「管理職はつらいねえ」


 俺は分かったようなことを言ってケラケラと笑う。ブランデーの瓶を持ってきていた。そこからラッパ飲みする。


「自由な人だ」


「おたくも飲むかい?」


「遠慮しておきますよ。ぜんぜん酔いが覚めていません」


「そうかい」


「貴方は酷い飲み方をする。まるであの男と同じだ」


「誰のことを言ってるのか知らないけどさ――」俺はブランデーの瓶の底を覗き込む。「俺は俺さ。オリジナルの人間だ」


 瓶の底はエメラルドみたいな緑色をしていた。


 馬車が走り出した。


 パリィの街は夜といえど人の行き交いは多い。とはいえ、こんな時間に歩いているのはまともじゃない人たち。


 たとえば泥棒や、あばずれ女か、酔っぱらい。


 そこらへんのビストロと呼ばれるレストランと居酒屋の間の子みたいな店はまだまだ繁盛中。呑兵衛には宵の口の時間かもしれない。


 そんな店には悪い奴らが集まっていくのだろう。冒険者だって悪い奴らのカテゴリーだろうけど。


「それにしても、テルロンですか……」


「テルロン、どっかで聞いたんだよな……有名な場所?」


「ドレンス南東部に位置する港町です。ドレンス海軍の基地があり、工業的にも栄えている街ですよ。外国との貿易も盛んです」


「おいおい、それだけ聞いたら重要拠点に聞こえるけど?」


「実際に大事な拠点ですよ。しかしまさか、あそこがとられるとは……ありえません」


「ありえないって、実際に陥落してんだろ」


「なにかの間違いでしょう」


 俺はため息をつく。その息は酒臭い。酔っているのだ。


 だとしても、いま目の前にいる男よりまともな思考をしていると思った。


「なあ、エルグランドよぉ。最悪の事態を考えようぜ。テルロンってところは陥落してるんだ。そこから目をそらしちゃダメだろ」


「しかしですね、グリース軍がわざわざテルロンを狙う目的が分かりません。狙うならば北西沿岸部のノルマルディが妥当でしょう。ですから私は兵をブルタニャに配置したのです」


 俺は地理についてはよく分からない。しかし分かったことがある。


「つまり当てが外れたと?」


 エルグランドは悔しそうに唇を噛んだ。


「そんな、テルロンを占領する意味などないはずです。あそこは――すいません、少し考えます。静かにしていてもらえるますか」


「はいはい」


 ようするに俺がうるさいと、そう言うわけね。


 まったくエルグランドのやつ、こういうところが嫌われるんだよな。


  無言の車内で、俺はなにか変な音を聞いた気がした。コチリ、コチリというような音で。それはどこからともなく響いてきた。


 まるで古い時計が時を刻むように。


 あるいは、地獄の機械が回るような……。


 宮殿に到着した。宮殿の外は静かだった。けれど、一度中に入ればたくさんの人が忙しそうに走り回っていた。


 それだというのに、エルグランドは通路の真ん中を堂々と歩いていく。まるでサイレンを鳴らしている救急車だ。周りの人の方からエルグランドを避けていく。


 大きな歩幅で、しかし走ってはいないという微妙な急ぎ方のエルグランド。俺はその後ろをちょこちょこついていく。ちなみにブランデーの瓶はさすがに馬車の中に置いてきた。


「なあなあ、エルグラさん」


 と、俺は後ろから声をかける。


「なんですか!」


 少しだけ怒気を含んだ声。


「おお、怖い。どうでもいいけどさ、周りの人が怯えてるぞ」


 なんというか、視線が震えているのだ。


 エルグランドのやつはそんなことにも気づかずに、大きな足音をたてて歩いていた。そういう姿ってのは、はたから見ればバカバカしいものだ。


 仮にもエルグランドはドレンスの軍隊を率いる将軍だ。こういうときもどっしり構えているべきだろう。


 という気持ちを込めて忠告したのだが分かってくれなかったようで。


「私が悪いと言うのですか!」


 大声で怒鳴り返されてしまった。


「良し悪しの問題じゃないんだってば。まあいいや、さっさと行こうぜ。ガングー13世が待ってるんだろ?」


「……分かっています」


 まったく、エルグランドといいガングー13世といい。この国のトップはどうなってるんだよ。

もっと心に余裕を持とうぜ?


 とはいえ、俺は部外者だからこんなことが言えるのかもしれない。実際に国を動かす立場になった場合の重圧というものは、それを経験していないものには計り知れないものがある。


 俺たちはガングー13世の執務室へと到着する。


 エルグランドはまず扉を開けてから、ノックをした。もしかしたらこれは彼のクセなのかもしれない。


「ガングー!」


 叫ぶように言う。


「ひいっ!」と、ガングー13世は飛び上がってから。「エ、エルグランドか」と、安心したように胸をなでおろした。


「どうなっているのですか、現状は!」


 目をむいて詰め寄るエルグランドに、ガングー13世は言葉をつまらせる。


「あ、あの。その。う、う、う……」


「ガングー! 貴方はこの国の長でしょう! しっかりしなさい!」


「そ、そそ、そ。それは……」


 どもるガングー13世に、エルグランドはまだ何かを言おうとした。俺はそれを敏感に察して止めに入った。


「はい、ちょっとストップ」


「なんですか!」


「エルグランド、あんたも落ち着け。そんな剣幕けんまくでいっちゃあ、喋れるもんも喋られないだろう。こういうときこそ冷静に、いったん深呼吸でもしようぜ?」


 聞きかじりみたいに言う。


 そりゃあ俺だって慌ててから回ってこんがらがることはある。でもいまは違う、他人事だから冷静だ。


 他人事、本当に?


「榎本くん……」


「ガングー13世さん」と、言ってから随分と言いにくい名前だと思った。なので言い直すことにした。「いや、ガングー」


「な、なんだい」


「あんたはあのガングーの子孫なんだろ? 本当かどうかは知らないけどさ。ならばさ、こういうときはどっしり構えてな。エルグランド、あんたもそうだ。揃いも揃っていい大人が慌てまくってよ。みっともないったらありゃしない!」


「むっ……たしかにそうですね。少々われを失っていました」


「そ、そうだね。冷静に。冷静に……」


「それで、ガングー。なにがあったって? どっかの拠点が占領されたんだろ」


「そうなんだよ。テルロンがとられた。まさかあそこが狙われるとは……」


「テルロンは大きな拠点ではありますが、そう重要視された場所でもありません。しかし海軍がいるので、守りが手薄だったというわけでもないはずです」


「そうだったね」と、ガングー13世。


「つまり、わざわざ占領するほどの旨味がない土地ってことか?」


「そういうことです。あそこに兵力をくくらいならば、他にもっといい場所があったはずです。だというのに……」


「グリースもそこを理解して狙ったのだろうか? それにしてもテルロンかい、ガングーが最初に実戦に出た、伝説の始まりの土地。あそこがとられたとなると国民の中にも不安が広がるだろうね」


 俺はなにかを察しそうになる。


 ガングーの伝説が始まった土地?


 そういえば、あの日記にもそんなことが書いてあったよな。


「国民への発表はひかえるべきだと思う」


「それが良いでしょう」


 お、大本営発表か?


 いや、これは発表すらしないのか。もっと酷い気がするけど……。


「それにしてもなぜテルロンが! あそこをとる理由などないはずです」


 そこ、こだわるね。


「エルグランド、敵が考えていることが分からないのかい?」


「分かりません。攻めてくるとしたらノルマルディだと確信していたのですが。だから沿岸沿いに兵を配置したというのに……これではテルロンへ出す兵がありません」


「まったく、どうしてテルロンなんだ!」


 俺はちょっとだけ手を挙げる。


 2人の視線が俺に集まった。


「なんですか、エノモト・シンク」


「どうしたんだい、榎本くん」


「俺、あいつがどうしてテルロンを狙ったのか分かるよ」


「ほ、本当かい!?」


「言ってみなさい」


 言ってみなさい、って……。まあいいや。


 俺はコホン、と咳払いを一つした。


「つまりな。あいつは、魔王は真似をしたかったんだよ」


「誰の?」と、エルグランドが聞いてくる。


「簡単さ――」


 俺は、ガングー13世を見た。


 そして指差す。


「――ガングー・カブリオレのだ」


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